2016年3月26日、つまり本日。新トンネルにその役目を譲って一線を退いた、滋賀県道509号間田長浜線の観音坂隧道。
先日来いろいろ騒いでいて食傷気味かもだが(笑)、タイミングを逃すのもアレなので、この名隧道を偲んでみようと思う…。
ちなみに騒ぐだけ騒いで出してなかったが、場所はコチラ。
初訪問は、2009年5月21日。
コチラ、米原側坑口。
坑門はコンクリート製で、下見板張り風と評される水平の段差を施した意匠が素晴らしい。アーチ環は切石。スパンドレル部から一段突出させた坑口部、笠石下に施されたデンティル(櫛歯)も印象的である。洞内は馬蹄形断面の総コンクリートブロック造り(残念ながら大幅改修済み)。
希代の「隧道アーティスト」、時の滋賀県庁土木技師、村田鶴によって設計された隧道である。
昭和8年3月竣工、土木学会選近代土木遺産Bランク。
延長320.6m、幅員5.7m、有効高3.9m。
こちらの扁額には
「造化無権」。
意味は…あの、わからないのだが(爆)、左に「武彦書」と。当時の滋賀縣知事、伊藤武彦による揮毫である。
この県道は、長浜市中心部から岐阜方面へ行く場合は最短ルートとなり、日中の交通量はかなり多い。そんな中で洞内に立ち入って撮影なんぞは大顰蹙。よって、わたくしもついぞ洞内での撮影機会には恵まれなかった。
だが、新トンネル記事の日である2014年5月4日、米原側から抜ける際に動画を録ったのだが、幸いこの日は後続車がいなかった(これ重要)ので、少しゆっくり走って洞内の様子もわかりにくいながらも収めることができた。
今回は、この動画をご覧いただきつつ、長浜側へ抜けてみよう。
新トンネルとの位置関係もよくわかると思う。最後の方ビックリするほどグダグダですがご容赦を(汗)。
お疲れにつき、短いですが【2】に続く。