2014年9月7日、湖西~湖北方面徘徊の際に、以前から気になっていた物件を探索してきた。それが今回ご紹介する物件である。ちなみにこの日の記事としては、2時間40分後に訪れたのが知利取橋&角鹿橋。
まずネタバラシをしておくと、この物件は道路にある隧道ではない。田圃に水を引くために穿たれた水路隧道がその正体。
その完成、実に明治33年。
気になってきたでしょ(笑)。
とは言えこの物件に関する情報は少なく、タイトルに挙げた所在地はわかっているものの、実際の場所がどこでどうアプローチするのかは不明。…まあ、まずは行ってみた。
現役の農業用水施設という物件の性質上、今回は地図の掲出は控えさせていただく。ご興味があれば、記事をもとに探してみてくだされ(笑)。
ぼーっと地形を観察したあと、なんとなく…という方向に車を向けてゆっくり走らせていると…路傍に
スルーしかけて思わずストップ。そこにはまぎれもなく、探し求める物件の名が!わかります?(笑)
しかしえらくザックリした地図(笑)。
方角は合ってるみたいやな…としばし進むと、新たな観光案内看板出現。コレがまた手描き感満載の実にイイ味を出してるのだが、その中央に
Yes!捕まえた!…と、この時は思った(笑)。
もし実際に訪ねてみようという方がいれば、
コレを見つけたら正解だ。まあちっこいから見落とす可能性もあるけど。
刻まれている文字は、
「稲山隧洞主唱者水口善蔵」。
その下にも何か刻まれているかもしれないが、埋没して見えない。
水口善蔵とは、隧道が穿たれた山林を所有し、隧道建造に大きく尽力した人物。その顕彰碑だろうか?いや、それにしては小さいな。ちなみに裏面には年号と思われるものが刻まれていたが、なんか不明瞭でよくわからない…(泣)。
ところで、現地で案内を見るまで「隧道」だと思ってたんだけれども、「隧洞」なんや。この表記は初めて見る。まあ、たしかに「道」じゃないしな…。
石碑の少し先で、
ゲートが行く手を遮る。
しかしこのゲートは獣害除けのためのもの。施錠はされておらず開閉可能だ。ルール(通過したらきちんと閉める!)に則り、通らせていただく。
進入後すぐの光景。
左手に水路がある。
コレがきっと稲山隧洞から引かれている水だろう。つまりは、コレを遡っていけば隧洞に行き当たる、と。簡単なことだよワトスン君。
みたいな感じで少々ナメていた。こっから真っ直ぐ辿ってすぐに見えてくるだろうと。しっかりした踏み跡もあるし。けど…
あらら?ご親切にも案内標柱が立てられているが、
踏み跡はすべて城跡方向へ。ちょ~。そして「稲山隧洞」と指し示された方向は…
イヤな予感(笑)。
しばし草むらを進んだが、先述のようにナメてかかってたので、途中からは下に降りて水路を進んだ。すぐに着くと思ったから。しかし大きな段差が現れて、再び草むらへ戻ることを余儀なくされた。
いやいやイヤイヤ。
予想に反して、なかなかガチな展開になってきた。草むらは今や激藪となり、道跡もわからない斜面となった。流れに向かってちょっとした崖になっており、足元を踏み外す危険性もある。マジか~。
いささか驚いたが、流れを遡れば行き当たることには間違いない。大きな問題はない…よね?
ゲート進入から9分。
ここで進めるスペースが尽き、対岸へ渡る。
汗が噴き出してくる。9月上旬といえばまだまだ暑い盛り。しかもこんな展開予想してなかったから、タオルも水分も車に置いてきたよ…。ぐはあ。
てか、もはや水路というよりは、完全にただの水流跡みたくなっている。ほんとにココで合ってるのか?水路隧道がこの先にあるような「整備された感」皆無なんやけど?だんだん疑念が沸き起こってくる。
そこへ追い打ちをかけるかのように
分岐しちゃったよ!マジか~(泣)。
渡河して4分。これまた想定外の展開だ。とにかく信じて進むしかないのだが…。問題はどっちに進むか。
少し考えて、より直進に近い左側を辿ることにした。理由はない。直感で選んだ。
そしてハアハア言いながら登ること3分。
キターーー!!
【後篇】に続く。