穴と橋とあれやらこれやら -149ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2022年8月28日、中国地方縦断迷走の最終日。この日のネタで記事にしているのは、最終盤の力谷隧道。今宵ご紹介するのは、逆にこの日の序盤に訪ねた物件。

 

 

 

 

いきなり、ドン。

場所はこちら。明らかに国道54号の旧道と思われる道の、古びた橋。北側より。

 

先に書いておくが、四本の親柱全て銘板が失われており、何の情報もなかった。ビジュアルから受ける印象からして、戦前橋…金属供出により銘板が失われたままなのではないかと感じた。

 

Q地図によれば、この橋は川上橋といい、1933(昭和8)年の架橋だとか。やっぱりね、の戦前橋だったが、金属供出云々はわたくしの想像であり、確認できたわけではない。

 

 

 

 

 

この橋で、一発で気に入ったのが

この欄干の開口部。

 

 

 

 

 

戦前コンクリート橋において非常に個性の出るこの部分、わたくし大好物なのだが、

いや~、これは楽しい&美しい&可愛い。

 

これはなにを象っているんだろうか?個人的には、花かなにか、植物のようなイメージを抱いたけど、さて?

 

 

 

 

 

これを額縁として、

こんなん撮ってみたが、しょせんセンスなし(笑)。素材を活かしきれない…。

 

 

 

 

 

ヤレた欄干と、

グリーンのコラボレーション。好き好き大好き。

 

 

 

 

 

南側より正対。

ふと気づいた…写真右端。

 

 

 

 

 

そこにおわしたのは

石仏…しかし摩耗しきってよくわからなくなっている。今もこの橋を見守ってらっしゃるんですな。

 

 

 

 

 

欄干を強調してみた。

いや、いいわ~マジで。

 

 

 

 

 

ちなみに、

現道の橋も、同じ川上橋という。

 

あちらは1970(昭和45)年架橋ということなので、旧橋となってからでも50年以上。年季入ってるが、未だ現役!

 

 

 

 

 

なんだかんだで、

やっぱ未だにこういうたぐいの橋が一番好きかな。原点は変わらんもんですな…。

 

 

 

 

 

最期に、北側より引きで。

問答無用でほっこりする(笑)。

 

何もかもが好ましい、(旧)川上橋でありました。

 

 

 

 

 

 

 

以上。

 

 

 

【前篇】より続く。

 

 

 

再び降りてきて、う回路へ。

残り、コメントは少なめにしてお送りする。

 

 

 

 

 

…って言ったそばからなんなんだが、

アレはスルーできない。

 

 

 

 

 

あの露出したコンクリートはまさに、

隧道壁面の裏側。こうして旧川床の土が削られ、ヴォールトがむき出しになっている状態だ。これもこうならない限りは絶対に見ることができなかった部分。いや~、なんとも…。

 

こうして見ると、川底から隧道天井部の厚みって、めっちゃ薄いんだな…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで再度思った。

歩行者トンネル、どうしてここまで高さを抑えなきゃならなかったんだろう。川底までは十分に余裕があったのに。

 

で、帰ってからふと思いついた仮説。隧道から県道を南に進むと、マキノ南小学校があるのだが、もしかしてこれ、なかよしトンネルとかと同じ子供の通学用とか!?

でもなあ、高さに余裕のないあっちと違ってここは余裕があるのに、あえてミニマムなサイズにする必要ないしなあ。謎。

 

 

 

 

 

で、これは

国道161号沢交差点付近から。

 

 

 

 

 

かつてのこの姿が、

 

もはやこの状態。

 

 

ここでも、Kさんからお借りした写真を。

【撮影:Kさん】

皮肉にも、解体撤去前のこの期間は、本隧道のデザインを隅々まで鑑賞できる過去最大の機会だったんですな。周りに何もなくなり、ポータルそれ自体がすっくと立って。

 

 

 

 

 

 

 

 

滞在時間40分。あちこちからじっくりと見回ったが、もう十分。お別れだ。

 

 

 

 

 

最後に思い立って…シートが掛けられていない歩行者用トンネルを、しゃがんで見てみた。

 

すると、

おおっ!まだ貫通してる!

 

当たり前といえば当たり前。でもその姿をとどめ、「こっち側からあっち側へ」の空間を保持し続けている。最期の最後まで。

 

 

 

 

 

長い間、ご苦労様でした。

 

 

 

 

 

 

 

【百瀬川隧道】※土木学会選近代土木遺産Bランク

1925(大正14)年7月25日完成

延長:36.4m

幅員:5.5m

※百瀬川歩道トンネル

1973(昭和48)年完成

延長:52m

幅員:1.4m

 

2022(令和4)年10月17日解体撤去

享年97

 

 

 

 

最期にKさん、情報をいただき、また写真もお借り&使わせていただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

何もなければ本日、百瀬川隧道は解体撤去されてこの世から消えたはず。合掌。

 

 

 

 

 

 

【2014年篇】より続く。

 

 

Kさんから解体撤去の悲報をいただいて、当初はなるべく早く訪ねたいと思っていたが、ほどなく気が変わった。逆に、可能な限り撤去ギリギリの最期の姿を記録しておきたい、と思ったから。

 

なので、撤去に間に合う最後の休み(撤去2日前)である10月15日、現地に赴いた。最後の訪問、気持ちとしては、むろん看取りである。

 

 

つうわけで、今日は南側からやってきたのだが…

ああ~(察し)。

 

 

 

 

 

これ、アカンやつだわ。

シート…かかってる…?

 

 

 

 

 

やはり!

ポータル全面を覆うグレーのシート…。

 

やってもうたーー!!訪問を引っ張りすぎて、もはや死に装束を着せられた状態になってしまってた!

 

 

 

 

 

とりあえず、う回路を通って北側へ。

工事現場前の空きスペースに車を突っ込ませた。土日は休工だろうとみてきたが、読み通り誰もいない。まあ撤去開始まではもうやることもないだけかもしれないが。

 

 

 

シートが掛けられてしまってたのはショックだったが、すぐに切り替えた。幸い何度も健在な姿はこれまでに見ているのに対し、これはまさに最期の姿。これを見に来たのだから、そのままを粛々と記録しようと。

 

 

 

とはいえあまりに殺風景なので、Kさんからお借りした9月24日撮影の写真を2点。

【撮影:Kさん】

 

【撮影:Kさん】

確かに、高さ制限バーが撤去された姿は非常にスッキリとして、改めて本隧道の端正さが際立つように思う。やっぱ、残念だなあ…。

 

 

 

 

 

おお、

やはり「完全週休2日制」を高らかに宣言してる(笑)。

 

 

 

 

 

これが…

 

 

こうなると。

幸せそうな親子連れがゆっくり歩けるようになるのね(皮肉)

 

 

 

 

 

完全に、地域交通上で役目を果たし終えた隧道。

それに尽きるんだなと。

 

 

 

 

 

立入禁止のAバリが巡らされ、まったく隧道には近づけない。もとよりそれは織り込み済みで来ていたものの、このまま指をくわえて周囲でクンクンしているのもシャクだ。

 

で、目に付いたのが「あの道」。

「あの道」、進入していい状態よな?わたくしが車を突っ込んでるところも、(休工日なら)OKなはず。

 

 

 

 

 

前回冒頭あたりでもチラッとこの道に触れたが、

これまで、百瀬川の堤へと登るこの道は辿ったことがなかった。遠回りだが、こっちからなら、あるいは…?

 

 

 

 

 

登り始めての振り返り。

とりあえず、あまりに以前と景色が変わりすぎて、なんだか全然別の場所のようだ~。

 

 

 

 

 

で、登りきって、振り返り。左端の坂道を登ってきた。

もはや単なる掘割となった、百瀬川のなれの果て。こういう姿、これまでも県内で何度か見てきた。

 

で、よっしゃ!立入禁止表示がない!入って問題なし(屁理屈)

 

 

 

 

 

進んでいくと、こんな景。

このブルーシートが掛かっているのは、小規模な砂防ダム。その先で堤はぶった切れて…

 

 

 

 

 

そこに隧道が、ある。

廃川となった天井川ならではの、この景。ある意味、滋賀県のご当地名物といえるかもしれない。

 

 

 

 

 

フェンスのところから、

北側ポータル見下ろし!

 

ポータルの裏側がこうして日の光を浴びるのは、建造以来最初で最後のことだろう。最期の看取りならではの、貴重な「後ろ姿」。

 

 

 

 

 

驚きだったのは、ピラスターのてっぺん。

背後にもう一つ、このようなセットバックした意匠があったとは!これはもう、この姿にならないとわからなかったことだと思う。

 

 

 

 

 

そして、南側ポータルの「後ろ姿」。

 

 

 

 

 

もちろん、こちらも同様だった。

シートが掛けられているところ、よく見ると狭いながらも足場が組まれているようだ。

 

隧道の解体撤去作業の具体的な手順、考えてみれば全然知らないわ。荒っぽく重機で破壊してしまうのかと思ってたけど、もうちょっと繊細な作業なのかな?もしかして、扁額を取り外すため、とか?それにしちゃ足場が緻密すぎるか。

 

 

 

 

 

上からの観察でまあ一応満足したので撤収しよう…と思ったが、

川床にも降りてみた。

 

明確にぶった切られた堤。草津川ほどのスケールではないけど、天井川の末路はいつもこうだ。

 

 

 

 

 

ここでもう一度、

川床からの、北側「後ろ姿」と、

 

 

 

 

 

同じく南側「後ろ姿」。

正直、ここまできたらこのままもう隧道直上まで進入したいと思った。ここからなら「立ち入り禁止とは書いてなかった」の屁理屈も適用できるし。けど、周囲が開けすぎてあまりに目立つので、なんとか自重。うう…。

 

 

 

 

 

川床から動画を撮ったので、良ければご覧あれ。

 

 

 

 

 

さて、今度こそ、

戻るとしようか…。

 

 

 

 

 

とはいえ最期の看取りは、

まだ終わらない。

 

 

 

 

【後篇】に続く。

 

 

 

【2009/2012年篇】より続く。

 

 

 

2014年9月7日、三度目?の訪問。過去二回の訪問での写真に納得がいかず、いっちょしっかり撮り直そうと改めてやってきた。この日のネタで記事にしているのは、庄垂川橋今津の謎めいたアーチ橋稲山隧洞知利取橋&角鹿橋

 

 

この日はまた、北側より。

改めてこの道は、滋賀県道287号小荒路牧野沢線。すでに道の先に、小さく見えている。

 

信号の向こうの橋は、平成17年竣工の生来(しょうらい)橋。隧道上の百瀬川は、本来もう少し下流(写真だと左方向)でこの生来川を流入させていたのだが、この時点でもすでにもっと上流側(写真だと右方向)で合流するように流路変更がなされていた。よって生来川に架かるこの橋も、親柱表記は百瀬川となっていた(写真なし)。

 

 

 

 

 

つうわけで隧道上には、

実質的に廃川となった川道が横たわっているだけ。つまり、いつ撤去されてもおかしくなかったわけだ。

 

 

 

 

 

さっそく改めての撮影に向かうが、その前に。

 

上の写真右端に、百瀬川の堤へと登る道が延びていて、

その入り口にはこんな看板があった。これもまた、旧百瀬川が廃されている状況証拠と思われた。

 

この日ここを辿っては見なかったのだが、この道、次回登場するのでちょっと気に留めておいていただければ。

 

 

 

 

 

さて、改めて。

百瀬川隧道・北側坑口。やはり植生が少々うるさいが、アーチ断面に合わせた手前の高さ制限バー(って呼ぶのかこれも?)がいい感じだ。

 

 

 

 

 

扁額。

元画像をよ~く見てみたが、揮毫者名ほか新たな情報は見つからなかった。

 

 

 

 

 

向かって右の、

スパンドレル部。下見板張り風パートである。

 

 

 

 

 

中央部はのっぺりだが、

前回少し書いたように、竣工時にはこの中央部も下見板張り風意匠が施されていたという。

 

 

 

 

 

向かって左側。

こうして見ると、まだまだ全然状態がよさそうに見えるのに…。

 

 

 

 

 

車が途切れた間に洞内にお邪魔して~の、

鉄板の構図~。

 

 

 

 

 

この日、初めて隧道を歩いて抜けた。

が、完全に改修済みの洞内はこんな感じで特筆すべきものはなく…

 

 

 

 

 

南側坑口へ。

陽当たりの加減だろう、さらに植生がうるさい。

 

 

 

 

 

撤去が迫る今の目で改めて見てみて、

やっぱりもったいないな~、の想いはあるなあ。正直、趣味者としては。

 

 

 

 

 

そういえば扁額、

近隣の公民館的な場所で保存されたりしないかな?跡地に何か案内板的なものといっしょに存置とかされたら嬉しいけど。

 

そのうち、撤去後の様子も見に行きたいと思う。

 

 

 

 

 

これで戻ろうとして、

もっと引きで撮ろうと思い立ったのか(笑)。

 

 

 

 

 

そうそう、この看板ね~。

これもまたボトルネックを物語るアイテムでしたな。

 

 

 

 

 

ここへきて初めてちゃんと見せる気がするが、

歩行者用トンネルはあの位置。目の前の隧道に集中してると、地味に見落としやすいのだ。

 

そして、バスが通過中なのにも注目。これを見れば、早晩撤去は免れまいという予想も、ご理解いただけると思う。

 

 

 

 

 

撮り直しに納得したので、

また隧道を戻る。思えば歩行者トンネルを歩いたのは、初訪問時が最初で最後だったなあ。

 

 

 

 

この後も何度か通りすがったりしているが、似たり寄ったりなので写真は割愛。いよいよ【次回】、解体撤去直前の最期の姿をご紹介して手向けとしたい。

 

 

 

 

本日2022年10月15日、解体撤去を2日後に控えた百瀬川隧道へ惜別に行ってきた。前記事では9月中に訪ねるつもりと書いていたのだが、ちょっと気が変わってギリギリの姿をこの目に焼き付けておこうと、このタイミングとなった。

 

これを紹介する前に、まずは健在な在りし日の百瀬川隧道をちゃんとご紹介しておかねば。

 

 

 

つうわけで、まずは初訪問となった2009年5月21日の写真を。岩脇山の蒸気機関車避難壕横山隧道観音坂隧道、谷坂隧道、襠鳥坂隧道杉本隧道などの初訪問もすべてこの日であり、キャリア初期(謎)の記念すべき日のひとつだ。

 

 

まずは北側からのショットだが、

車を停めたかった場所にあの人がいたので、手前に停めてズーム!…という感じだったんだろう。

 

 

 

 

 

なのでサッサと隧道を抜けて、

南側の一枚。

 

しかしまあ、この頃の写真はさすがにどれも(現在にも増して)下手くそだ。なぜにここまで寄る?天井川隧道ならなおさら、もっと引かないとよくわからんでしょ~。

 

 

 

 

 

そして、

植生がうっとうしい扁額写真も一枚。

 

 

 

 

 

その後ようやく、

歩行者用トンネルに気づく、と(笑)。

 

ここの歩行者用トンネルは、意外とわかりにくかった。上の写真のように、微妙な距離を挟んで平行しており、なおかつ歩行者用トンネルは気持ち下がった位置にあってしかも小さいので、状況によっては「え?そんなんあったっけ?」ってなり得るレベル。小ささ、伝わると思う。

 

 

 

 

 

正対したら、

この感じやし!

 

 

 

 

 

なぜにここまで広いデコで


洞内低すぎ圧殺トンネルになっちゃったのかは謎だ。

 

 

 

 

もうちょいなんとかできたでしょう?

いや、絶対できたって(笑)。

 

 

初訪問時に撮ってた写真はこれで全て。歩行者用トンネルの写真のほうが多かったっていう(笑)。

 

 

 

 

 

 

二回目の訪問は、2012年4月5日。今度は南側から。

これは前回記事で使った写真だが、このように引きで撮ると、天井川の感じとかボトルネックっぷりとかが伝わるな。

 

 

 

 

 

で、こちら北側。

結局、何度かの訪問時の写真の中で、これがもっとも植生に邪魔されずスッキリと坑門がよく見えているようだ。

 

観音坂隧道、谷坂隧道と同じく下見板張り風の意匠で、竣工時の写真によって、現在はのっぺりしているピラスターより内側もオリジナルは下見板張り風であったことが確認されている。

 

昭和8年建造の観音坂・谷坂両隧道に対し、この百瀬川隧道は大正14年建造と8年先んじている。逆に大正14年といえば、横山隧道、佐和山隧道から遅れること2年。つまり、この滋賀県に稀代の隧道アーティスト・村田鶴が赴任していた期間に造られているのである。

公式に村田の設計とは記録されていないようだが、在任期間中の、しかもことさらにここ湖北の隧道たちを多く手掛けた村田が、本隧道に全く関わっていないとは考えづらい。

 

ここ百瀬川隧道のポータルデザインは、コンクリート黎明期ならでは、冠木門タイプの煉瓦隧道フォーマットを踏襲したものだが、ここでの下見板張り風意匠を、後の観音坂、谷坂隧道でより磨き上げて登場させたのではないか?

 

 

…とか、妄想するとめっちゃ楽しい~。

 

 

 

まあ、もう無くなっちゃうんすけどね(泣)。

 

 

 

 

 

【次回】は、2014年の「詳細記録」版を。