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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

予約投稿設定ミスった…。変な時間ですけど上げ直します。



2018年1月19日、仕事で奈良を回ったこの日、以前から気になっていた橋を改めて見に行った。この日のネタで記事にしているのは百寿橋

 

 

 

どんな橋かというと…

こういう、極めて地味な橋。現在地こちら

 

地図をご覧いただくとわかるが、商業施設「ならファミリー」東側に流れる秋篠川に架かっている橋で、写真はならファミリー側から撮っている。

 

 

 


対岸側は封鎖されており、出入はできない。写真だとわかりにくいので、ストビュー画像を拝借。

ちょっと独特な封鎖の仕方(笑)。

 

この橋に最初に気づいたのがいつだったかは忘れたが、その時点ですでにこういう状態で、一種のトマソン橋として気になっていたのを改めて見に来た次第。

 

 

 

 

 

まず間違いなく、ならファミリーへのエントリー用に架けられた橋だろうと思っていたのだが、驚いたことに橋名板があった。

「西隆橋」。

 

こういう用途の橋でちゃんと命名されるのはあまり見たことない。しかも意外とクラシカルな名前。これは、ならファミリーが西隆寺という寺院跡地につくられたためで、同じ銘板が対岸側にもあったようだ。

 

 

 

 

 

なぜかならファミリー側からの封鎖はないのだが、

人目もあまりに多く気が引けたため、橋上への立ち入りは控えた。

 

 

 

 

 

広い橋に見えるが、

この写真で右側、わずかな段差で画されているのは歩道部分。それを差し引くと、商業施設への出入り用としては手狭に思えるし、渋滞も必至だろう。

 

ならファミリーオープン時には、秋篠川東側からの車の出入りはこの橋が引き受けていたようなのだが、そのアンダースペックゆえなのかどうか、いつごろからかこのように封鎖されて、現在では南側の西大寺橋、北側の新西大寺橋/新山陵橋を介して秋篠川を渡る形になっている。

 

 

 

 

 

この全天候型歩道橋も、

もちろん後年にできたものだ。

 

 

実態としては全く用をなさずに佇んでいる西隆橋。撤去されずに残っているのは、何らかの事態に備えてのことなんだろうか。橋脚がないから、流れを阻害することもないしな。

 

 

 

以上、なんだか愛しい西隆橋をご紹介しました。

 

 

 

【5】より続く。

 

 

 

何回出すねん?な地理院地図。

行きで気になった「露天掘り的な一画」は、地形図上でも明らか。

 

 

 

 

 

どんな場所なのかを確認すべく、

スロープを登っていく。これまた伝わりにくいが、けっこうな勾配だ。

 

 

 

 

 

ほどなく、

てっぺんが見えてきた。「変な道」からは視認できなかったエリア。

 

 

 

 

 

ああ~、

そこは、おおむね円形の平場になっており、明らかに山を切り開いて造られた一画。

 

 

 

 

 

いかにも荒涼としたその一画には、

その地形以外に人工物はまったく存在していなかった。

 

 

 

 

 

ぐるっと見回しても、

誰が何のために造成した場所なのか、手がかりになりそうなものは皆無。

 

 

 

 

 

登って右奥に、

さらなる登りスロープを発見し、辿ってみたがこの先で行き止まり。てっぺんにも特になにもなかった。むぅ~。

 

 

 

 

 

てっぺん付近から下を見下ろすと、

「変な道」起点(かどうか知らんけど)方面まで広がる、広大な「露天掘り的エリア」が一望のもとに。これほんとに何の跡なんだろうか。

 

 

 

 

 

よく見ると、

重機の姿も。

 

あの一帯、現役で稼働してるところなんだろうか?歩き始めてすぐ通りかかったあたりだが、そんな雰囲気なかったんだが。そもそも民間/行政ともにいかなる管理者名も見当たらなかったし。一体どういう場所なんだねキミぃ~。

 

 

 

 

 

とりあえず、

眼下の「下の段」には問題なく降りて行けそう…つうか最初のスロープを引き返さない限りはそこに降りるしか行き先がない。

 

 

 

 

 

降りる前に、振り返り。

ここ、動画を撮っとけばもっと伝わったなあ。

 

 

 

 

 

代わりにといってはなんだが、パノラマ写真を撮ってみたのでそれを。

 

念願の(笑)タテ貼りに成功したので、スマホだとより楽しめるのかい?楽しめないのかい?どっちなんだい!?

ちょっとは雰囲気、伝わったかな?あ、360度以上のパノラマになってるので、左端(上端)と右端(下端)はつながってると思って見ていただきたい(なので、最初に登ってきたスロープは上下2回写っている)

 

 

 

 

 

「下の段」へ降りながらの景。

スロープってほどの道らしさはなく、単なる斜面って感じだ。

 

 

 

 

 

その斜面左手(北側)は、

よく見ると、薄く土がかぶっているだけで、実は岩山であることが見て取れた。

 

「露天掘り」なんてワードを使ってきたが、鉱山ではないのだと思う。もしかしたらかつて土砂が採取されていて、取り尽くして岩盤に行き当たったので放棄されたとか?

 

 

 

 

 

斜面を降りて、

「下の段」からの見上げ。

 

 

 

 

 

「下の段」と重機が見えたエリアとは、

つながってそうでつながっていなかった。平場はここで終わり。

 

 

 

 

 

もう一度、斜面と「上の段」を見上げ。

結局、「下の段」からもさらに進めるのは一方向しかなく、

 

 

 

 

 

さらにもう一段下へ、

そして、

 

 

 

 

 

「変な道」へ復帰!

これ【2】でも使った写真だが、やはり露天掘り的パートを介してつながっていた。

 

 

最後のオプション探索でどんな感じの場所なのかは見てきて掴めたが、結局具体的なことはなにひとつわからなかった。ひとつ確かと思われるのは、「変な道」になる前の「道」が先にあって、その後のいつかに大津市街地側の一画の山を切り開いての「何らかの事業」が行われた、ということだけ。

もしかしたら、1967(昭和42)年~1977(昭和52)年にかけてとされる比叡平の開発と、何らかの関連があったのかもしれないが、真相は不明。

 

「滋賀県都市計画総括図」で確認したところ、当該エリアは「園城寺風致地区」内。風致地区内での開発は厳しく制限されているはずなので、これらの「露天掘り的」開発はある程度古い話なのではないかという状況証拠に…なるのかい?ならn(もうよろしいわ

 

 

 

 

 

机上調査の得意な方、

ぜひよろしくお願いします(笑)。

 

 

 

 

以上。

 

 

 

【4】より続く。

 

 

 

今や廃道となった「変な道」を歩くこと25分、

幹1031号線に再合流。え?どこかって?

 

 

 

 

 

ここですよここ。

車道っぽさのかけらもなし。普通に幹1031号線を走っていたら、まずここが道路分岐点とは感じられない。

 

そしてこちらも、不法投棄禁止の看板はあるものの、進入を禁じる表示は何ら見られなかった。以前にはトラロープが張られていた時期もあったように思うが、もはやそれもなし。

 

 

ところで、現在地はこちらなんだが、地図を見て今気づいた。すぐ東側を大津市と京都府の境界線(すなわち府県界)が走っているが、この境界線、今昔マップでの往時の道筋をなぞっているように見える。

 

なんなら(ここまで全く触れなかったが)この「変な道」自体が境界線にぴったりと沿っていたので、往時の線形とまったく関係なしではないと思うんだが…。

 

 

 

 

 

幹1031号の大津市街地方向を。

ちょっと先には、池谷地蔵尊への分岐がある。

 

 

 

 

 

三度目の登場、地理院地図。

改めてご確認いただきたいが幹1031号線、「変な道」経由のショートカットに比べて3倍はありそうな遠回りをしている。古くからあったこのショートカットルートを整備することなく、なぜに遠回りな尾根ルートが車道化されたのだろうか。

 

 

例によって何にも調べられていない。すんませんね。

 

ただ推測として、また現場の雰囲気からして、「少なくともある時期」には大津市街地側の半分近くが企業占有地化し、公道ではなくなった(なくなっていた)のではないだろうか。そのために整備対象ではなくなり、今に至る…思いっきり乱暴に言えば、そんな感じなのではと。

 

 

 

 

 

その裏付けになるかもしれない探索をまだ残している。今からそれを片付けに行くんだが、その前に…

実はこの近くにある、以前記事にしたある草ヒロを表敬訪問。

 

 

 

 

 

いや~お変わりなく、

順調に熟成が進んでおりました。また来よう。

 

 

 

 

 

さー、では。

最後のオプション探索のため、来た道を戻っていった。

 

 

 

 

 

この戻り途中に、全く予期せぬことが起きた。

 

なんと、通行人とすれ違ったのだ。

 

 

それがアナタ、制服を着た男子中学生(たぶん)…だったっていうね。

 

 

 

 

挨拶を交わしてすれ違った後に、振り返って盗撮したのがこれ。

動揺してブレまくり(笑)。

 

廃道で人に会ったことはわずかしかないが、制服を着た中学生ってのは空前絶後の体験だった。

 

 

「どっからきてどこに行くんだねキミぃ!」

「日常的に通ってるのかねキミぃ!」

 

問い詰めたいことがいっぱいあったんだが、不審者案件になりかねないので自重(笑)。

 

 

つうかね~。比叡平には小学校しかないので、比叡平在住の子が歩いて下校してきた(この日は平日)ってことになるはずなんだが、一番近い中学校であるO子山中学校、一番近い高校であるO津商業ともに結構な距離あるのよね~。

 

 

 

 


マジであの廃道を通学路として使ってんだろうかあの子。

こんな道を毎日?山ん中何キロも歩いて?さすがにナイと思うんだが…。

 

 

いや~。なんか変なテンションになってしまったが、ここまで連載で紹介してきた廃道風景の数々の中を、制服を着た男の子が歩いてる姿を想像してほしい。

 

 

 

 

 

そりゃあもう、

このシュールリアリズム盆栽以上にシュールな光景だったぞよ。

 

 

さ~、戻ってきたぞ。オプション探索入口に。

 

 

 

 

【6】に続く。

 

 

 

【3】より続く。

 

 

 

こんな一画にさしかかった。

広かったはずの路盤の内側が流されて崩れた場面。

 

 

 

 

 

その山側には

砂防を兼ねていたとおぼしきコンクリ壁が。もはやパンパン状態。昭和の構造物か?

 

 

 

 

 

路盤を崩したのは、

「上」からの流水による洗堀。

 

 

 

 

 

「上」と書きたいほどにこの道、一貫してなかなかの勾配が続く。もう一度地理院地図をご確認いただきたい。

歩き始めた地点が標高263m、ゴールが371mと、約1.5kmで108m登る。つまりだいたい平均7.2%の勾配で登り続けているわけで、そりゃあ水も流れるわと。

 

 

 

 

 

「流れる」ってことで、

ここでもコンクリ側溝の痕跡が現れていた。

 

 

 

 

 

そこから程なく…

空が開けて、正面に…見えてきた。

 

 

 

 

 

ズームすると、

わかりにくいかな?擁壁の上を横切る白いガードレール。あれが、皇子山カントリークラブを抜けて大回りしてきた幹1031号線である。つまりゴールが近づいてきたってことだ。

 

けど、最後にまだそれなりの高低差を残してるっぽいな。

 

 

 

 

 

この最終ストレート途中に、

幅こそ狭いが深めの洗堀が路盤を横切っており、これはオフ車でも無理かなと。

 

 

 

 

 

それをクリアすると、

右側にコンクリ擁壁が登場。擁壁の見え方で道の急勾配が伝わるかと。

 

 

 

 

 

擁壁の向こうには、

かつて何かがあったっぽい敷地が広がっていたが、今は何もない。向こうの斜面上には比叡平の民家も見えてきており、完全に比叡平の南端へ到達した。

 

再掲はしないけど、今昔マップの1892~1910年の地図によれば、往時の道はこの右方向へと延びていたように描かれている。それが上の写真の方向になるんだが、特にそれっぽい痕跡はないかな?こっちには立ち入らなかったのでわからないが。

 

 

 

 

 

とりあえず今現在は、残りの高低差を回収すべく、グイグイ登りながらの左急カーブ。

その内側にあったのが、石積みの土留めだった。

 

ゴール間近のここへきて初めて登場した、「なんか古道っぽい」アイテム。明らかにこれまでに登場した構造物よりも古い年代のものだ。これは…そうなのか?

 

 

 

 

 

左カーブから先を見ると、右カーブが続いている。

ステキな激坂S字カーブ。かなりエグイ勾配だ。

 

 

 

 

 

その途中にあったのが…

さん

黄色じゃなくて青黒い腐乱死体みたいになっとるやないの…不憫すぎる。

 

このカーブ近辺、不法投棄ゴミが他にも散乱していて萎えた。住宅地近くの廃道とか、こんなんありがちよなあ。

 

ていうか、比叡平ってちょっと外れるとこんn…

 

 

 

 

 

続く最終の右コーナー。

このコーナー内側の一段高くなった部分も気になった。これは何だ?

 

 

 

 

 

なんとなくの印象が、遊歩道にあるような「ちょっとした植栽が施されていた部分」だったんだが、そんなわけないよなあ。

振り返った感じがこれ。かつては路盤の一部だったんだろうか。知らんけど。

 

 

 

 

 

正真正銘のラスト激坂。

もうあの上が、幹1031号線。

 

 

 

 

 

その合流部分は

香ばしいものだった。

 

 

 

 

【5】に続く。

 

 

 

 

【2】より続く。

 

 

 

そう、現場ではとっくに気づいてた。

あそこに見えるは…そう、先日ご紹介したシュールレアリスティックな盆栽である。こんなとこにいたんですな。

 

 

 

 

 

彼(彼女?)が鎮座してる場所の奥にはささやかな砂防堰堤があって、

「昭和52年度 治山施設 滋賀県造林課」という銘板があった。この道界隈で具体的な年代を示すものを見たのは、結果的にここだけだった。

 

 

 

 

 

で、この写真。先般の記事では使わずにあえて温存しといたんだが、

これ、この日撮った写真の中で一番気に入ったな~。

 

 

 

 

 

さて、進軍再開。

「変な道」は、ここへきてにわかに、年季の入った廃道の様相を呈し始めた。

 

 

 

 

 

しかしながら、

歩くのには全く問題なし。コンディションは上々だ。

 

 

 

 

 

この辺で現在位置を確認してみたら…

ちょうど真ん中あたり…いや、真ん中は過ぎたかな?

 

 

 

 

 

ここで初めて見つけたのが、

路肩のコンクリ遺構。排水溝ではないかと思われるが、それにしちゃちょっと幅広すぎか?

 

 

 

 

 

ではしばし、写真のみで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

状態に細かいグラデーションを繰り返しつつ、車道幅員だけはずっと確保された路盤。

 

 

果たしてこの道は、いつ頃まで車を通していたんだろうか。

 

 

 

 

【4】に続く。