2016年6月12日に参加させてもらった波賀森林鉄道中音水支線探索を、これからご紹介していく。
このネタ、なんとな~くずっと先延ばしにしてきて、結果やるタイミングを失ってた感じで、思い立ったが吉日、ここでやってしまおうと。前夜はyori-yanさんのおうちで素晴らしい前夜祭をさせていただいたのは懐かしい思い出…。
12日朝、「道の駅はが」にて改めて集合後、さっそく現地へ。わたくしには珍しく、このあたり全然写真を撮ってなかった。なにしとったんやろか?
これ実は帰りに撮ったものだが、
ほぼほぼ中音水支線を下敷きにしたこの中音水林道を分け入っていく。現在地はここ。
その中音水林道の途上、
少し広いところで駐車、ここより先は徒歩での進軍とした。ここまではおろろnさんのエクストレイルで乗り込んだ。
このような落石と大きめの枝が通せんぼしていたためで、
排除できないサイズではなかったけど、この辺が見極めどころかなって。
申し遅れたがこの日のメンツは、
左からはみ男さん、おろろnさん、よととさんというおなじみのメンバーとお初のkazafu700さん、そしてわたくしの計5名。わたくし、最後尾を好き勝手に歩きがち(笑)。
徒歩進軍開始から30分少々で、
このようなところに出た。ここ実は重要ポイントだったのだが、この時点では知る由もなく。つうか、めっちゃ遅れてるやんわたくし(笑)。
ほどなくして、
林道は唐突にどん詰まり。
よととさんが見つめる、端点に立つ標柱には
「引原川支流 中音水川源流」と書かれていた。指し示す矢印は、さらに進めと。
いや、道ないし。つうか、もしかして…
斜面の下?なのかね?
けっこうな傾斜の斜面をズザザザーと降りてみれば、
おおおお、これぞ路盤のようだ。
四枚上の写真、「ここが重要ポイント」の意味するところは、どうやらあのあたりでずっと軌道跡を踏んづけていた中音水林道が分かれていたようで。
あの写真左側の杉が植わっているライン、あのあたりで路盤跡が現れてきていたようだ。わたくしは見ていないが、帰りによととさんがそれを確認された。
その姿が、これ。
石積み土留め擁壁で護られた、しっかりした路盤跡だ。
今さらながら、ちょっとだけ前説を。
波賀森林鉄道本線は1916(大正5)年に開業という古参な軌道で、その詳細な路線網は資料が残っていないようだ。1947(昭和22)年には少なくとも上野線、音水線、赤西支線、中音水支線、万ヶ谷線、かんかけ支線といった路線が存在していたのは確かなよう。
昭和半ばからはトラック輸送への切り替えが進んだために路線も順次廃止。そんな中最後まで稼働していたのが、これから本格的探索に赴く中音水支線であり、その廃止年は1968(昭和43)年。開通年は1937(昭和12)年ということなので、31年間の歴史を刻んだわけだ。
他の路線は林道に置き換えられたりしているところが大半なようだが、この中音水支線に関しては、遺構が豊富に残っているということで、大いに期待。
ちなみに、この探索よりも後の2021年頃より、その林鉄の遺産を観光資源として活かす試みが始まっており、わずかながらもレールを敷いて復活運転なども試験的に行われてきたようだ。現在の進捗状況は不明ながらも、現在では、この記事中の様子からは良くも悪くも変貌を遂げている可能性がある。それも念頭に置いて以下の連載をご覧いただきたい。
あー、では。
ようやくここからがスタートだ。
【2】に続く。