何もなければ本日、百瀬川隧道は解体撤去されてこの世から消えたはず。合掌。
【2014年篇】より続く。
Kさんから解体撤去の悲報をいただいて、当初はなるべく早く訪ねたいと思っていたが、ほどなく気が変わった。逆に、可能な限り撤去ギリギリの最期の姿を記録しておきたい、と思ったから。
なので、撤去に間に合う最後の休み(撤去2日前)である10月15日、現地に赴いた。最後の訪問、気持ちとしては、むろん看取りである。
つうわけで、今日は南側からやってきたのだが…
ああ~(察し)。
これ、アカンやつだわ。
シート…かかってる…?
やはり!
ポータル全面を覆うグレーのシート…。
やってもうたーー!!訪問を引っ張りすぎて、もはや死に装束を着せられた状態になってしまってた!
とりあえず、う回路を通って北側へ。
工事現場前の空きスペースに車を突っ込ませた。土日は休工だろうとみてきたが、読み通り誰もいない。まあ撤去開始まではもうやることもないだけかもしれないが。
シートが掛けられてしまってたのはショックだったが、すぐに切り替えた。幸い何度も健在な姿はこれまでに見ているのに対し、これはまさに最期の姿。これを見に来たのだから、そのままを粛々と記録しようと。
とはいえあまりに殺風景なので、Kさんからお借りした9月24日撮影の写真を2点。
【撮影:Kさん】
【撮影:Kさん】
確かに、高さ制限バーが撤去された姿は非常にスッキリとして、改めて本隧道の端正さが際立つように思う。やっぱ、残念だなあ…。
おお、
やはり「完全週休2日制」を高らかに宣言してる(笑)。
これが…
こうなると。
幸せそうな親子連れがゆっくり歩けるようになるのね(皮肉)。
完全に、地域交通上で役目を果たし終えた隧道。
それに尽きるんだなと。
立入禁止のAバリが巡らされ、まったく隧道には近づけない。もとよりそれは織り込み済みで来ていたものの、このまま指をくわえて周囲でクンクンしているのもシャクだ。
で、目に付いたのが「あの道」。
「あの道」、進入していい状態よな?わたくしが車を突っ込んでるところも、(休工日なら)OKなはず。
前回冒頭あたりでもチラッとこの道に触れたが、
これまで、百瀬川の堤へと登るこの道は辿ったことがなかった。遠回りだが、こっちからなら、あるいは…?
登り始めての振り返り。
とりあえず、あまりに以前と景色が変わりすぎて、なんだか全然別の場所のようだ~。
で、登りきって、振り返り。左端の坂道を登ってきた。
もはや単なる掘割となった、百瀬川のなれの果て。こういう姿、これまでも県内で何度か見てきた。
で、よっしゃ!立入禁止表示がない!入って問題なし(屁理屈)。
進んでいくと、こんな景。
このブルーシートが掛かっているのは、小規模な砂防ダム。その先で堤はぶった切れて…
そこに隧道が、ある。
廃川となった天井川ならではの、この景。ある意味、滋賀県のご当地名物といえるかもしれない。
フェンスのところから、
北側ポータル見下ろし!
ポータルの裏側がこうして日の光を浴びるのは、建造以来最初で最後のことだろう。最期の看取りならではの、貴重な「後ろ姿」。
驚きだったのは、ピラスターのてっぺん。
背後にもう一つ、このようなセットバックした意匠があったとは!これはもう、この姿にならないとわからなかったことだと思う。
そして、南側ポータルの「後ろ姿」。
もちろん、こちらも同様だった。
シートが掛けられているところ、よく見ると狭いながらも足場が組まれているようだ。
隧道の解体撤去作業の具体的な手順、考えてみれば全然知らないわ。荒っぽく重機で破壊してしまうのかと思ってたけど、もうちょっと繊細な作業なのかな?もしかして、扁額を取り外すため、とか?それにしちゃ足場が緻密すぎるか。
上からの観察でまあ一応満足したので撤収しよう…と思ったが、
川床にも降りてみた。
明確にぶった切られた堤。草津川ほどのスケールではないけど、天井川の末路はいつもこうだ。
ここでもう一度、
川床からの、北側「後ろ姿」と、
同じく南側「後ろ姿」。
正直、ここまできたらこのままもう隧道直上まで進入したいと思った。ここからなら「立ち入り禁止とは書いてなかった」の屁理屈も適用できるし。けど、周囲が開けすぎてあまりに目立つので、なんとか自重。うう…。
川床から動画を撮ったので、良ければご覧あれ。
さて、今度こそ、
戻るとしようか…。
とはいえ最期の看取りは、
まだ終わらない。
【後篇】に続く。