【2016年開削済み】
今宵ご紹介するのは、旧・七海第二隧道の約2時間前に訪ねた隧道。
その2km手前には、高さ制限の予告標識があった。すでに名前が判明したのはいいんだが、
ヲイヲイ、「随道」ぢゃないのよニイサン(笑)。
この予告標識直後にちょこっと脱線。脱線中のネタは、またいつか。
んで、やって参りました、
ちょっと年季の入った、コンクリ隧道。これは東側。
特に事前情報なく隧道表記を目指して来ただけだったが、地味ながらこれけっこうイイかも。
例えば、このあたり。
笠石部分が櫛歯っぽく凹凸がつけられていたり、扁額が扇型だったりとか。
何気にカッコいい。これは昭和初期もあるんじゃないか?と銘板を探すも見当たらず。
しかし、改めて扁額をよく見ると(ボケてて&色調ヘンで申し訳なし)、
右端に「昭和四年」と刻まれておるではなーいか。
おおう、ビンゴ。昭和ひとけた隧道だった~。右書きで「豊川隧道」とあり、どうも左端にもなんか刻まれてるっぽいが、サッパリ判読できない。
この、無骨ながらもさりげないワンポイントがニクイ(死語)ポータルはもちろん素晴らしいのだが、
嬉しい驚きだったのが、洞内。
コンクリート・ブロック製アーチ。おお、能登にもやはりあったか、と。
この翌年にも能登には遠征して、半島の隧道はひととおり見たはずだが、他にもあったかなあ、コンクリブロック隧道って。なかった気がする。側面に入ったイエローラインも、なんかカッコいいぞ。
振り返っての、鉄板の構図。
坑口部分は、波板で巻かれていた。
さて、
車で反対側へ抜けまして~。
西側ポータルに正対。
うむ、日当たり良好!
この西側には、
![aa275e46.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20190331/13/quicknick/f1/40/j/o0560037214382038680.jpg?caw=800)
扁額はなかった。
アーチ環ふうに描かれた模様の要石部分には、何かが取り付けられていた形跡が。なんだろうか。
個人的好みになるけど、
コンクリブロック巻き+ナトリウム灯のオレンジ色って組み合わせ、大好き(笑)。
あるようであんま見たことないぞ。
堪能した。
こういう人里にある古洞、これまた好きなんだな~わたくし。
「好ましい」というワードがしっくりくる、そんな隧道だった。
以上、完結。