国道249号線・八世乃洞門新トンネル旧廃道と麒山道【序】 (石川県輪島市町野町曽々木) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 
タイトル、長っっ(笑)
 
けど、これ以外ないのよ。
 
 
 
 
と、ゆうわけで。今回、文字多いです(笑)。
 
 
 
 
2015年4月30日、初の能登遠征2日目。時刻は6:27AM。
 
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ここは国道249号線、八世乃洞門新トンネル・珠洲市側にある真浦ポケットパーク。場所はコチラ
 
今回の連載でご紹介する内容の全ては輪島市に属するが、現在位置は珠洲市真浦町。ノートさんのいるあたりが市境だ(笑)。それでね、よーく見てほしいのだが、
 
 
 
この写真、けっこう、凄いのよ(笑)。
 
 
左端が八世乃洞門(はせのどうもん)新トンネル。「新」というからには「旧」があり…ということで中央に見えるのがそれ、八世乃洞門。そして洞門の右奥には直接海へと落ちる壮麗な滝。さらに滝の落ち口をかすめるように、海沿いの断崖に延びる平場。
 
 
そそるっしょ(笑)。
 
 
 
これらがすなわち、三世代の道。
 
 
今回の連載は、これらのうち旧世代の二本を、これまた執拗に(笑)記事にして参ります。
 
 
 
 
 
まずは、
 
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現トンネルに敬意を表しておこう。背後から先輩が睨んでるけどな(笑)。
 
「八世乃洞門」という大仰な名前には、もちろん謂れがある。それはまた後ほど。
 
 
 
そしてこの新トンネルの銘板が、重要なことを語ってくれる。
 
 
 
 
それは最上段にハッキリと書かれている。
 
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道路災害関連工事」と。
 
記載のとおりに2007年12月~2009年11月、2年弱かけて竣工したこのトンネルは、災害復旧道路として誕生したものだった。
 
 
 
2007年3月25日、午前9時41分58秒。輪島市沖40kmの日本海で発生した、M6.9の地震。すなわち
「平成19年能登半島地震」。
 
 
輪島市で震度6強を記録したこの地震により、八世乃洞門に深刻なダメージが八世…もとい発生(真面目にやれ?すみません…)
 
復旧は不可能と判断された結果、新トンネルが掘削され、旧道は放棄されたのである。
 
 
それらを含めた三世代の道の歴史的背景、そしてこれからの連載で取り上げる全てがわかってしまうという、執筆者殺しな写真をどうぞ。ぜひ拡大してご覧あれ。
 
 
まずはコレ。
 
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マジでコレ、完全ネタバレもんなのだが、載せずにはおれないほどに的を射てるのよ(笑)。
 
 
 
そして、もういっちょコレ。
 
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コレで歴史的な流れもバッチリっしょ!
 
めんどくさがって読まない人もいると思うけど、読んだほうが楽しめるとは思うよ(笑)。
 
 
 
そしてここで特に触れておきたいのが最上部。
 
1792(寛政4)年、12年の歳月をかけてこの地に初めてまともな(が、現代の基準で言えば依然としてクレイジーな)道を拓いたのが、海蔵寺八世住職・麒山瑞鱗(きざん・ずいりん)であったことから、この初代江戸道は麒山道と呼ばれた(当連載でも以下初代道を麒山道と呼ぶ)。そしてもちろん、「八世乃洞門」の名も、ここに由来している。
 
そして、放棄された旧道はもとより、この初代の麒山道もが遊歩道化されて残っているというのである!しかしてその実態は…
 
遊歩道の概念を逸脱していた。
 
 
まあそれは次回にお見せする(でも、真骨頂はもっと先)として。
 
 
 
 
新トンネルの次は
 
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先輩にご挨拶を。
 
 
 
 
 
【1】に続く。
 
案の定全然進まなかったので、【1】じゃなく【序】にしました(笑)。果たして最長連載になるのか?