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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

今年一年の振り返り企画、【探索/OFF篇】に続いて今宵は個人的10大ニュース。要は探索篇では収まらない仕事面や日常生活なんかも含めての個人的10大ニュースと捉えていただければ。

 

 

 

 

 

明確な順位はつけられませんが、第一位だけはハッキリしてます(笑)。

 

 

最大の個人的ニュースはやっぱり、9月25日の門入・戸入アタックでやらかした

人生初のガチ遭難これに尽きますな~。

 

奇跡的に怪我ひとつなく仕事にも支障なく、また警察など人様にご迷惑をおかけすることもなく切り抜けました。

ただ一人、ウチの奥様を除いては(笑)。

 

 

 

おかげ様で、当然ながら今なお絶賛謹慎中(活動自粛中)でございます。

 

 

 

すべては記事中で吐露しておりますんで付け加えることはありませんが、この後、やっぱりちょっと自分の中で変化した部分はあるような気がしますね。人生観が変わった、とまでは言えませんけども。無事生還したからこその、貴重な教訓となりました。

 

 

 

 

あとはまあ、話の流れで順に発表していきましょうかね。

 

 

まずはそうね~、4月から職場(勤務場所)が元の場所(京都)に戻りました。パワ●ラ人事(爆)にてちょうど一年間、兵庫県西宮市までトバされておりましたが、まあなかなかに辛かったので、戻れてよかった~。これは5位くらいかな。

 

で、それは良かったんですが、通勤が楽になった反動で体重が戻ってしまいまして。西宮まで通勤してる間はわりと絞れていて70kgを切ってたんですが、あっという間にターンオーバー(笑)。

無駄なお肉が付きすぎて動きづらいな~とかリアルに感じていたあの状態に戻りたくないと、人生で初めて真面目にメタボを気にし始めましたよ。毎日体重計に乗っておりますが、うーん、これは間違いなく10位ね(笑)。

 

 

 

で、この異動に伴い起こった変化により、わたくし的には青天の霹靂と呼ぶべきある現象が起こったんですよ。

 

 

実は自分の仕事のかたわら、わたくしの西宮の仕事の後任に入った、研修を終えたばかりの新卒二年目の女の子の面倒を見ることになりましてね。しかも、職務分掌的には決して「上司」ではなくって、かつ毎日会うわけじゃなく月に何度か、というビミョーな立ち位置で。

 

これは戸惑いましたね~。なにしろこの西宮でやってた仕事を除くと、わたくしの仕事は基本的に独りで動くものがほとんどで、後輩と…それもこんな年齢の離れた女の子の後輩とガッツリ絡むことはついぞなかったもんですから。なので最初はどういう距離感でどう接するか探りながらって感じだったんですが…。

 

で、「青天の霹靂」ってのがこっからなんですが、

なんとわたくしに、これまでに感じたことのない「父性」が発現してしまいまして(爆)。

 

 

 

この子のお父さんとわたくしが同い年ってことで、冗談で「娘」「お父さん」って呼び合ってたりしてたんですけど(笑)、これが同僚にも認知されるにつけ、普通に「クイックさん、娘さんから電話ですよ~」みたいな感じになり。んで、この子もいい感じになついてくれまして(笑)。

 

また、この子が「なんだか呪われてんのか?」と思うくらいに、公私ともにいろんな困難に見舞われましてね、それらから逃げずに一生懸命頑張ってる姿を見ておりますと、こう…父性が止まらなくなり(爆)。

 

可愛い子なんですけど、「若い子にモテたい」みたいなおっさん根性はどっかに行きまして、目線がもう「娘を見守り支えるお父さん」になってしまって、いや~トシですわ(笑)。

 

ウチは子供がいないんで、父性を意識する機会もなかったんですが、きっと娘がいたらこんな感じなんかな~、というのを疑似体験できたのは面白かったですよ(笑)。あと、若い子に色々教える機会を通じて初心に帰れるとか、刺激になるとか、マジなプラス面ももちろんありましたな。

 

 

ちなみに、例のガチ遭難の翌日の仕事って、この子と一緒だったんですよね。で、やっぱあんなことから生還すると誰かに言いたいじゃないですか(笑)。なのでこの子は、わたくしの趣味とガチ遭難のことを社内で知ってるたった二名のうちの一人だったりします。

 

 

 

まあこの子のおかげで、今年は楽しかったですよ。来年は今ほど絡まなくなると思うので普通に寂しがってたり(笑)。マジでお父さんやん(爆)。

 

 

 

こんだけ文字数を割いてるとおり、これは自分としてはかなり上位に来るべき驚きの大ニュースだったんですが、これを上回る事件が起こってしまったので、まあ3位…いや4位くらいかな。

 

 

 

 

 

 

その事件とは…ひとつは9月、大人になって初めて親友を亡くしたことですね。ちょっとだけ記事にもしましたが、彼とは高校時代から現在に至るまで、御嶽でのバイトもいっしょに行った仲でしたんで、衝撃でした。これが第2位ということになるでしょうかね。

 

 

第3位は、実家の両親が今年急速に衰えたことですね~。わたくし遅く産まれた子供なんで、父親はもうすぐ92歳、母親は87歳と高齢なのにもかかわらず、これまではかなり年齢の割には元気なほうだったんですが…。今年は夏に母が、その直後には父が、と二人ともにぶっ倒れて、搬送された病院に駆けつけるという事態が起こりまして。

幸いにもすぐに家に帰れる程度のことではあったんですが、さすがにトシもトシやし予断を許さないな~と思えてきましたね。親孝行するなら今のうちなのか、とか…。

 

 

 

 

 

つうわけで、1位が遭難、2位が親友の死、3位が両親の衰えと、トップ3は重い案件ばかり。4位が打って変わってなんじゃそれ?な娘ネタ。5位が仕事場が元に戻った件。

 

続く6位は…と考えると、

 

 

やっぱヤフブロ終了に伴ってのアメブロへの移動、ということになりますかね。これもほんとはインパクト大だったですけど…。

 

 

2013年3月1日から稼働開始したヤフブロ版「穴橋あれこれ」、今年2月(だっけか?)のサービス終了アナウンスで続けるモチベーションが失せ、移行ツールのリリースを待たず、無理くりアメブロへの引っ越しを断行。2019年4月1日から本格稼働を開始しました。おかげで今もまだチビチビとリンク張り直しを続けてますが…(笑)。

上のスクショの通り、8月5日がヤフブロへの最後の投稿となりましたね。12月15日いっぱいを持って完全削除され、この世からは消え去ってしまいましたが、わたくしの心の中では生き続けております。…えっ?寒い?(笑)

 

 

 

7位は…みなさんうんざりの(笑)BABYMETALですかね~。正確にはハマったのは2018年でしたが、アルバムをそろえたりしたのは今年で。

わたくしがここまでいちアーティストにハマり、久しくやったことなかったアルバム購入…しかも予約してまで。これは大事件でした。新しく出会ったものに対し、自分にこれだけの熱量が残ってたのが嬉しかった、という面もありやなしや。

 

 

 

 

8位はねぇ…苦手な方には申し訳ないけど、5月に初めてマダニに咬まれたことですかね。

 

わたくしいろいろ変なところを徘徊するわりにはさほど虫系にヤラレることは少なくて、ヤマビルも1~2回だけ、マダニについては一度もなかったんですが…。いや~、これはショッキングでしたよ。

記事を読んでもらえばわかりますが、何しろもらってきたと思われる日から6日も経ってたし、当然毎日フロも入ってるし服も洗濯してるしで、なのに普通に生き延びて食いつかれてたっていう不死身感がめっちゃ怖かったですよ。写真がなくて、皆さんラッキーです(笑)。グロかったっすよ~?

 

 

 

 

そして9位は、おらが町に、フィーレンディール橋ができたことですな。これも当初(橋好きとしては)非常にインパクトが強く、絶対ベスト5には入るだろうと思ってたんですが、その後下半期に大きなことが続いたので、まあこの辺かと。

 

で、10位はさっき書いたように、人生で初めてメタボに敏感になってるっていうほぼどうでもいい話(笑)。これで全10トピック、個人的10大ニュースでありました。

 

 

 

 

いや~、自分としては結構いろいろありましたよ。来年はもっとめでたい話、景気のいい話で個人的ニュースを紹介できればいいなあと思いました。

 

 

 

 

昨年初めてやってみた、一年の振り返り企画。まあまあイイ感じに記事になったんで、今年もやってみようと(笑)。今年は【探索/OFF篇】と【個人篇】に分けてお送りいたします。

 

まずはやっぱり【探索/OFF篇】からっすね~。

 

 

 

1月は特に何もなし。最初の特筆すべきイベントは、

2月17日、山神隊長企画に参加させていただいた、喜撰山ダム訪問OFF。

 

以前からブログ上でやり取りさせていただいていた山神さん、RKパパさんと初めてお会いしたのがこの時でしたなあ。記事にしてなくてサーセン(笑)。

 

 

 

続いて2月26日、長年のシバキ残し案件をやっつけた

神山発電所関連遺構探索

 

 

 

3月15日。さらにさら~に長年の…いや積年のシバキ残し、

京都市道小出石大布施線探索

 

 

 

続く3月19日。

春の「シバキ残し三連発」(笑)のトリを飾った、「高野発電所関連遺構探索」。

 

これまた記事にしてないのですが、古ネタ投棄に飽きたら、早いうちに記事にしたいな~と。ええ、繰り返しますが拙ブログでは一年以内のことなんて超フレッシュでございますよ(笑)。

 

 

 

4月27日~29日には、平成最後の遊撃@紀伊半島を。

行くたびに底なしを実感する深遠なる紀伊半島。この間のネタはいくつかやっておりますが、とりあえずダイジェスト(1日目2日目3日目)をどうぞ。

 

ここまでのところは素晴らしい充実度やったなあ…。

 

 

 

 

6月28日、我ながらビックリした、

滋賀の仁丹看板で、まさかの新発見。光栄であります(笑)。

 

 

 

 

しばらく遠出が叶わずにモヤモヤした後の7月27日~28日、

よととさん、宮川さんの師匠がたと行った、この趣味でほぼ初めての四国上陸となる高知~徳島遠征。一昨日のやつ含め、これもいくつかネタはやってるけど、ダイジェスト(1日目2日目)をどうぞ~。

 

 

 

 

これまた先日の記事で書いたけど、8月下旬からしばらくは仁丹看板に熱中。

 

中でも最高に感動した、9月3日の

お地蔵様に呼ばれた幻の仁丹看板。ある意味6月の新発見よりも感動したわ~。

 

 

 

 

 

9月25日。

運命の門入・戸入アタック

 

何が「運命の」だかご存知の方も多いとは思うんやけど(笑)、まあこれは【個人篇】に譲るとしまして。

 

 

 

 

 

11月2日。謹慎期間中(活動自粛ともゆう)ながらも

嫁さんに頼み込んで参加した、六厩川橋アタック。ご一緒した皆さんだけでなく、嫁さんにも感謝せねば。セネヴァ!翌日にはRKパパさんにお世話になりましたね~。

 

 

 

えぇ、以後、謹慎は継続してますぞ(笑)。

 

 

 

 

 

まあこんな感じで、充実の前半から衝撃の後半(笑)と、まあまあ激しい一年でありましたよ。明日の【個人篇】も併せて見ていただくと、まあいろいろとあったなあと。

 

 

 

とりあえず、【探索/OFF篇】はこんなところでありました~。

 

 

 

 

【2025年8月30日追記】

いただいたコメントを機に調べてみたら、隧道名称を間違えていた。「九人ヶ峠隧道」ではなく、正しくは『九人ヶ「塔」』隧道でした。記事タイトル含め隧道名部分はすべて「九人ヶ塔」が正しい。扁額なんてちゃんと「塔」って書いてあるのに…ポンコツですみません。追記終わり。

 

 

2012年7月1日、千載一遇のチャンスで敢行した、大分県探索。これまでに記事にしているのは、大坪の沈下橋大石峠隧道妙現宮の参道橋小城隧道元畑隧道丸塚隧道岳切隧道

今宵ご紹介するのは、探索終盤に訪ねた逸品…だったんだが、プチトラブルに見舞われた印象しか残っていない残念な物件でもある(笑)。

 

 

 

まずは、大分県道42号院内山香線の路傍に立てられていたこの看板。

まるで横溝正史先生の小説のような謂れが書かれた、その名も「九人ヶ峠(くにんがとう)」への入り口。向こうに見えているのは、その名も九人ヶ塔トンネルの東側坑口である。場所はコチラ

 

 

 

 

ここには、けっこう有名物件である「アレ」が存在する。地図にもしっかりと描かれてるが。

 

 

 

 

 

それを訪ねるべく、東側旧道からアプローチするとすぐに、

あからさまにアヤシイ場所が。この奥に間違いない。

 

 

 

 

 

 

時節柄、この程度の薮はどうってことない。かきわけると、

お出ました~。

 

 

 

 

 

 

喜び勇んで接近していたその時…

 

 

ッッ!

なんか知らんけど、ふとももの裏側ともおケツともつかないビミョーなところに、刺すような痛みが!

 

たぶん、なんかの虫に刺されたんだと思う。とっさに押さえたけど手ごたえがなかったんで、ヒット&アウェイで逃げられたに違いない。アブかなんかだと思うのだが、それにしちゃああまりに痛かった。キリをぶっ刺されたのかと思ったくらいに。

 

結果的にはさほど腫れ上がったりせず、大したことなかったんだが、刺された直後は痛いやら動揺するやらでテンションだだ下がり(笑)。あれは悲しかった…。

 

 

 

 

 

 

そんなテンションではあったけど、正対。

堂々たる総石造ポータル。植生が相当にうるさいが。

 

ちなみにこの隧道、土木学会選近代土木遺産Cランクに選定されている。

 

 

 

 

 

 

 

扁額。

右書きで「九人ヶ塔隧道」。その下には「大正二年竣功」と。

 

 

 

 

 

 

あいにく封鎖されてしまってるのだが、

そのせいで、なんか石アーチみたいに見えた。

 

 

 

 

 

 

 

そのアーチは、

けっこうなクタビレ具合ではあったが。

 

 

 

 

 

 

金網の隙間からのぞいた洞内。

おお…マジで総石造だ。

 

それはそうと、向こうの光の見え方がどうもおかしい。どうやら、向こう半分くらいは何かに使われているっぽい。

 

 


正直、足(ケツ?)の痛みで気もそぞろ(そんだけ痛かったと思いなされ・笑)、ここで探索を切り上げようかと思ったくらいだったが、

 

 

 

 

まあせめて反対側くらいは見とこうか、と…

とりあえず撤収(苦笑)。

 

 

 

 

 

 

ローテンションなので、全然写真撮ってないわたくし、

次の写真がいきなり西側坑口とか(笑)。
 

 

 

 

 

 

 

この西側は針金封鎖だけだったので、入ろうと思えば入れたが、とてもそんな気分じゃなかったので、

隙間からの撮影のみ。

 

いやマジで、この時点ではけっこうヤバイもん(スズメバチとか)に刺されたんじゃないかという心配が強くて、かな~り気もそぞろだったのだと思う。その後何をもって安心したのかとかは記憶が定かでないのだが。

 

まあそれはともかく、洞内には何らかの棚のようなものが設置され、やはり何らかの保管か栽培かに使われている(いた?)ようだった。

 

 

 

 

 

 

テンション低く、撤収(苦笑)。

気分的に、ここでもう探索は終了。

 

結局大丈夫ではあったけど、千載一遇の大分探索、なんとも締まらない終わり方でしたなあ(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

以上。

 
 
 
 

 

 

2019年7月27日、高知~徳島遠征初日。この日のネタで記事にしているのは序盤で訪れた個人的メインターゲットだった三子生隧道(仮)だが、今宵ご紹介するのはこの日の朝イチも朝イチ、集合場所である安芸市の「道の駅大山」へと爆走する途中に寄り道した物件。

 

 

 

 

この時点ですでに集合時間の7時に遅れそうやったくせに、

だって見えてしまったんだもの~(笑)。いかにも古そうな橋が。

 

場所コチラ。これは西側より。左側に並走する橋が、今爆走してきた国道55号の現道。位置的にはこの道、国道旧道であろうと思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

お名前は

「堀切橋」。

 

 

 

 

 

 

 

お誕生日は

「昭和十年三月架換」。おお、戦前橋だったか!

 

 

 

 

 

 

無理くりサイドぎみアングルで。

戦前橋であることも納得の、この欄干の低さ。わたくしの膝も超えられるか?くらいの。

 

 

 

 

 

 

後付けの金属欄干、興醒めではあるけど、

こういう「改修されて生き延びてる」感も、これはこれで決してキライではない(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

橋上より望む下流側。

川の名は和食(わじき)川。向こうに見えるコンクリート橋梁は、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線のもの。その先の堰の向こうは太平洋が広がっているはずだ。

 

 

 

 

 

 

それにしても、地味にこの欄干、個性的だ。

束柱の間に長方形の開口部が四つ、上、下、下、上と配置されていて、これが連続することでリズミカルかつ軽やかな印象を醸し出している。

五線に書かれた音符のように。なかなかポップなデザインだと思うな~個人的に。

 

 

 

 

 

 

東側より。

西側と同じく、4.0t制限標識が。親柱は片方が失われていた。

 

 

 

 

 

 

 

残った一本には…んんん??

なんと刻まれてる?「ほ里きりはし」かなあ?

 

 

 

 

 

 

最後にもう一度、無理くりサイドアングル。

「架換」とあったが、先代橋の痕跡は見られない。

 

華奢な橋脚ではあるけど、あれで問題なかったからこそ今日までもってるわけで。この橋に架け換えられた昭和十年当時としては、立派な橋だったのだろうなあ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

イカン、ひたってるバヤイではない(笑)。

 

 

 

 

 

まあ、結局遅刻した(笑)。ダメ人間ですすいません。

 

 

 

 

 

年末に一発、進捗の整理がてらに滋賀の仁丹看板ネタを。

 

 

2019年8月24日、車で実家に行くついでに懸案だったあのエリアの仁丹看板をチェックしに立ち寄った。

 

結果、

あれ?見つからない?と焦ったところで見つけた。

 

 

 

 

はい、

「山中町」いただきました!

 

車に乗ったままでゆっくり流して見つかったのでラッキーだったが、実は先人の成果によると、この山中町にもう一枚存在するはず。これは徒歩でじっくり探さないと見つからないか、あるいは(残念ながらこっちのほうが可能性が高そうだが)撤去されてしまったか。まあこれは宿題やな。

 

 

この日を皮切りに、その後10月初旬にかけて集中的に仁丹看板ハントを敢行(記事にしてるのは今んとこ感動的なコレだけ)した。

 

というわけで、この結果を受けての進捗は以下の通り。

 

1、膳所網町 現地確認済み

2、新栄町 現地確認済み

3、上馬場町 (現地確認済み、記事未)

4、元会所町 現地確認済み

5、上京町 (現地確認済み、記事未

6、山中町(A) (現地確認済み、本記事

7、雄琴千野町 (現地確認済み、記事未

8、東浦垣内町 (現地確認済み、記事未

9、神出小関町 (現地確認済み、記事未

10、船頭町 (現地確認済み、記事未

11、柳町 (現地確認済み、記事未

12、膳所大津町 (現地確認済み、記事未)

13、膳●●● 現地確認済み

14、大石曽束町 (現地確認済み、記事未)

15、田上森町 (現地確認済み、記事未)

16、田上石居町 (現地確認済み、記事未)

17、田上稲津町 (現地確認済み、記事未)

18、山中町(B) (探索するも不明)

19、東上栄町 (探索するも不明)

20、南滋賀町 (不明)

※現地確認済み分は、確認した順

 

 

10月初旬の大石・田上方面ハントで無事4枚とも発見できたことで大きく進捗、過去に確実に確認された20枚中残るは3枚となった。しかしもう、こっからは困難を極めそう。南滋賀町とか、どこを探していいのやら…つうか実際のところ、3枚ともすでに現存しないような気もしているのだが…。事実、大石曽束町とか、極めてヤバイ状態やったしなあ。

 

 

 

まあ、調査は諦めない。2020年に持ち越し決定。