惜別の百瀬川隧道・最期の姿【後篇】(滋賀県高島市マキノ町沢) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【前篇】より続く。

 

 

 

再び降りてきて、う回路へ。

残り、コメントは少なめにしてお送りする。

 

 

 

 

 

…って言ったそばからなんなんだが、

アレはスルーできない。

 

 

 

 

 

あの露出したコンクリートはまさに、

隧道壁面の裏側。こうして旧川床の土が削られ、ヴォールトがむき出しになっている状態だ。これもこうならない限りは絶対に見ることができなかった部分。いや~、なんとも…。

 

こうして見ると、川底から隧道天井部の厚みって、めっちゃ薄いんだな…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで再度思った。

歩行者トンネル、どうしてここまで高さを抑えなきゃならなかったんだろう。川底までは十分に余裕があったのに。

 

で、帰ってからふと思いついた仮説。隧道から県道を南に進むと、マキノ南小学校があるのだが、もしかしてこれ、なかよしトンネルとかと同じ子供の通学用とか!?

でもなあ、高さに余裕のないあっちと違ってここは余裕があるのに、あえてミニマムなサイズにする必要ないしなあ。謎。

 

 

 

 

 

で、これは

国道161号沢交差点付近から。

 

 

 

 

 

かつてのこの姿が、

 

もはやこの状態。

 

 

ここでも、Kさんからお借りした写真を。

【撮影:Kさん】

皮肉にも、解体撤去前のこの期間は、本隧道のデザインを隅々まで鑑賞できる過去最大の機会だったんですな。周りに何もなくなり、ポータルそれ自体がすっくと立って。

 

 

 

 

 

 

 

 

滞在時間40分。あちこちからじっくりと見回ったが、もう十分。お別れだ。

 

 

 

 

 

最後に思い立って…シートが掛けられていない歩行者用トンネルを、しゃがんで見てみた。

 

すると、

おおっ!まだ貫通してる!

 

当たり前といえば当たり前。でもその姿をとどめ、「こっち側からあっち側へ」の空間を保持し続けている。最期の最後まで。

 

 

 

 

 

長い間、ご苦労様でした。

 

 

 

 

 

 

 

【百瀬川隧道】※土木学会選近代土木遺産Bランク

1925(大正14)年7月25日完成

延長:36.4m

幅員:5.5m

※百瀬川歩道トンネル

1973(昭和48)年完成

延長:52m

幅員:1.4m

 

2022(令和4)年10月17日解体撤去

享年97

 

 

 

 

最期にKさん、情報をいただき、また写真もお借り&使わせていただき、ありがとうございました。