本日ご紹介する物件は、隧道界において我が滋賀県が誇る綺羅星のごときメジャー・リーグ物件のひとつであり、かつ三重県の初代・長野隧道と並びわたくしがもっとも愛する隧道ナリ。2009年5月21日。この趣味にハマって間もないこの時期に出会って以来、その座をおびやかす者あれど、とって代わるには至らず。
ちなみに初代・長野隧道との出会いは2009年3月20日。前回の朝妻橋といい、この横山隧道といい、この趣味最初期に出会った「理想」を超える物件を求めて今日まで至っている、とも言えそうですな。
ということで、場所はコチラ。
ここは滋賀県道244号大野木志賀谷長浜線。現在は新横山トンネルでぶち抜いている。現トンネルの鳥羽上側(西側)から旧道へ進入すると、程なくして現れるのが、
このような立派な石碑。「横山隧道碑」とある。そしてその奥にもう見えている、隧道が。照明が点いていることからわかるように、現役の隧道だ。
ではあるが。
離れていても感じる、ただならぬオーラを。
では、ご覧いただこう。
横山隧道・鳥羽上側坑門。
1923(大正12)年建造、延長540尺(163.6m)、幅員15尺(4.5m)、全高14尺(4.2m)。
総煉瓦造りの馬蹄形隧道、典型的な冠木門型坑門を持ち、ピラスターが笠石上に突き出しているのが特徴的。土木学会選近代土木遺産Bランク。
希代の「隧道アーティスト」、時の滋賀県庁土木技師、村田鶴の手になる逸品である。
とか、一生懸命抑えて書いてるが(笑)、どうでしょうか、この重厚荘厳な威風堂々たる佇まいは。
わたくしがひと目で恋に落ちた理由がおわかりいただけるでしょうか。
何といっても、大正12年に完成されたその往時の姿を、ほぼ完全にとどめており、
(ボケボケ陳謝…)なおかつ現役で使われているというその事実が、何より素晴らしい。
そして、菅江側坑門。
まったく鳥羽上側と同じ様式。まさに芸術品。
そしてその年の9月6日、二度目の訪問。
今度は菅江側(東側)よりアプローチ。こっちは一直線で隧道へ至るのだが、その途中に
隧道掘削に尽力して着工にこぎつけたものの、完成を目にすることなく亡くなった、高森慶多郎翁の顕彰碑である。
この時も、もちろん車で入れた。現役隧道なんだから、当たり前。
…と、思っていた。
【2012】篇に続く。