京都市内の仁丹看板 【6】 | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 
東京より戻りました~。今回、仕事の実りはイマイチな予感ながら、四カ国会議が実現したので、全ておっけー(爆)。
 
 
 
今宵は、(密かに月イチでやっている)仁丹看板ネタ。
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コレ、実はわたくしが初めて見つけた仁丹看板であります。時は2012年3月4日。まあ意識して収集し出したのはココ2年くらいやけど。
 
この看板、南禅寺の山門に直貼りしてあった(撤去されてなければ今もあるはず)。それも衝撃やったけど、そのいかにもな古さに驚いたのをよく憶えている。
というのも、(左京区民であったわたくしだから気づいたが)南禅寺は京都市左京区にあるのだが、看板には上京区とある。しかも旧字の「區」。つまりは、南禅寺が上京区に属していた時代のものってことになるよなあ・・・と、帰って調べてみて吃驚。
 
そもそも近世に「京都市」となった時点では上京区と下京区の二つしか存在しなかったらしいのだが、上京区から別れて左京区が誕生したのは、昭和4年。つまりこの看板は、もっとも新しくても実に昭和初期のものってことになるじゃないの!
 
当然このパターンは他にも多くあって、すでに記事にした中でも【2】【3】で紹介した看板、いずれも下京区と書かれてるけど現在は東山区だったりする。ちなみに東山区が誕生したのも、同じく昭和4年である。
 
 
数を減らしているとはいえ、まだまだこんな古住所看板が現存するとは・・・。うーん、京都クオリティですなあ・・・。という、コレがわたくしと仁丹看板の馴れ初めでありました(笑)。
 
 
ちなみに、ここまでご紹介してきた仁丹看板はすべて仁丹マークが最下部にあるが、まれにマークが最上部に描かれたものがあって、実はこのパターンはさらに古いものだと言われている。今のところわたくしも8枚だけ確認しているので、そのうちご紹介しようと思う。