このシリーズ、基本的にこういうのやらないのだが。
建物のつくりからして、おそらくは民宿か小規模な旅館だったものと思われる。
廃墟自体決して嫌いではない。でも産業系じゃないこの手のやつは、いろんな意味で怖くて入れない。
廃隧道なら全然平気なんだけども。
こういうのやらないと言いつつやった【52】と同じく、これは明日からのあるネタの導入として記事にしたもの。どんなんかな~?
期待せず、お待ちを。
このシリーズ、基本的にこういうのやらないのだが。
建物のつくりからして、おそらくは民宿か小規模な旅館だったものと思われる。
廃墟自体決して嫌いではない。でも産業系じゃないこの手のやつは、いろんな意味で怖くて入れない。
廃隧道なら全然平気なんだけども。
こういうのやらないと言いつつやった【52】と同じく、これは明日からのあるネタの導入として記事にしたもの。どんなんかな~?
期待せず、お待ちを。
2023年1月23日、最強寒波に備えて前倒しで滋賀から東京に戻る際に、気になっていたJR横浜線相原駅付近のいくつかのポイントを、途中下車してチェックした。
ダイジェストは、やるほどでもないので割愛するが、今宵はメインで見たかった橋をご紹介。
いくつかのポイントを回ってから、都道47号八王子町田線の信号を渡り…
あれだ。あれがストビューでビビビときたステキ橋。
正対にて、ドン。
まさに我がストライク。ザ・昭和なコンクリート橋。現在地こちら。
昨日のネタと同じくここも川が境界となっており、その名もまさに境川。今いるのが東京都町田市、対岸は神奈川県相模原市となっている。
ちなみにQ地図様によれば、管理は相模原市が行っているようだが、拙ブログでは当日自分がアプローチした側で記録するというマイルールがあるので、東京の記事リストにて掲載することとする。
さらに余談。記事を書くにあたって気づいたのだが、町田市ってめっちゃ変な形してるなあ。どういう歴史的変遷でこういう形になったのやら。
さて、お名前は、
𠮷田橋。
ちなみに下の横棒が長い「𠮷」って環境依存文字なのだが、ここは「吉」に逃げず、親柱に忠実に表記したい。
…という気概(笑)はあったのだが、この文字だと記事タイトルでは表記されず、単に「田橋」となってしまうようなので、やむを得ず「吉」を使った。
お誕生日もちゃんと残っていて、ありがたい限り。
「昭和十二年八月」。戦前橋だ。
下流側高欄。
金属フェンスは当然後付けだろうが、それさえもナカナカな錆びっぷり。さらに年季入った感を強調するような。
下流側からのサイドアングル。
いやあ、よくぞ現役で。
橋を渡り、
神奈川県の人になって正対。
こちらも左側の親柱は、お誕生日。
こっちのほうが判読しやすいな。
で、右側は…って、
「危険」とは、橋自体のことでなく、親柱とガードレールの間の隙間が人が転落できるほどに広いから…だと思う。
この親柱は橋名のかな表記だったのだが、
「たはし」しか判読できないんだが。
つうかこれ、親柱上部、かなり昔に補修されてる?とか思えるほどに、文字の陰影がいまいち感じられない。「たはし」は比較的読み取りやすいのに。
ちなみにQ地図様によればこの橋、「きったはし」だそうだ。「よしだ」ではないのですな。
こう見えて、相模原市の橋梁点検結果判定は「2」(予防保全段階)。
「3」(早期措置段階)ではなかったようだが、点検実施は平成27年度とけっこう前。次回の点検結果次第では、架け替えが議論される能性がある。
やむを得ないことではあるが、少しでも長く現役を続けられることを願う。まずは2025年の米寿を目指して…(笑)。
以上。
2018年9月11日、四府県周遊ソロ徘徊。この日のネタで記事にしているのは、圧倒的メインターゲットでありながらもいわくつきなコレのみ。
今宵ご紹介するのは、この日の午後に通りかかったわたくし好みの橋。
さっそく、ドン。
奈良県道127号北野吐山線を北上していて通りすがった。場所はこちら。
地図で明らかなように、この川(深川という)が奈良市と山添村の境界となっている。これは山添村側から。
わたくしのどストライクなお姿にソッコーで停車。したものの…ああ、銘板が失われているパターンのようだ。
なので名称不明のままだったのだが、いつものように愛と信頼のQ地図様でお名前判明。「足渡(あしわたり)橋」だそうだ。
サイドアングル気味に…
撮って、思わず二度見。あった!隠し銘板。
あ、隠し銘板ってわたくしが勝手に読んでる呼び名なので、公式ではない。悪しからず。
そこには、
「工事請負人 奈良 尾田組」と。おぉ!これは嬉しい。
上流側よりサイドアングル。
深川に対して斜めに架かっているため、少々高欄がずれている。
こちら上流側高欄。
極めてシンプルだが、それがいい。
そしてこの下流側の高欄だけ、
あの「オレンジのやつ」が。なぜこちら側だけ?
「オレンジ色の苔」と書いてしまおうとしてふと調べてみたら、我々の趣味でよく目にするこいつは、苔じゃなくて実は「スミレモ」という藻の一種なのだそう。緑色で水中に繁茂するという「藻のステレオタイプ」から逸脱するニクイ奴である。
くりかえすけど、なぜに下流側にだけ?不思議~。
奈良市側より正対。
で、こちらにも左側親柱の側面に隠し銘板があった。
そこには…
「昭和四年七月架換」。ヤッター!お誕生日判明!
昭和ひとケタ橋、しかも「架換」ということで、確実に先代以前の橋が存在したわけだ。この架換時期を考えると、銘板は戦時中の金属供出で失われたのだろうか。側面の小さな隠し銘板は見逃された?見落とされた?
詳細は不明だが、隠し銘板だけ生き永らえていたことはちょっとしたプレゼントだった。
記事を書くにあたり、山添側の隠し銘板にあった奈良の尾田組をググってみた。すると、今でも盛業中であることがわかった。しかもこの尾田組、創業が天保元年だというから驚いた。
該社のHPメニューから「土木」をクリックして見ると、この橋のことは出てこなかったが、同じ奈良市柳生にあるわたくしお気に入りの橋である白梅橋(例によって記事にはまだしてないが)の現橋を架けたのもこの尾田組であることが判明。架換時の貴重な写真も載ってて、思わずトキメキ(笑)。あちらは昭和8年なので、こっちが4年先んじていたわけだ。
いやあ今回は、サイドトピックが充実してますね(謎
最後に、
ノートさん入りで一枚。
以上。
5年近く前に記事にした、大阪の仁丹看板。その後も特に進展がなかったのだが、昨年末に仕事のついでに、ストビューで見つけていたやつを確認しに行った。
いつ無くなるかもわからない、絶滅危惧種な仁丹看板だが、
アッターー!!
このシリーズ、前回から「ど~こだ?」写真の掲載はやめたのでアレだが、いかにもこういう街並には残ってそうだな~、という印象。大阪市内に現存する仁丹看板はかなり少ないようだが、広大な大阪市内には未発見のものも残ってたりする可能性も?
記事は以上~。
21日にいったん滋賀に帰ったが、猛烈な寒波と積雪による交通の混乱を避けるため、予定を切り上げて23日には東京のレオパに戻ることにした。何があるかわからんのでね~。25日の仕事は絶対に穴をあけられないので。
つうわけで、これを書いているのは22日の夜だが、この記事が公開される頃にはレオパに帰り着いている見込み。何事もないことを願っております。
2012年7月29日の岐阜県探索。この日のネタで記事にしているのは、大須トンネル、トッサスバス停、木天蓼橋、久瀬発電所導水管、漆谷上原橋、塚白椿隧道。今宵ご紹介するのは、漆谷上原橋のちょい前に訪ねた隧道。プチ苦労させられたっけ。
まずはこれ。
岐阜県道270号藤橋根尾線の隧道。豪雪地帯でよく見るタイプのやつ~。場所はこちら。
隧道…じゃなくスノーシェッド脇には仏様がおられた(ようだがなぜか写真を撮ってない。いつもは撮るのに)。
本来の抗口は、
スノーシェッドの奥に。
コンクリポータルの狭い隧道だが、補修のためかさらに巻き足されて一層狭くなってる。
扁額がちゃんとあって、
「馬坂隧道」と。
車での感じは、こう。
まあ激狭ってほどではないけどね。
通り抜けまして~、
本巣市側へ。
で、抜けた先には
この全面通行止め~。
そうなのだ。本来は本巣市側から普通に県道を辿ってこの隧道へ来たかったのだが、タイミング悪くこの全面通行止め。なので大きく南側から迂回して旧徳山村入りしたわけで。で隧道までは行けそうだということで、こうして徳山側から無事到達できた、と。
しかしなあ。この隧道を抜けたところまで来られたとして、それってわたくしみたいな特殊な人間をのぞいてメリットある?これ完全に俺得案件じゃないのよ(笑)。
つうわけでこちら、
本巣市側抗口…じゃなくてシェッド。
これがなかったら、
すぐ埋まっちゃいそうだな、確かに。
シェッド付きってポータルが覆い隠されるのがネックなんだけど、
でも、嫌いになれない。つうかもう、なんでもいいんでしょうな(笑)。
何を撮ったのかと思えば、
デカい水たまりだった(笑)。地山から沁み出した水なのかな~。
振り返りの、
鉄板の構図…って、スノーシェッドでも通用するのかね。
この後はもちろん転回して、徳山湖方面に向かった。
以上。