1986年5月、米「バラエティ」誌に亡命キューバ人監督らの告発状掲載 | MARYSOL のキューバ映画修行

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前回の投稿記事のコメント欄で紹介したように、ファウスト・カネル氏から1986年に米国の映画業界誌「バラエティ」に掲載された告発状がPDFで送られてきたので紹介します。②

 

が、その前に、同記事の発端となった出来事から紹介します。①

 

①  事の発端(参照記事)

1986年、当時のキューバ・シネマテカ館長、エクトル・ガルシア・メサが、米国で最も権威ある映画業界紙『バラエティ』のインタビューで「シネマテカには、キューバ映画史における全作品が保存されている」と断言していた。

それを見た我々は、Variety誌の編集部に宛てて、我々が60年代末にキューバを去って以来、ICAICが上映においても書物においても我々の存在を消し去ったことを告発することを思いついた。

驚いたことに「バラエティ」誌は、我々の告発状を〈同年のカンヌ映画祭特別号〉に目立つように掲載した。アルフレド・ゲバラ長官がその手紙を読んだとき(或いは、彼は英語が読めないので読んでもらったとき)、ICAICの7階は慌てふためいたことだろう。

ICAICは直ちにポンビドゥー美術館でキューバ映画の回顧上映を行い、その後ニューヨークやロサンジェルスでも開催した。

私の『Papeles son papeles(仮題:紙幣も紙切れ)』(国際的に最も評価された『Desarraigo』ではなかった)や、アルベルト・ロルダン監督の『La ausencia』が、革命の魅力ゆえに上映された。ロルダンはキューバを出てヨーロッパに行く許可をICAICに求めて以来、映画地図から消されていた。彼は、出国できるまでの11年間、建設現場でレンガ積みの労働に従事した。

 

バラエティ誌 編集者殿:

 ICAIC製作の映画リスト(1960年~1986年3月12日)を見て、我々は驚き狼狽した。あまりにも多くの作品と監督がその“完全な”リストから除外されているため、我々は真実を確立すべく、貴編集部に急ぎ本状を書き送る次第である。

 1961年のサバ・カブレラとオルランド・ヒメネス・レアル共同監督による『P.M.』の上映禁止・没収に始まり、キューバでは政府に不同意な者にとり、芸術的自由の行使はますます困難になっている。結果的に、芸術家たちは攻撃され、迫害され、孤立させられ、国外追放され、そして今、あらゆる歴史的記録から消されてしまった。

 キューバは、アカデミー賞を受賞したネストール・アルメンドロスほか、複数の映画監督の作品を無視することを決め込んでいる。人々やその業績を歴史から消し去る行い、延々と続く悲しむべきスターリン的伝統は、映画産業庁の官僚たちを貶め、彼らを犠牲者にも迫害者にもしている。

 キューバ産業庁のような公的機関が、「バラエティ」誌をミスリードするとは遺憾だ。ゆえに、我々はICAICのリストが除去した作品リストを同封する。

 

Un Poco Mas De Azul (1963)

 3人の監督(F.カネル、M.O.ゴメス、ビジャベルデ)による革命に関する3つの短編から成るオムニバス映画。

カネルとビジャベルデの観点は、共産党による検閲で“非正統”と見なされ、一度も上映されなかった。

 

Desarraigo (1964)  

 現在NYで活躍するファウスト・カネルが脚本を書き、監督した。1964年に製作され、ICAICが東西ヨーロッパに配給。1965年、サン・セバスティアン国際映画祭でスペシャル・メンション受賞。

 

Tránsito (1964)

 エドゥアルド・マネ監督・脚本。マネは現在フランスで活躍し、受賞歴もある劇作家で、ゴンクール賞のファイナリスト。

 

El Mar (1965)

 フェルナンド・ビジャベルデ監督・脚本。ビジャベルデは現在マイアミで活躍。キューバの官僚達に「イデオロギー的謀略」とレッテルを張られ、公開されなかった。

 

Papeles son papeles (1966)

 ファウスト・カネル監督・脚本。キューバで大当たりしたが、後に監督は体制に失望し国を去った。

 

El Bautizo (1967)

 ロベルト・ファンディーニョ監督による、非常に人気と成功を博したコメディ。ファンディーニョは現在スペインの映画産業で活躍している。

 

La Ausencia (1968)

 受賞歴のある映画作家、アルベルト・ロルダン監督・脚本。ロルダンは、1969年に出国ビサを申請したが、拒絶され、レンガ積み工として12年間働かされた。1981年にキューバを去り、現在はロス・アンジェルス在住。

 

もしキューバのシネマテカ館長、ガルシア・メサ氏が「バラエティ」誌の読者に請け合ったように、完全なアーカイブを有しているなら、上記フィルムの上映を手配することも可能だろう。

 

ネストール・アルメンドロス

ファウスト・カネル

ロベルト・ファンディーニョ

オルランド・ヒメネス・レアル

エドゥアルド・マネ

アルベルト・ロルダン

フェルナンド・ビジャベルデ

 

※拙ブログ関連記事

ファウスト・カネル:著書とフィルモグラフィー | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)

 

Un poco más de azul

64年になると、ICAICとしてもドキュメンタリーの経験はかなり積まれていたので、フィクションを撮るよう提案された。トライアルとして、1本の長編よりも3本の短編をオムニバス形式で撮ることになった。タイトルの『Un poco más de azul(仮:もう少し青く)』には〈赤い傾向を歓迎しない私の気持ち〉〈もう少し青く!という我々の願い〉が込められている。3篇は、革命前、闘争中、革命後を描くことにし、私は最後の「革命後」を選び、国を出て行こうとする人物を描いた。それまで誰も描いたことがなく、敢えて描く人もいなかったことを映画にした。

 ファウスト・カネルとICAIC/50年代~60年代に関する「ある証言」 | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)

 

EL FINAL(仮:終焉)/1964年/フィクション(歴史ドラマ) | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)

 

ロベルト・ファンディーニョ監督

1968年に亡命した映画人:ロベルト・ファンディーニョの場合 | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)

 

ネストール・アルメンドロス(4):ICAIC時代 | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)

 

『ザ・ブロークン・イメージ』:亡命したキューバ映画人のドキュメンタリー(1995年) | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)

 

追加情報(6月13日)

La ausenciaの一部(反バティスタ闘争だろうか?緊張感があってすごく面白そう)