2014年1月3日、年始一発目の紀伊半島彷徨1日目、さらにその朝一番に訪れた物件。つまりは2014年探索のトップバッターだったことになる。
海南市内のコンビニ駐車場で夜営(クッソ寒かった)、そこから
最寄りのこの隧道へとやってきた。場所はコチラ。
まずは黒江側より。
ご覧のように海南市街地に張り出した城ヶ峰の山裾を貫く隧道で、坑口のすぐそばまで民家がある。わたくし好みの「市街地にある古めの生活隧道」にバッチリ当てはまる物件(笑)。
ちなみに昭和27年の竣工だが、それに相応しいクラシカルな印象。
その印象を強くするのが、
この扁額。
「和人治地」と刻まれている。戦後なんで右書きではないと思うのだが、調べてみても意味がよくわからなかった。
どうやらホンモノの切石っぽい、重厚感漂う要石や迫石も素敵だ。
隧道を抜けてやってきた
コチラ、日方側。
大げさなものは何もないけど、そのシンプルさが好ましい。
こちらの扁額が
「城山洞」。
いいね~この「洞」。「隧道」よりワンランク上のプレミアム感が(意味不明)。
それで、ですね…。この時には想像もしていなかったのだが、
その後この隧道、ガッツリ改修されてしまったみたいで…。
(証拠写真↓※ネットからお借りしました)
ガーーーン!!
コレは2枚上の写真と同じ、日方側。うわ~なんて味気ないトンネルになってしまったの~(泣)。
どうやら訪問の5ヶ月後、2014年の6月から通行止めとされ、拡幅改修を受けていたようで、再開通したのがほぼ1年前、2015年5月24日だそう。
城山「洞」から城山「トンネル」に…うーん、格付けが3ランクくらいダウンした感(笑)。
せめてかつての姿を、
こうして記録に残せて良かったと思うしかないなぁ…。
このように、かつての日方側坑門脇には
密やかな小径がついていて、
隧道上に登った先には、
こういう謎の廃屋?があったのだが…。
当然とっくの昔に取り壊されただろうな~…。
隧道脇の小径から眺める、
隧道の日方側。
この街並みに旧隧道はとてもマッチしていたんだけども…。これもまあ世の流れ、仕方ない。
一つだけ気になるのは、旧隧道の扁額はちゃんとどこかに保存されているのだろうか?
60年以上地域交通を支えた旧隧道に対し、せめてそのくらいの気持ちは手向けてあげてほしいものだが。
以上、完結。