2014年1月3日、年始一発目の紀伊半島彷徨1日目。この日のネタで記事にしているのはひや水中バス停、城山洞、冷水第一隧道、富士大崎隧道、逢井隧道、白崎隧道。
今宵ご紹介するのはそれらより後に訪ねた、土木遺産物件。
まずはコチラ、
みんな大好き、超わかりやすい新旧並列(笑)。
こういうのいいよね~。場所コチラ。
もちろん?お目当ての物件は、向って左の旧隧道なのだが…
残念!金属フェンスで完封されている。
極めてシンプルなコンクリートポータル、その狭いおでこに掲げられた扁額には
右書きで「瀧原洞」と。
左端にも何か刻まれており、「三年」とか「村長」という文字が見えるのだが、写真のヘボさゆえ全文が判読できない…(泣)。
入れないのはもちろん残念だが、
洞内が見える状態にしてもらっているだけでもありがたや。
コンクリブロックで巻かれているが、その奥の中央部は素掘りのように見える。見たところ通行に全然問題ないように思えるが、あの素掘り部分で不具合があるのだろうか。
それにしてもなかなかの狭さだ。現代の目では歩行者用トンネルにしか見えないが、当然ながらそうではなかった。
ここではこれ以上何もできないので、
となりの現隧道で反対側へとまわる。
ちなみにお名前は、
新滝原隧道。
銘板もなにもないのだが、「平成16年度全国道路施設現況調査」によると昭和46年製。それまでは先ほどの旧隧道が車を通していたわけだ。
で、まわり込んだ反対側には、
アイテムが多数存在していた。
まずはこの石碑。
奥に隧道が見えている。
そして親切にも
それを読み下し文で表記した説明看板も!
内容は各自お読みいただきたい(笑)が、要はこの隧道掘削を含めて地域に多大な貢献をした谷口又吉氏への感謝を刻んだ、いわゆる頌徳碑だった。又吉翁はこの地出身で、若くして大阪に出て成功した、そして愛郷心に富んだ、いわば地元の名士という存在。昔はこういう人が各地にいたのだろうなあ。
こういう石碑、大好きだ。
そして地元の「瀧原區民」がこの碑を建立したのが昭和三年九月、となっているが、そうであれば先ほど扁額で判読できなかった年号も昭和三年ということになるんだろう。
ちなみに説明看板の足元には
こんな手書きの地図も。
さて、
この予備知識を携えて、隧道へ。
正対して気づいた。
パイプ椅子…じゃなくってこっちはポータルもコンクリブロック積みだ。
…と思って先ほどのポータル写真をよく見直せば、あちらもコンクリブロックだった(笑)。出も心なしか、表面にはモルタル補修が施されているようにも見え、きれいには露出していない?
これがオリジナルで、さっきのは改修された姿だったのか。
よく見ると、かつて何らかの標識を留め付けていたとおぼしきボルトの痕跡が残っている。
さて、予備知識を持って扁額を見ると…
確かに「昭和三年九月」と見える。残念ながら村長名は相変わらず判読できず…。
フェンスにも扉はついていないので、まさにもう開放する気がないという封鎖。
集落からは旧隧道の方が使いやすい位置に思えるし、自転車・歩行者用として使われていてもおかしくないのに、
それでも封鎖されてしまっているというのは、なにか重大な懸念が発生したのか、あるいは保守コスト面での判断があったのか…。
事情はわからないが、きれいに片付いたポータル前までの道も含め、全体的にとてもしっかりと手入れされていて、地域から愛情をもって遇されていることがよくわかる。
説明看板の設置を見ても、それは明らか。
こういうのはこちらもなんか嬉しくなるな~。
いや、なかなかいいものを見せていただいた。
以上。