穴と橋とあれやらこれやら -82ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【2】より続く。

 

 

 

現れた、第三の橋梁。

これまでと違い、中音水川の本流を渡る橋梁である。

 

 

 

 

 

正対して見ると、

渡河した先で、路盤はググッと左に曲がっていくのがわかった。

 

そしてお気づきだろうか、桁のIビームもわずかに曲げてあるのが。これは面白い!念のために申し添えておくと、上流は写真右側。よって流されてきた岩などで曲がったわけではない。

 

なんだろう、あそこから少し曲がり始めないと路盤の曲線と合わせられなかったんだろうか。めっちゃ気になるわ~。現地でもこれは盛り上がった…はず。

 

 

 

 

 

傍らに再登場の、この柱。

実際、軌道跡もこの中音水川源流方向へと向かっていくのだが、高度を稼ぐためにいったん折り返して離れていくようだ。

 

 

 

 

 

上流側からのサイドアングル。

大した長さじゃないんだけどね…。

 

 

 

 

 

やっぱ渡るのは心許ないので、

 

 

 

 

 

ここも下巻きで。

よととさんはここもサクサク渡られたけど。身体能力がわたくしなんかとは違う。

 

 

 

 

 

で、渡った先の路盤が、

また良かった~。

 

先述のように左カーブしているのだが、そこは野面積みの土留めに護られた築堤になっていたのだった。

 

 

 

 

 

引きで見た全景を。

どうでしょうか!?めっちゃ状態もイイ!

 

ここはハイライトのひとつだったので、けっこう写真も撮ったんだが、ろくなもんがなかったのでこの一枚のみで。ウウッ…

 

 

 

 

 

こうして中音水川を渡って谷を折り返した軌道跡。

 

3分も歩かないうちに次なる橋梁…があった

…というか、なかったというか。

 

支流に架かっていたものだが、コンクリ桁の残骸が死屍累々と。あららら。

 

 

 

 

 

それを渡渉するところに、

レールを発見!テンション上がった。

 

 

 

 

 

渡って振り返り…

のはずだが、もはやよくわからんね…。

 

 

 

 

 

では、進軍再開。

 

 

 

 

 

いくらも行かないうちに、

またしても橋梁登場。めっちゃありますやん!

 

 

 

【4】に続く。

 

 

【1】より続く。

 

 

 

徒歩進軍開始から35分。無事軌道跡に降り立ち、ここからが本番。

 

 

 

 

 

比較的歩きやすい軌道跡を辿り始めて8分。

初めての構造物が現れた。

 

 

 

 

 

想定外の

鋼製Iビーム桁橋梁だった。

 

よととさんのレポ(最終回にリンク貼ります)では、この桁をどうやって持ち込み架橋したのか、疑問を呈しておられた。見識の浅いわたくし、現場ではそんなこと思いつかなかったが、確かにそうだ。現場施工できる木材やコンクリートとは話が違う。どんなイリュージョン?

 

 

 

 

 

 

よととさんは軽々と渡られたけど、

怖くてマネできないわたくしは大人しく下巻きで。

 

 

 

 

 

いやあさすがに、

全然問題なし。レールを敷き直せば普通に使えるんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

で、そのすぐ先に、

より小規模な橋梁があった。

 

今度は鉄筋コンクリート桁のようだが、どういう使い分け!?

 

 

 

 

 

こちらには、

枕木も残っていた。いいねぇ!

 

 

 

 

 

そしてその先では、

この日一番レベルに整った軌道跡の景!

 

異常なまでにきれいで、綻びのない野面積み石垣と併せて極上コンディション。美しや~。

 

 

 

 

 

こんな切り立ったところや、

 

 

 

崩れてだいぶ経っていそうなところや、

 

 

 

またしても美麗パート登場とか、

割と変化に富んでいて、飽きることなく進んでいった。

 

 

 

 

 

この付近だったと思うが、

崖下にドラム缶の残骸発見。軌道の現役時代からの遺物だろうか。

 

 

 

 

 

左手を流れる中音水川との比高が小さくなってきた。

路盤に欠損はないが、落石多し。

 

 

 

 

 

そして、先ほどの二連橋梁から11分。

第三の橋梁が現れた。

 

 

 

【3】に続く。

 

 

 

 

 

2016年6月12日に参加させてもらった波賀森林鉄道中音水支線探索を、これからご紹介していく。

このネタ、なんとな~くずっと先延ばしにしてきて、結果やるタイミングを失ってた感じで、思い立ったが吉日、ここでやってしまおうと。前夜はyori-yanさんのおうちで素晴らしい前夜祭をさせていただいたのは懐かしい思い出…。

 

 

12日朝、「道の駅はが」にて改めて集合後、さっそく現地へ。わたくしには珍しく、このあたり全然写真を撮ってなかった。なにしとったんやろか?

 

 

 

これ実は帰りに撮ったものだが、

ほぼほぼ中音水支線を下敷きにしたこの中音水林道を分け入っていく。現在地はここ

 

 

 

 

 

その中音水林道の途上、

少し広いところで駐車、ここより先は徒歩での進軍とした。ここまではおろろnさんのエクストレイルで乗り込んだ。

 

 

 

 

 

このような落石と大きめの枝が通せんぼしていたためで、

排除できないサイズではなかったけど、この辺が見極めどころかなって。

 

 

 

 

 

申し遅れたがこの日のメンツは、

左からはみ男さん、おろろnさん、よととさんというおなじみのメンバーとお初のkazafu700さん、そしてわたくしの計5名。わたくし、最後尾を好き勝手に歩きがち(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

徒歩進軍開始から30分少々で、

このようなところに出た。ここ実は重要ポイントだったのだが、この時点では知る由もなく。つうか、めっちゃ遅れてるやんわたくし(笑)。

 

 

 

 

 

ほどなくして、

林道は唐突にどん詰まり。

 

 

 

 

 

よととさんが見つめる、端点に立つ標柱には

「引原川支流 中音水川源流」と書かれていた。指し示す矢印は、さらに進めと。

 

 

 

 

 

いや、道ないし。つうか、もしかして…

斜面の下?なのかね?

 

 

 

 

 

けっこうな傾斜の斜面をズザザザーと降りてみれば、

おおおお、これぞ路盤のようだ。

 

四枚上の写真、「ここが重要ポイント」の意味するところは、どうやらあのあたりでずっと軌道跡を踏んづけていた中音水林道が分かれていたようで。

あの写真左側の杉が植わっているライン、あのあたりで路盤跡が現れてきていたようだ。わたくしは見ていないが、帰りによととさんがそれを確認された。

 

 

 

 

 

その姿が、これ。

石積み土留め擁壁で護られた、しっかりした路盤跡だ。

 

 

今さらながら、ちょっとだけ前説を。

 

波賀森林鉄道本線は1916(大正5)年に開業という古参な軌道で、その詳細な路線網は資料が残っていないようだ。1947(昭和22)年には少なくとも上野線、音水線、赤西支線、中音水支線、万ヶ谷線、かんかけ支線といった路線が存在していたのは確かなよう。

 

昭和半ばからはトラック輸送への切り替えが進んだために路線も順次廃止。そんな中最後まで稼働していたのが、これから本格的探索に赴く中音水支線であり、その廃止年は1968(昭和43)年。開通年は1937(昭和12)年ということなので、31年間の歴史を刻んだわけだ。

 

他の路線は林道に置き換えられたりしているところが大半なようだが、この中音水支線に関しては、遺構が豊富に残っているということで、大いに期待。

 

 

ちなみに、この探索よりも後の2021年頃より、その林鉄の遺産を観光資源として活かす試みが始まっており、わずかながらもレールを敷いて復活運転なども試験的に行われてきたようだ。現在の進捗状況は不明ながらも、現在では、この記事中の様子からは良くも悪くも変貌を遂げている可能性がある。それも念頭に置いて以下の連載をご覧いただきたい。

 

 

 

 

 

あー、では。

ようやくここからがスタートだ。

 

 

 

 

【2】に続く。

 

 

 

 

年明けにやろうと思っていた大型連載があったんだが、考えてみれば先にやるべき大型連載がほかにも複数あるという現実を直視することにした(笑)。

 

 

つうわけで、

まずは古いやつから。

 

 

全体的に写真がいまいちで、じゃあやるなよって話なんだが、さりとて自分の備忘のためにもこの辺でやっとかないと、すでにかなり忘却の彼方…。なので「カンニング」しながらやることにする。

 

 

まあ期待せずご覧ください。

 

 

 

 

【1】に続く。

 

 

2023年3月14日、11年ぶりの房総探索で訪ねた橋をご紹介。この日のネタで記事にしているのは、大釜戸隧道

 

 

 

まずはこれ。

近隣のをここに集約したのか、お地蔵様がずらりと。

 

新鮮な花が供えられ、千羽鶴?的な供物があると思えばよだれかけも真新しい。地域で大切にされていそうで、こういうのは嬉しいな。

 

 

 

 

 

そんな地蔵堂に、

もたれかかる一本の看板。

 

向こうに見えているのがその橋だが、こういうの見ないなあ。完全に民間設置ですな。

 

 

 

 

 

はい、予告通り

2t制限標識の立った、白い橋。現在地こちら

 

 

 

 

 

お名前も予告通り、

「新橋」であります。

 

余談だが、「橋」の漢字のバリエーションは実はけっこうある。昔は正確に記録しようとしてたんだが、環境依存文字だったりでいろいろめんどいので、今はあまり気にしてない(笑)。

 

 

 

 

 

お誕生日は、

「昭和四年八月竣工」。もうすぐ百歳になろうかという古橋である。

 

 

 

 

 

その特徴は、なんといっても

三径間の充腹コンクリートアーチ!

 

 

 

 

 

はい~、

もうカッコいい。

 

マルチスパンの充腹コンクリートアーチって、わたくしの経験値ではあまり覚えがない。初めてではないが、何処で見たっけかなあ。

 

 

 

 

 

この地に三径間のアーチ橋が架けられたのは、たぶんだけど、上流400mほどのところにある某橋へのオマージュ…というか、なぞらえてのことではないかなと思った。

 

まだ記事にはしてないのでこんなちっちゃい写真しか載っけないが(笑)、

こういう三径間の石造アーチ橋がありましてね。こちらに対しての「新」橋なのかなと。知らんけど。

 

この橋は2011年2月20日の第六次房総探索で訪ねており、今回は時間の関係で割愛したものの、プチ後悔している。改めて撮り直せばよかったなって。

 

 

 

 

 

さて、気を取り直して。

 

菱型開口部を連ねた欄干。

めっちゃいい。

 

 

 

 

 

橋上から望む、

こちら上流側。ちなみに川の名前は長尾川。

 

 

 

 

 

そして下流側。

向こうに見えるは、国道410号の七島橋。

 

 

 

 

 

渡って西側より正対。

いや~なんというか、品があるねぇこの橋は。

 

 

 

 

 

左側の親柱はお誕生日、そして右側は

「志んはし」。

 

 

 

 

 

しかしまあ、きれいな橋。

スッキリ上品に見えるのは、この白塗り効果もあるんだろうな~。

 

ちなみにストビューで見られる最古の画像は2014年のだが、その時点でも白かった。オリジナルはどうだったんだろうか。

 

 

 

 

 

東側へ渡り返して、上流側からのサイドアングル。

おあつらえ向きに、ここに川べりへ降りる階段があったので、もちろん行く。

 

 

 

 

 

こんな距離で見られるなんて、

なんて行き届いた橋(笑)。

 

 

 

 

 

しかも上流側ということで、

水切りがしっかり観察できるし。

 

丸みのある水切りって珍しいように思うが、どうだろう。たいてい三角形に尖らせてあるよなあ。そのためか?流下物がぶつかった痕跡が生々しかった。

 

 

 

 

 

折しも橋の下には、

鯉?がたくさん泳いでいた。

 

鯉って池のイメージがあるんだが、こういう海から200mちょいくらいの川にも棲むのね。なんならちょっとばかし海水混じってそうやけど。

 

 

 

 

 

最後に、自己満足な一枚を。

花を入れて撮るの、実は大好き。全然センス良く撮れないけど、いいのだ(笑)。

 

 

 

 

 

以上。