【2009】篇より続く。
その後しばらくこの隧道を訪れるタイミングがないままに3年が経過。新たな機会はビッグなゲストとともにやってきた(笑)。
2012年12月8日、以前からしつこく「滋賀に来なッサーイ」とお誘いし続けていたのがようやく実現。遠路はるばるお越しいただきましたのは、「トンネル・コレクション」管理人・まきき氏、そして「隧道道」管理人・doodoongoo氏のお二方。いずれもわたくしにとっては偉大なる先人であり、千葉在住時、湘南在住時にお世話になった恩人であります。
そんなお二人を、滋賀のお宝隧道群でおもてなししようというこの日、いの一番にご案内したのが、ここ横山隧道でありました。ホストたるわたくしが寝坊&大幅遅刻をカマしたのは内緒だ。
いそいそとやってきたが、…様子がおかしい。なんといつもの旧道入り口が封鎖されているではあーりませんか!?
とりあえず移動可能な簡易封鎖だったので、脇にどk(ry
なんとも邪悪な笑みを浮かべた(嘘)、まきき氏とおろろん氏。えっ?ゲートと記念撮影してるだけですが何か(爆)。まあとりあえず、立ち入り禁止とは書かれていなかったのは確か。それで充分だろ?
ということでまんまと入り込んだよとと隊長のアウトバック。
しかしこの封鎖にはザワつかせられた。まさか…最悪の事態になったりしてないだろうな?
ほっ。
隧道が塞がれているなどという最悪の事態ではなかったようで、思わず安堵。
しかし、坑口前に堆積した落葉は、現在この道が恒常的に閉じられていることを物語っている。もちろん洞内の照明も点灯していない。一体この道に、この隧道に何が起こっているんだろう…。
気を取り直して、前回ご紹介しなかった扁額を。
ついでに、西側の隧道碑も改めてご紹介しておこう。
非常に立派な隧道碑。表面にはびっしりと漢字が刻まれているが、わたくしごときには解読できない。
側面には
「大正十二年九月建之 坂田郡西黒田村鳥羽上」。
そして裏面には
「工事寄附者氏名」。多くの氏名と寄附金額が刻まれている。当時の人々の、この隧道への思いが感じとれるようだ。
そして、いったい何回出すねん!と言われそうやけど…
何度だって出してやるさ!(笑)
だって、最愛の隧道だもの。
正直なところ、まともな姿で拝めるのはひょっとしてコレが最後かも?との思いも少しだけあった。
そして洞内へ。
相変わらずボケボケの写真に、思わず涙…。
何かに食いついているdoodoongoo氏とそれを照らすまきき氏。
ようやく、比較的まともに撮れた洞内の様子。
見渡す限りの煉瓦・煉瓦・レンガ。洞内の状態は悪くないように思える。
だから言ったろうが、何度でも出すって(笑)。
そして何度でも言おう、「最高だ」と。
東側の扁額は…
…読めません。
オチに使うな!(爆)
以降、ここに詣でることができていない。この日の旧道封鎖は横山隧道が廃隧道へと転落したことを示すものだったのか?
気になって、今回記事を書くに当たって調べてみると…「やはり」という思いと同時に希望も抱くような、こんな記事を見つけた。
心配は現実に。もはやこの隧道は現役ではなくなっていた。しかし…。その名字をみて「もしや?」と思ったが、やはり。心動かされる話である。
この場合、長浜市と米原市というふたつの自治体にまたがっていることは、吉なのか凶なのか…。あるいは旧県道にあるのだから県の管轄?
どこでもいいから、行政はこの価値ある隧道を、なんとか保全してほしいものだ。いや、してくださいお願いします。
ココは絶対年内に行く!
以上、完結。