穴と橋とあれやらこれやら -300ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

2016年5月2日、石川県シバキまわしツアー2日目。この日のネタで記事にしているのは、宮島隧道大岩橋梁。今宵ご紹介するのは大岩橋梁の48分後に訪ねた、昨日に続いての頌徳碑物件である…ってそんなジャンルないし。

 

実はここ、初訪問は2012年だったりするのだが、その時は暗すぎてろくに撮影できなかった。なので、ちょうどこの日の通りすがりに宿題を片付けた感じ。

 

 

 

まずはこちら、石川県道213号仮生堅田線は地代町地内。

一見面白くもなんともないボックスカルバートが登場~。場所はコチラ

 

 

 

 

 

これが今宵のお題、

地代隧道である。前回暗い中で見た姿が思い出された。懐かしいなあ。

 

え?期待できなさそう?まあ…間違ってはいない(笑)。

 

 

 

 

 

ポータル…つうか坑口左脇にさりげなく建つのは

石川県による工事標柱。曰く

「工事名 防雪工事 延長31.0M」「昭和六十三年三月完成」と。

 

 

 

 

この防雪工事31.0Mとは、すなわちボックスカルバート部がスノーシェッドとして昭和末期に後付けされたことを意味しており、

 

カーブしながらのその奥に、

こうしてオリジナルのポータルがある。

 

 

 

 

 

カーブがきついので、

ミラーが設置されているのは、まあ当然か。

 

 

 

 

 

実は洞内に進入する前に、上に登ってこのオリジナルポータルを確認してきていた。

 

それがこちら。

一文字ずつの扁額が抜き取られたポータル最上部だけが顔をのぞかせていた。抜き取られた扁額は、先ほど見たボックスカルバートに移設されているものだと思われる。

 

 

 

 

 

隧道とシェッドの継ぎ目からの振り返り。

外にピントを合わせたら真っ暗になってしまったが、結構好きな一枚。

 

 

 

 

 

というところで、車で抜けてきまして、

これが、オリジナルと思われる西側ポータル。

 

長じてオーラをまとうようになったコンクリポータル、実にキライではない(笑)。

 

 

 

 

 

実は初訪問の2012年4月29日はこちらから来たのだった。その時の写真がこれ。

時刻は3時20分(爆)。ダメだこりゃ…。

 

 

 

 

 

 

おまけで、

その時撮った洞内写真を一枚だけ…。

 

 

 

 

 

こちらも一文字ずつの扁額。

写真を見比べてみたが、同一人物による揮毫のよう。

 

 

 

 

 

で、こちらは

ポータル向って左におわしたお地蔵様…なのか?違うような?

 

なんか見たことないお姿をされてるような…。よくよく見て来なかったのが悔やまれる。このへんの知識も付けたいなあ…。

 

 

 

 

 

ところで「密集系」が苦手な人って、

こういうのもダメなんだろうか(笑)。

 

 

 

 

 

西側の、鉄板の構図。

いいなあ、好きな感じの景だ。開放的で。

 

 

 

 

 

さてこの隧道西側、ノートさんが停まってるところに、

このような立派な石碑があった。前回は暗くてまったく気づいてなかったものだ。

 

 

 

 

 

早速チェックしてみると

「本田傳太郎君之碑」。

おお、これは個人の頌徳碑。隧道掘削に尽力した人物なのだろうか?

 

記事を書くにあたって改めてよく見直して…さりげなく左側に刻まれた文字が。これにはいささか驚いた。

「鐡道大臣従三位勲二等 中島知久平 書」。

 

中島は第一次近衛内閣で鉄道大臣を務めていた昭和十三年にこの碑を揮毫したようだが、(失礼ながら)この辺境の地のいち個人を讃えるにしては、いささか大物すぎないか?当時としてはそんなもんなのか?しかもなぜ「鉄道」大臣?

 

石碑下部に記された碑文(後ほどご紹介する)を読んでも、その疑問は払拭されなかった。もしかしてこのあたり出身とか、ゆかりがあるのかも、と、その辺も含めてウィキ先生にお訪ねしてみたが、そういうこともなさそう。

 

ちなみにこの中島氏、実は現SUBARUの創始者だったり、日本人三人目の飛行士免状取得者だったりとなかなか面白い経歴の人物だった。ご興味あれば→ウィキ先生

 

 

 

 

 

で、これが碑文。

めんどくさいが(笑)少しやわらかく書き起こしてみよう。

 

道路開鑿記念

氏は多年地方發展に盡(つく)し交通道路の開鑿に努め殊に深谷線の改修に際しては五ヶ年間殆ど寝食を忘れて奮闘し其の開通を見るに至らしめられたる功績實(じつ)に顕著なり

(しめすへんに乃)って區民一同深く感謝し氏の其の労に報ゆる爲(た)め茲(ここ)に此の碑を建設す

昭和十三年八月建設

 

という内容で、下部には「工事世話人 建立者」として、朝日區、地代區、千杉區、向山區という四区から計六名の氏名が刻まれている。

この県道がかつては「深谷線」という名称だったと思われ、実際隧道からこのまま西へ1kmほども下れば、深谷町という地区がある。朝日、地代、千杉という区名は、逆に隧道東側に見つけることができる(朝日は加賀朝日町として)。向山に関しては、見つけられなかった。

 

本田傳太郎という人物については、検索しても思わしい情報はヒットしなかった。碑文のとおりこの地域の交通発展に尽力した人物ということだが、地元の人なのかとかそのあたりは触れられていない。なんにせよ、こうして碑まで建つっていうのは、よほど素晴らしい貢献・功績を上げた人物だったに違いない。

 

ちなみに隧道そのものは、「平成16年度全国道路施設現況調査」「隧道データベース」「全国隧道リスト(「山形の廃道」様ご提供)、すべて昭和40年の建造となっている。碑文も隧道建造には一切触れていないため、どうやら隧道そのものは昭和十三年の建造ではなさそう。石碑は、隧道完成時にどこかからこの場所へ移したのだろうか?

 

 

 

 

 

でもなあ。この位置を見ると、

隧道ができた時に建てられたと思いたくもなるんよねぇ…。

 

実は昭和40年って、改修された年だったりするのかも?そういうことってよくあるから。ただ、一方で碑の造りがそこまで古くも見えないのも確かなんやけど。

 

 

 

 

ああでも、わたくしにはこれが限界だ(笑)。どなたか机上調査をたのm(ry

 

 

 


 

以上(笑)。

 

 

 

2014年1月3日、年始一発目の紀伊半島彷徨1日目。この日のネタで記事にしているのはひや水中バス停城山洞冷水第一隧道富士大崎隧道逢井隧道白崎隧道

 

今宵ご紹介するのはそれらより後に訪ねた、土木遺産物件。

 

 

 

まずはコチラ、

みんな大好き、超わかりやすい新旧並列(笑)。

 

こういうのいいよね~。場所コチラ

 

 

 

 

 

もちろん?お目当ての物件は、向って左の旧隧道なのだが…

残念!金属フェンスで完封されている。

 

 

 

 

 

極めてシンプルなコンクリートポータル、その狭いおでこに掲げられた扁額には

右書きで「瀧原洞」と。

 

左端にも何か刻まれており、「三年」とか「村長」という文字が見えるのだが、写真のヘボさゆえ全文が判読できない…(泣)。

 

 

 

 

 

入れないのはもちろん残念だが、

洞内が見える状態にしてもらっているだけでもありがたや。

 

コンクリブロックで巻かれているが、その奥の中央部は素掘りのように見える。見たところ通行に全然問題ないように思えるが、あの素掘り部分で不具合があるのだろうか。

それにしてもなかなかの狭さだ。現代の目では歩行者用トンネルにしか見えないが、当然ながらそうではなかった。

 

 

 

 

 

ここではこれ以上何もできないので、

となりの現隧道で反対側へとまわる。

 

 

 

 

 

ちなみにお名前は、

新滝原隧道。

 

銘板もなにもないのだが、「平成16年度全国道路施設現況調査」によると昭和46年製。それまでは先ほどの旧隧道が車を通していたわけだ。

 

 

 

 

 

で、まわり込んだ反対側には、

アイテムが多数存在していた。

 

 

 

 

 

まずはこの石碑。

奥に隧道が見えている。

 

 

 

 

 

そして親切にも

それを読み下し文で表記した説明看板も!

 

内容は各自お読みいただきたい(笑)が、要はこの隧道掘削を含めて地域に多大な貢献をした谷口又吉氏への感謝を刻んだ、いわゆる頌徳碑だった。又吉翁はこの地出身で、若くして大阪に出て成功した、そして愛郷心に富んだ、いわば地元の名士という存在。昔はこういう人が各地にいたのだろうなあ。

こういう石碑、大好きだ。

 

そして地元の「瀧原區民」がこの碑を建立したのが昭和三年九月、となっているが、そうであれば先ほど扁額で判読できなかった年号も昭和三年ということになるんだろう。

 

 

 

 

ちなみに説明看板の足元には

こんな手書きの地図も。

 

 

 

 

 

さて、

この予備知識を携えて、隧道へ。

 

 

 

 

 

正対して気づいた。


パイプ椅子…じゃなくってこっちはポータルもコンクリブロック積みだ。

 

…と思って先ほどのポータル写真をよく見直せば、あちらもコンクリブロックだった(笑)。出も心なしか、表面にはモルタル補修が施されているようにも見え、きれいには露出していない?

 

 

 

 

 

これがオリジナルで、さっきのは改修された姿だったのか。

よく見ると、かつて何らかの標識を留め付けていたとおぼしきボルトの痕跡が残っている。

 

 

 

 

 

 

 

さて、予備知識を持って扁額を見ると…

確かに「昭和三年九月」と見える。残念ながら村長名は相変わらず判読できず…。

 

 

 

 

 

 

フェンスにも扉はついていないので、まさにもう開放する気がないという封鎖。

 

集落からは旧隧道の方が使いやすい位置に思えるし、自転車・歩行者用として使われていてもおかしくないのに、

それでも封鎖されてしまっているというのは、なにか重大な懸念が発生したのか、あるいは保守コスト面での判断があったのか…。

 

 

 


事情はわからないが、きれいに片付いたポータル前までの道も含め、全体的にとてもしっかりと手入れされていて、地域から愛情をもって遇されていることがよくわかる。

 

説明看板の設置を見ても、それは明らか。

こういうのはこちらもなんか嬉しくなるな~。

 

 

いや、なかなかいいものを見せていただいた。

 

 

 

 

以上。

 

 

 

ようやく長かった梅雨が明けましたね~。あっという間に一転して真夏。コロナ禍とあいまって体調を崩しやすそうですが、このご時世、うかうか発熱もできませんぞ(笑)。普段にも増して、体調管理には気を配りたいところです。

 

 

てなわけで(どういうわけだ)、

「酢」です。

 

 

夏場はさっぱりと酸味のきいた食事が美味しい季節。飲むお酢なんかもイイですな。ダイエット効果、疲労回復効果、血糖値上昇抑制、整腸作用なんかが期待できるようです。あと、お酢には抗菌効果もあるんだとか。コロナは菌じゃなくてウィルスなんでまあ効かないでしょうけど、大腸菌とかサルモネラ菌とか、まあそういうやつですね。拾い食いする人に打ってつけですね~(ヲイ

 

 

 

いやマジで、直近でウチの職場でも発熱が続いてPCR検査を受けた人が出ましてね、わたくしは出張に出てて接触してなかったんですが、事務所はプチパニックでした。幸いにも結果は陰性だったということでまずは一件落着だったんですが、それでも結果が出るまでは接触した人間は自宅待機(在宅勤務)になったり、影響はドンと出ました。

ほんと、検査結果に関わらず、体調を崩しただけでも職場に影響を出してしまうので、これはもう大変な世の中になってしまったなあ、ということでね。

 

 

だから、大事ですよ体調管理は。

 

 

…という、案外マジメな記事でした。いや、バス停記事なんだけれども(笑)。

 

 

 

 

 

今宵ご紹介する橋は、想い出の橋。

 

知ってる方は知ってるとおり(笑)、わたくしはかつて毎年木曽御嶽夏山のバイトに赴いていた。当時は橋にも隧道にも興味はなかったが、それでもこの橋は印象に残っていたので、後年再訪した時には感慨深いものがあったな~。

 

 

 

 

2014年7月19日朝、5時56分。この時間ながら、すでに川合隧道をシバいてきてるが…(笑)。

 

これが、

想い出の景なんだな~。

 

学生のころはコレがなんだかわからなかった。もちろんこの趣味を嗜むようになった目で見れば、先代橋のものと思われる吊り橋主塔遺構であることは明白だが、当時はこの魅惑的な構造物に、なんか魅せられていたものだった。思えば当時から素地はあったってことかな(笑)。

 

それにしても朝靄に浮かぶ主塔、幻想的だ。

 

 

 

 

 

 

そのモノトーンな主塔と、

現橋の朱色アーチとの対比が鮮やか!

 

改めて、場所コチラ。写真は東側より。

 

 

 

 

 

 

 

お名前はタイトルどおり大島橋だが、

この親柱形状、ありそでなさそなヤツやな。

 

 

 

 

 

 

 

さりげな~く、

装飾的で。

 

 

 

 

 

 

 

銘板があった。

見にくいけど、1958年3月とある。撮り方が(角度が)悪く、製作会社は判読できず…。

 

 

 

 

 

 

ワンスパンでまたぐランガー橋ゆえ、けっこう大きなアーチなんだが、

改めて見ると、幅員狭いなあ。普通車同士の離合でギリやな。

 

 

 

 

 

 

 

橋上から望む、コチラ上流側。

川幅が広がって常盤ダムのダム湖的な感じになっているが王滝川に架かる橋である。

 

 

 

 

 

 

こちら下流側。

幻想的な川面がいいね~。なぜここで主塔遺構も撮らなかったのか謎だが…。

 

 

 

 

 

 

これは2008年8月13日、学生時代以来約20年ぶりに御嶽に帰ってきた際に撮ったもの。

あれに登ってみたいけど、無理ね(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

渡って西側より。

そういえば書き忘れてたが、この道は長野県道256号御岳王滝黒沢線。

 

 

 

 

 

 

 

 

カナ表記のお名前と、

 

 

 

 

 

 

 

お誕生日。

「昭和三十三年九月竣功」。あれっ?先ほど銘板では3月ってなってたような?

 

…と思って写真をよく見返したら、ちゃんと9月と読めた(笑)。

 

 

 

 

 

 

西側からの、旧橋遺構。

三径間で中央スパンが吊り橋ってパターンですな。主塔の意匠を含め、わたくしの好きなヤツだ(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと角度違いで。

これも2008年8月13日撮影のもの。どっちも真夏だけど、時間帯でテイスト違うな~やっぱり。

 

 

 

 

 

 

 

そして最後の写真も、2008年モノで。

冒頭の写真とほぼ同アングルで〆るっていうね。

 

 

この大島橋、ここのおよそ20分後に訪ねた旧・六段橋(もちろん当時は旧ではなかった)、花房隧道(もちろん当時は廃ではなかった)と並び、お山への行き帰りでとっても印象に残っていた。六段橋~花房隧道はそのダイナミックさと線形のインパクトによって、そして大島橋については…「区切り」感かな。

往路の場合は、この橋の手前で御嶽黒沢口、開田口(旧三岳村、開田村)への道を分ける。つまり「王滝村に向かうためだけの道」の真の入口がこの橋なので、「今年も来たなあ~」と。帰りには逆に、「あ~、王滝とお別れやな~」とね。神社でいえば鳥居みたいなもんかな。

 

 

そんな意味で、想い出の橋、なのだった。

 

 

 

この日のネタで他に記事にしてるのは、氷ヶ瀬隧道小谷沢の水路橋オケジッタバス停日和田3号トンネル舟渡橋松橋十三墓バス停といったところ。

 

 

 

 

以上。

 

 

 

こういうテイスト、けっこう久々だと思うんだが、今宵はインパクト勝負の一発ネタで。

 

 

どうでしょう?

どうですかこれは?

 

 

 

ロケ地:神奈川県南足柄市某所