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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【前回】より続く。

 

 

2014年7月19日、二度目のニコイ前日。この日のネタで他に記事にしてるのは、後田川橋梁川合隧道大島橋花房隧道旧・六段橋の遺構氷ヶ瀬隧道小谷沢の水路橋薬罐渕隧道&王滝隧道オケジッタバス停日和田3号トンネル舟渡橋松橋十三墓バス停。多いな(笑)。

今宵ご紹介するのは、時系列では薬罐渕隧道&王滝トンネルとオケジッタバス停の間に訪ねた物件。

 

とはいえ、実は初訪問はさらに6年遡る2008年夏。この趣味に本格的にハマる直前だったので、ろくに写真を撮ってなかったがための再訪だった。

 

 

 

まずはこれ。現在地はこちら

ここは、関西電力・牧尾ダムの堤体上。車止めの先に見えるのが、今回のブツである。2008年も初訪問時は、この場所からのチラ見だけで済ませてしまってたというね…。

 

さっそく車を停めて、行ってみよ~。

 

 

 

 

 

ダム堤体上から望む、王滝川下流方向。

あれに見えるは、現・六段橋である。

 

橋の右手にあるのは、日野製薬の御嶽百草丸直売所。わたくし御嶽に行く時には、お土産購入とトイレで必ず立ち寄るスポットだったり。

 

 

 

 

 

ズームすれば、

花房隧道と、見にくいものの旧・六段橋の橋台も。

 

旧橋の現役時代に、ここから見てみたかったなあ…。

 

 

 

 

 

そんな感じで、あっという間に

隧道前~。

 

 

 

 

 

牧尾ダムの堤体上という特殊な立地ゆえに、

扁額も「牧尾ダム 中山トンネル」と。

 

これの他に銘板などはなかったが、明らかにダムと一体で同時期に(ダム完成は1961年)造られたものだろう。

 

 

 

 

 

洞内は、

方車線を潰して、ボートが留置されていた。どう考えても公道ではなさそうなので、これで全く問題はないんだろう。

 

 

 

 

 

そういえば、ここまで一切の進入禁止系表示はなかったんだが、

こんなAバリが。この位置に片づけられてるので、この時は通ってよかったはずだ。

 

 

 

 

 

ダム周辺の隧道って変態系物件が多いんだが、

ここはこの控えめなドアくらいかな。これも洞内分岐の一種と言えなくもない。

 

 

 

 

 

抜ける前の、鉄板の構図。

この中山トンネルを境に、先ほどの手前側がゲート部分、この先がロックフィル部分に分かれている…ってな表現でいいのかわからん程度のダム素人(笑)。

 

 

 

 

 

抜けて振り返ったところにあるのが、

何を隠そう、前回記事にした堅牢そうなプチ倉庫なんであった。

 

こうして見るとあの鉄製階段も登ってみたいが、もちろん立ち入り禁止。そらそうね。

 

 

 

 

 

上の写真向かって左にも、

おんたけ湖に降りて行けそうなスロープがあったが、こちらももちろん立ち入り禁止。はい、入りませんとも。

 

 

 

 

 

宿題回収完了。

ダム素人のわたくし、この先に進むこともせずに撤収~。

 

 

 

 

 

誰も気しないようなトンネルだと思うが、初訪問時に撮ったこの写真。

これがこの趣味でわたくしの撮った、記念すべき初のトンネル写真ってことになる。…めっちゃ遠いけど(笑)。

 

 

 

 

そんな、ごく私的に記念すべき物件なのでありました。

 

 

 

 

 

以上。

 

 

何が「フォトジェニック」なのかわからなくなって久しい(笑)このシリーズ、今宵はこれ。

 

なんでしょね?

 

 

 

 

ちょっと角度を変えると、

あ、倉庫?

 

扉の前にスロープはない。あったほうが便利そうだけど。

 

 

 

 

また角度を変えると…

今ではあんま見なくなった気がする換気設備があった。

 

めっちゃ堅牢な感じだけど、けっこうコンパクト。いったい何が入ってるんだろう。開口部から覗いたらよかったんだが、なぜかやらなった。

 

 

 

 

 

で、最近このシリーズでやりがちなのだが、【次回】は上の二枚の写真にチラ見えしてるやつを。

 

 

 

 

 

誰も興味ないと思うが(笑)タイトル通り、申し込んでた10月20日の大阪公演@なんばHatch、当選しました~。

 

たぶん外れはしないだろと思ってはいたけど、結果見るまではやっぱ、ねえ。よかった!

 

 

 

なのでさっそくに

お金を支払いまして。

 

 


しかし、めっちゃ久々にチケットって買ったのだが、20世紀とは隔世の感があるなあ。プレイガイドに並ぶとか受付開始とともに電話しまくるとか、若い人にはなんのこっちゃわからんだろうな。

 

 

まあチケット買った…って、正式には「押さえてる状態」ですな。所定の期間にまたローソン行って、チケット現物を発券すると。いや、便利になったもんだ~。

 

 

 

 

 

ほぼほぼ全公演、セットリストが違うという変態バンドさんということなので、”モラトリアム”とか演ってくれたら嬉しいな~。

 

 

この”Puzzle”も、わたくしがぜひ生で聴きたいナンバーのひとつ。

 

…まあ結局、なんでも嬉しいんだけどね(笑)。

 

 

 

 

 

あと4ヶ月半か~。楽しみ~。

 

 

 

 

”穴太衆”(あのうしゅう)というワード、当ブログにおいでくださる皆様におかれてはご存じの方も多いと思う。

 

 

今回はその”穴太衆”というワードだけでいたくそそられる、そんな方に向けての記事である。

 

 

 

 

 

なので細かい解説はしないが、最低限書いておくと…

 

穴太衆とは、自然石の野面積みにより強固な石垣を築く技能を持った石工集団で、中世より全国の城郭や寺社に穴太衆積みと呼ばれる石垣を数えきれないほど築いてきた。

しかし時代と技術の変遷とともにその技術を生かせる場は減り、現代においてはその技術を受け継ぐのは、大津市坂本の粟田建設たった一軒のみ。

現在では各地の城郭や寺社の石垣修復を中心に、その美しさと機能性が認められて海外での施工なども請け負っている。

 

 

 

 

 

…って感じなのだが、過日、本拠である大津市坂本で、実際の穴太衆積み石垣を前にしながら、その粟田建設の代表取締役であり、穴太衆第十五代衆頭の粟田純徳さんのお話を聴く機会があった。

技術的なことや心構え的なことから現代工法との折り合い、文化財に関わる苦労、後進の育成についてなどなど、すべてが興味深いお話ばかり。

 

自然石が相手なので図面なんてものは存在せず、頭の中でどれをどこに置くかを考えながら石を選び、それを現場に運んでピタリと組み上げる…なんでそんなことができるんだろうと、ただただ感嘆。「石選びで仕事の八割は終わったようなもん」とのお言葉、痺れますな~。

 

 

 

粟田さんは「情熱大陸」に採り上げられたり、また「ブラタモリ」でも案内役として登場されたし、「城フェス」のようなイベントでのトークみたいなことはこれまでもあったようだが、今回のように一般人に向けての実地ガイドのようなことはほぼ初めて(業界関係や研究者などに向けては、時おり案内されているよう)という非常に貴重な機会、けっこうな遠方からも来られていて、熱心に質問などされていた。

 

 

 

 

 

で、実はそれが6月にもう一度開催されるんである。

 

前回が満席となったので、急きょ追加日程ってことで。詳しくはこちらを↓

 

 

締め切り近し。ご興味ある方、お急ぎを。

 

 

 

 

 

終了後に撮らせていただいた、現代の名匠とのツーショット。

家宝であります(笑)。

 

 

 

 

 

以上、情報提供でした。

 

 

 

(テーマ分類不可なので「オフ報告、同好の士」で)

 

【前回】より続く。

 

 

 

隧道正面にあるもの。

わかりますよね?

 

 

 

 

 

ハイ、その通り。

吊り橋でございます。

 

 

 

 

 

サイドぎみアングルで。

意外と高い。

 

現地では何の情報もなかったこの吊り橋。永らく詳細不明だったが、愛と信頼のQ地図のおかげで「十津川村道奥里線の千切(せんぎり)橋、昭和23年完成」と判明した。

 

 

 

 

 

では、渡りましょ~。

 

振り返ってみれば、

まさに真正面に隧道。これぞ、往年の正ルートだったのでは?そのへん後ほど。

 

 

 

 

 

昔から

吊り橋では必ずやるこの自撮り(っていうのかこれも?)

 

 

 

 

 

この橋では、珍しく二枚撮ってた。

高かったけど恐怖感の記憶は全然ないので、さほどヤバい橋ではなかったはずだ。まあ、現在は知らんけど。

 

 

 

 

 

渡った先は

なにやらいい感じっぽいですぞ~。

 

 

 

 

 

対岸からの、千切橋全景。

橋長は64mだそうで。

 

 

 

 

 

渡った先の道がイイ感じだったので、少し進んでみたら、

すぐにこのような分岐が登場。

 

 

 

 

 

ここで、Q地図様からの切り出し画像を。

中央上が千切橋で、この分岐から点線道で奥里集落を経て陰地橋で村道滝川奥里線に再合流するのが、村道奥里線である。

 

千切橋は昭和23年完成とのことだが、村道滝川奥里線上にある「黒尾谷橋」は昭和33年の完成と、10年遅い。

これを文字通りに解釈すれば、かつては内原隧道~千切橋~村道奥里線ルートが奥里集落へと至る唯一の道で、車道を開削する際に、滝川に沿った現・滝川奥里線ルートが拓かれた、ということなのではないかと。

ちなみに陰地橋は昭和37年完成とさらに遅いという点も、この推測と矛盾しない。

 

 

 

 

 

たぶん先ほどの写真の分岐を右方向へと向かうのが奥里集落方面だと思われるが、

正面方向、地理院地図では道は一本しか描かれていないものの、実際はこのように上下二段に分岐。

 

ここ、実に雰囲気が良かった。淡白な当時の自分に、なんでもっと写真を撮らなかったのか詰めたいくらいで(笑)。

 

 

 

 

 

近辺に立ってたこんな看板。

「橋ノ谷」って、地理院地図では「才谷」となっている谷のことだろうか?

 

 

 

 

 

戻り際に撮った、

(ちょっとわかりにくいけど)内原隧道とのツーショット。

 

 

ここのほど近くには割と有名な「吊り橋+隧道」コンボがあるけれど、それよりちょっと奥まったこちらは、じゃっかんマイナー?なのかな?

 

でも最新(2023年4月!)のストビューで見たら、なんと内原隧道手前の空き地にきれいな公衆トイレが出来てる。ちょっと雰囲気変わったなあ。

 

 

久々に再訪したくなってきた。千切橋~奥里の道、大した距離もないし歩いてみたいかも。

 

 

 

 

 

以上。