今宵から何回かに分けてご紹介するのは、土木遺産好き、廃モノ好き、そして心霊スポット好きな野郎どもにもつとに有名な、初代・佐和山隧道。我がホーム・滋賀県が誇る、有名物件である。
いくら拙ブログがマイナー志向であるとはいえ、県内随一の有名物件であるこれをいつまでスルーし続けるか、というモヤモヤがずっとあった。それを言うなら他にもいっぱいあるのだが、さすがにせめてホームの必須物件くらいはちゃんと記事にしておかんと、と、ようやく重い腰を上げた次第。
今回はまず、初訪問となった2012年1月3日の記録から。この日のネタで記事にしているのは、梅ヶ原南架道橋(仮)、宇曽川橋梁のみ。
つうわけで、まずはこれ。
こちらも有名な、10年前はまだまだきれいだったこの空き家。現在ではおぞましいことになってるんだろうか?
現在地はこちら。国道8号・佐和山隧道の先代隧道を目指すわけである。
空き家の前を通り過ぎ、広場的なスペースのどん詰まり。
ここが入口である。
ちなみに、ここまではこの時点で過去二度ほど来ていて、いずれもこの先のぬかるみに敗走していた。まだ長靴さえも持ってなかったごくごく初期のこと。懐かしい…。
ぬかるみゾーンに入ってすぐに現れるのが、【前回】ご紹介した草ヒロの群れ。
真冬だったこの時にはかなりしっかり見えていたが、夏場なんてもう、ほぼグリーンヘルに埋もれて見えない。かなりおぞましい廃道だ、ここは。
そんな草ヒロに持っていかれて見落としがちなのだが、
反対側の路肩は、このような石積みの擁壁で護られている。
おそらくは、草ヒロに隠れているものの、両側に同様のものがあるのではと思われる。
で、草ヒロから視線を引きはがして行く手に向き直ると、
すでにこのように「見られて」いてビビった。
これが、初代佐和山隧道・西側坑口。
極めて見通し不良な写真で申し訳ないのだが、ここのポータルを障害物のない状態で撮った写真は今後連載の中でご紹介するので、今はご勘弁を。とりあえずは、三度目の正直での到達だけに、念願かなって嬉しかった。
さて、改めて。
この佐和山隧道は、稀代の「隧道アーティスト」・村田鶴(むらた・かく)が設計したもので、1924(大正13)年の竣功。村田が手掛けた最初の「作品」である横山隧道が1923(大正12)年の竣功であり、この二洞はほぼ兄弟といっても差し支えない統一感のあるデザインとなっている。
その横山隧道は、
このようなお姿。残念ながら現在は封鎖されてしまってるが…。
対して佐和山隧道だが、このカット一枚で
意匠の同一性伝わるものはあると思うが、いかが?
今回真剣に見比べてみて驚いたのが、隧道上からの排水溝の位置まで同じってこと。排水溝と笠石の間にあるピラスターの切石の数が、いずれも七つ。ほぼ間違いなく、図面を共有してるんじゃないか、というレベルだ。
他にも比較カットをちょこっと。
これ、佐和山隧道。
これ、横山隧道。
もういっちょ、これ、佐和山隧道。
で、これ、横山隧道。
まあ、いずれもちょっと角度が違うけども、「ほぼ同じ」であることはお分かりいただけたかと思う。
だんだんわからんくなってきた(笑)。これは、
佐和山隧道の扁額。いわゆる篆書体、一番手強いやつである。「門」以外はもうさっぱり。
さて、では…
おもむろに…。
【2】に続く。