追憶の百瀬川隧道【2014年篇】(滋賀県高島市マキノ町沢) | 穴と橋とあれやらこれやら

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【2009/2012年篇】より続く。

 

 

 

2014年9月7日、三度目?の訪問。過去二回の訪問での写真に納得がいかず、いっちょしっかり撮り直そうと改めてやってきた。この日のネタで記事にしているのは、庄垂川橋今津の謎めいたアーチ橋稲山隧洞知利取橋&角鹿橋

 

 

この日はまた、北側より。

改めてこの道は、滋賀県道287号小荒路牧野沢線。すでに道の先に、小さく見えている。

 

信号の向こうの橋は、平成17年竣工の生来(しょうらい)橋。隧道上の百瀬川は、本来もう少し下流(写真だと左方向)でこの生来川を流入させていたのだが、この時点でもすでにもっと上流側(写真だと右方向)で合流するように流路変更がなされていた。よって生来川に架かるこの橋も、親柱表記は百瀬川となっていた(写真なし)。

 

 

 

 

 

つうわけで隧道上には、

実質的に廃川となった川道が横たわっているだけ。つまり、いつ撤去されてもおかしくなかったわけだ。

 

 

 

 

 

さっそく改めての撮影に向かうが、その前に。

 

上の写真右端に、百瀬川の堤へと登る道が延びていて、

その入り口にはこんな看板があった。これもまた、旧百瀬川が廃されている状況証拠と思われた。

 

この日ここを辿っては見なかったのだが、この道、次回登場するのでちょっと気に留めておいていただければ。

 

 

 

 

 

さて、改めて。

百瀬川隧道・北側坑口。やはり植生が少々うるさいが、アーチ断面に合わせた手前の高さ制限バー(って呼ぶのかこれも?)がいい感じだ。

 

 

 

 

 

扁額。

元画像をよ~く見てみたが、揮毫者名ほか新たな情報は見つからなかった。

 

 

 

 

 

向かって右の、

スパンドレル部。下見板張り風パートである。

 

 

 

 

 

中央部はのっぺりだが、

前回少し書いたように、竣工時にはこの中央部も下見板張り風意匠が施されていたという。

 

 

 

 

 

向かって左側。

こうして見ると、まだまだ全然状態がよさそうに見えるのに…。

 

 

 

 

 

車が途切れた間に洞内にお邪魔して~の、

鉄板の構図~。

 

 

 

 

 

この日、初めて隧道を歩いて抜けた。

が、完全に改修済みの洞内はこんな感じで特筆すべきものはなく…

 

 

 

 

 

南側坑口へ。

陽当たりの加減だろう、さらに植生がうるさい。

 

 

 

 

 

撤去が迫る今の目で改めて見てみて、

やっぱりもったいないな~、の想いはあるなあ。正直、趣味者としては。

 

 

 

 

 

そういえば扁額、

近隣の公民館的な場所で保存されたりしないかな?跡地に何か案内板的なものといっしょに存置とかされたら嬉しいけど。

 

そのうち、撤去後の様子も見に行きたいと思う。

 

 

 

 

 

これで戻ろうとして、

もっと引きで撮ろうと思い立ったのか(笑)。

 

 

 

 

 

そうそう、この看板ね~。

これもまたボトルネックを物語るアイテムでしたな。

 

 

 

 

 

ここへきて初めてちゃんと見せる気がするが、

歩行者用トンネルはあの位置。目の前の隧道に集中してると、地味に見落としやすいのだ。

 

そして、バスが通過中なのにも注目。これを見れば、早晩撤去は免れまいという予想も、ご理解いただけると思う。

 

 

 

 

 

撮り直しに納得したので、

また隧道を戻る。思えば歩行者トンネルを歩いたのは、初訪問時が最初で最後だったなあ。

 

 

 

 

この後も何度か通りすがったりしているが、似たり寄ったりなので写真は割愛。いよいよ【次回】、解体撤去直前の最期の姿をご紹介して手向けとしたい。