2019年3月15日、35年以上前(!)から知っていたのに放置していたネタを、ついに回収してきた。
早いトコ記事にしようとしていた矢先に「例のヤフブロ騒動」が降って沸いたので、しばしお蔵入りしていたが、ここで記事にしておく。それは、未成道路。
その名も、「京都市道小出石大布施線」。
小出石(こでいし)は左京区大原に、大布施(おおぶせ)は左京区花脊にそれぞれ位置している。いずれも国道422号の路線上となるが、この間はあの「百井別れ」を含む、基本的に1~1.5車線の屈曲路が続く酷道区間であり、この市道はそれをショートカットする、言わばバイパス的性格を帯びたものだった。後ほど概念図を提示する。
今回のネタには、過去記事で2回ほど微妙に触れている。ひとつは、花脊大布施の石アーチ橋。最初の写真あたりで、このネタのことに触れている。この橋、ちょうど入口(未成道的には終点)のとこにあるから。
天気さえ良ければ、この日(2016年4月17日)に探索を行ってたはずだ。
それともう一つ、こっちのほうが関わりが深いので、ぜひ予習としてご覧になっといていただきたいのが、大原百井町の未成道【3】。
今回のネタと「一続きになるはずだった道」、つまり京都市道小出石大布施線の一部として建設された道のお話である。
そこでも小物感満載で(笑)書いてるのだが、わたくしが提供したこのネタを取材したヨッキれん氏が、「廃道をゆく3」でその成果を執筆されている。今回の記事においても、そちらを最大限(爆)参照させていただくので、わたくしが現地で見たもの以外の様々なデータはすべてそこから得たものである。ネタ元として(笑)、調べていただいたヨッキれん氏に感謝。
さて、一応前説として、当該記事でも使った全体の概念図を。
めんどくさくて作り変えていないので(笑)、「現在地」の位置がおかしい。
本記事での「現在地」は、左上の「大布施側終点」のところである。
ゼンリン地図ではコチラ。
わたくし京都市左京区の田舎育ちなのだが、高校生のころにはこの道のことを知っていた。「作ってる途中に工事が止まった道」として。もちろん当時こんな趣味はなかったのだが、たぶん家での会話で知ったのか…。ある程度ウチの実家界隈では知られた存在と言うか、工事が止まったってことにインパクトがあったのだと思う。
ヨッキれん氏によると、「工事が始まったのは1981(昭和56)年で、4年後の供用を目指していた」が、「大見地区から小野谷峠にかけての計画路線上に貴重な湿原があることが問題となり、1990(平成2)年にいったん工事は中断された」とのこと。当時、その理由として「工事エリアで絶滅危惧種の鳥類がどうたらこうたら」(笑)と聞いていた気がするのだが、どうやらわたくしの記憶違いか、ウソを教えられたかやな(笑)。
工事中断した1990年といえばわたくしもう大学生だったが、先述のとおり、高校生のころにはすでに「工事が止まった道」として認知していた気がするのが引っかかる。これまた記憶違いか、あるいは正式な中断よりもだいぶ以前に、実態として工事がストップしていたか。これはおそらく後者じゃないかと思う。…知らんけど(笑)。
そんな昔から知っていたその道、この趣味にハマってからも、たびたび思い出し、機会もいくらでもあったのだが、これまさに近場の甘え=「いつでも行けるからいつまでたっても行かない」の法則にドハマりして、スルーし続けてきた。これを、この春思い立って、ようやく重い腰を上げた次第。
つうわけで、2019年3月15日。旧・二ノ瀬橋を久々にシバいてからやってきた、
青看に完全無視されたこの正面の道こそが、幻の「市道小出石大布施線」の着工済区間であり、この奥およそ2.1kmにわたって続いている(これは地図にもはっきりと描かれている)。ちなみに、工事中断の原因となった湿原があるエリアは、この着工区間末端からすぐ先のところである。
また地図を見ると、未成道路と絡むように、一本の細道が描かれている。この道についても、併せて調査する予定としていた。
この調査においては、やはり威力を発揮するであろう…と投入した、
少なくとも戻りにおいては、ビャーッと(笑)快適に戻ってこれるはずである。その爽快感も楽しみだった。
出発前に
旧・京路橋にご挨拶だけ済ませて、準備はオッケイ!
さあ、今日こそは、この奥をいよいよ究めてやるのだ。
待っておれ。
【1】に続く。