本の進呈・続報70・前編(シンクロニシティ) | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、去る 一昨年おととしの4月7日(火)の「訪問看護(父親)・49・中編・1」のブログの上段に、

「(前略)去る3月17日(火)の『訪問看護(父親)・48・中編・1』のブログの上段に、

『(前略)去る3月3日(火)の【訪問看護(父親)・47・中編・1】のブログの上段に、

【(前略)去る2月18日(火)の〖訪問看護(父親)・46・中編・1〗のブログの上段に、

〖(前略)去る2月12日(水)の〔笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗しょうじょうから 大乗だいじょうへ〕のブログの上段に、

〔(前略)R.A.(英語:rheumatoid arthritis)(文章記載当時の名称は慢性関節リウマチですが、平成18年4月から 関節リウマチと呼称が変更されました。以下、R.A.と示させて頂きます)をわずらっている方々かたがた一助いちじょになれば幸いと存じまして 、去る 6年前の10月9日(木)の〘笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗しょうじょうから 大乗だいじょうへ〙のブログ そして 去る 4年前の1月12日(火)の〘笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗しょうじょうから 大乗だいじょうへ ・続報〙のブログを記させて頂きました。なお、みずからも 約30年間 菜食を実践致し、安全性を ためしました。そして、父親の介護として来ている 訪問看護師のかた や 家政婦たち そして 姉など複数の方々かたがたから 本にしたらいいと勧められました。そこで、去る1月24日(金)の〘製本・委託〙のブログに記させて頂きましたように、今回、自費で 製本を委託させて頂きました。(後略)〕と記させて頂きました。そして、この製本の 最初の1号を その訪問看護師のかたに進呈しました。なお、下の画像のように 本の見返みかえしに 一筆いっぴつ入れました。すると、この訪問看護師のかたによりますと、誠に有り難いことに、〔すごうれしい。迷ったら 読みます。〕とのことでありました。ついながら、この訪問看護師のかたによりますと、普段 自分は 何も言えないとのことでした。ちなみに、R.A.に罹患する 高齢の女性たちは このように 何も言えない方々かたがたが 多いので、この本を差し上げて よかった と思われました。

 

 

 一筆いっぴつ入れて 進呈した 成書

 

 

 

(後略)〗と記させて頂きました。そして、本日は 別の訪問看護師のかた(所長)が 来ましたが、上記と同様に 本を進呈しました。上記と同様に、下の画像のように 本の見返みかえしに 一筆いっぴつ入れました。ちなみに、当初 この訪問看護師のかた(所長)は なかなか受け取ってくれませんでしたが、誠に有り難いことに しまいには 受け取ってくれました。

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈した 成書

 

 

 

(後略)】と記させて頂きました。そして、今回も、この訪問看護師のかた(所長)が見えました。それで、誠に有り難いことに、上記のように 進呈した 成書を 在籍する訪問看護ステーションに置かせてもらうとのことでした。そこで、上記のように 相手の氏名を入れて 進呈したので、個人的に 受け取って頂けましたら と伝えました。しかしながら、この訪問看護ステーションに置かせてもらうとのことでした。(後略)』と記させて頂きました。今回も、別の訪問看護師のかたに進呈しました。すると、誠に有り難いことに、本の色がいい とのことでした。また、本の最後の印がいい とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。

 また、去る 一昨年おととしの4月14日(火)の「訪問医師・続報5(後編)」のブログの下段に、

「(前略)去る4月6日(月)の『リハビリテーション(父親)・82・後編』のブログの下段に、

『(前略)今回も、二人ふたりの理学療法士の方々かたがたに 上記の本を それぞれ進呈しました。(後略)』と記させて頂きました。それで、今回も、訪問医師のかた そして 作業療法士の科長のかた(運転手)に、上記の本を それぞれ進呈しました。

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈した 成書

 

 

 

(後略)」と記させて頂きました。

 ならびに、去る 一昨年おととしの6月9日(火)の「本の進呈・続報4」のブログ

 

 

の中段やや上に、

「(前略)去る5月8日(金)の『本の進呈・続報3』のブログの下段に、

『(前略)昨日 すなわち 5月7日(木)の【本の進呈・続報2】のブログの下段に、

【(前略)去る4月30日(木)の〖本の進呈・続報〗のブログの下段に、

〖(前略)去る4月15日(水)の〔本の進呈〕のブログの下段に、

〔(前略)去る 6年前の10月8日(水)の〘親の受診に付き添っていること・1〙のブログ そして 去る 6年前の11月9日(日)の〘親の受診に付き添っていること ・2〙のブログのそれぞれ共に中段やや上、さらに、去る 5年前の2月23日(月)の〘天皇陛下行幸の君恩によくして〙のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の 二人ふたりの後輩に、上記と同様に 本を進呈しました。 ちな みに、速達で 郵送しました。すると、誠に有り難いことに、そのうち一人 ひとり の後輩から このアメーバー・ブログのメッセージで、

〘ご無沙汰しております。
ご著書をお送りいただき、本日拝領いたしました。
ありがとうございます。
○○さんのこれまでの人生、見識をうかがい知れる内容を一冊の書籍にまとめられたこと、敬服いたします。
取り急ぎ、ご出版のお祝いと、御礼を申し上げます。(原文通り)〙と頂きました。それで、ぐに 返信しました。(後略)〕と記させて頂きました。そして、本日、もう一人 ひとり の後輩からも、誠に有り難いことに このアメーバー・ブログのメッセージで、

〔大変ご無沙汰しております。○○です。
自宅よりご尊書を頂戴したとの報を受けました。
愚妻に細事を聞くと○○様の御著書と併せての丁寧な御手紙などを頂戴したとのことでした。
新型コロナウイルスの対策に伴う緊急事態宣言を受けて此度は帰省することを見合わせ、未だ拝読させていただくに至らない状態となってしまっており 大変申し訳ございません。本来であれば拝読させていただいてからとは思いますが 取り急ぎ御礼をさせて頂ければと思いました。
本ブログの掲載を聞くところとなりメッセージを記入させて頂きました。
新型コロナで大変な世の中になり、また介護の日々とのことでより大変かと存じますが、是非ともご自愛下さいます様お願い申し上げます。(原文通り)〕と頂きました。それで、ぐに 返信しました。(後略)〗と記させて頂きました。そして、去る 4年前の2月11日(木)の〖数学教師〗のブログの上段に、

〖(前略)去る10月23日(金)の〔レクイエム〕のブログ の上段 そして 去る10月5日(月)の〔 硫黄島いおうとう〕のブログ の下段などに、母校の某・都立高校のことを言及させて頂きました。(後略)〗と記させて頂きました。また、去る 4年前の3月27日(日)の〖文学について〗のブログ去る 一昨々年さきおととしの1月4日(水)の〖不登校のその後(ゲシュタルト崩壊)〗のブログ と 去る 一昨々年さきおととしの3月6日(月)の〖父親の薬(両親の食事)・2〗のブログのそれぞれ上段、去る 一昨々年さきおととしの9月27日(水)の〖切断(両親の食事・うなぎ蒲焼かばやき・9)〗のブログ去る 一昨年おととしの3月27日(火)の〖うなぎ蒲焼かばやき・88(チェロの弦・父親の食事)〗のブログ と 去る 一昨年おととしの11月12日(月)の〖リハビリテーション(父親)・29・前編〗のブログのそれぞれ中段やや下、そして、去る 昨年の12月23日(月)の〖リハビリテーション(父親)・75・中編・1〗のブログ や 去る2月10日(月)の〖リハビリテーション(父親)・79・中編・1〗のブログのそれぞれ中段やや上にも、母校の某・都立高校のことを記させて頂きました。なお、この母校の某・都立高校の 二人ふたりの同級生にも、上記と同様に 本を進呈しました。 ちな みに、速達で 郵送しました。(後略)】と記させて頂きました。すると、誠に有り難いことに、そのうち一人 ひとり から 葉書はがきが届きました。すなわち、

【目上でも 医者でもないので、○○に敬語は・・・

すばらしい本をありがとうございました。

菜食療法が体に良い事が証明される事を みずから実行され ブログで発信されるバイタリティに敬意です。

お体に気(ここに 〖を〗が入るのであろうと思われます)付け がんばって下さい(原文通り)】と頂きました。それで、ぐに、特定記録の郵便で 返信しようとしました。ところが、午後3時10分に、郵便局に到着しました。御承知のように、新型コロナ・ウイルスのために 郵便窓口の営業は 午後3時まで でありますので、 間に合いませんでした。(後略)』と記させて頂きました。

 および、去る5月11日(月)の『うなぎ蒲焼かばやき・621(煮物・カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや上に、

『(前略)去る2月21日(金)の【新型コロナ・ウイルス】のブログ そして 去る5月6日(水)の【新型コロナ・ウイルス・続報】のブログなどに、新型コロナ・ウイルスのことを記させて頂きました。なお、家政婦によりますと、営業中であり 窓口が ふたつあるにもかかわらず 郵便局で 66番目であり、25分以上も待たされたとのことでした。そのために、¥2,000円以上の余分な手当てを あげなければなりませんでした。ついながら、この家政婦との話で、上記の新型コロナ・ウイルスのために、郵便局でも 通常と まったく 状況が変わっているとの内容になりました。(後略)』と記させて頂きました。

 そして、去る5月26日(火)の『ドア クローザ・続報』のブログの下段に、

『(前略)その返信は 上記のように 翌日 そして 翌々日に、送ることが出来ました。

 なお、その建具屋の社長にも、上記と同様に 本を進呈しました。

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈した 成書

 

 

 

 

(後略)』と記させて頂きました。

 しかも、去る4月22日(水)の『父親の薬(神経科)・29・後編』のブログの下段やや上に、

『(前略)去る4月21日(火)の【訪問看護(父親)・50・中編・1】のブログの上段に、

【(前略)今回も、別の訪問看護師のかたの分を含めて 訪問看護ステーション用とともに 二冊 進呈しました。なお、新たに来た この訪問看護師のかたによりますと、誠に有り難いことに 勉強になるとのことでした。(後略)】と記させて頂きました。そして、その神経科医にも、進呈しました。ちなみに、今度も、下の画像のように 本の見返みかえしに 一筆いっぴつ入れました。なお、去る 5年前の12月1日(火)の【姪の来訪】のブログ と 去る 4年前の7月14日(木)の【フランス革命】のブログのそれぞれ上段、去る 5年前の10月2日(金)の【 金木犀きんもくせいの花(心の眼を開いて)】のブログ の下段、去る 5年前の4月12日(日)の【ピサ(イタリア)】のブログ の中段やや上 そして 前述の 去る 6年前の10月9日(木)の【笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗しょうじょうから 大乗だいじょうへ】のブログ と  去る2月17日(月)の【笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗しょうじょうから 大乗だいじょうへ】のブログのそれぞれ中段やや下などに言及させて頂きました カント( ドイツ語:Immanuel Kant)( ドイツの哲学者 そして 思想家)は、【純粋理性批判】、【実践理性批判】、そして、【判断力批判】という【批判】と名付けられている著書を 三冊 書いています。この【批判】という言葉は 現在では、著作 や 言動の弱点 そして 欠点を指摘し 非難するといった 否定的な意味で よく使われていると言われています。ところが、【批判】の本義は そうでなく、【あるものを分かち、それぞれの分枝ぶんしの意義と制約(あるいは、限界)を見定めること】とされています。ここから カントは、【批判】とは 人間の認識能力の吟味ぎんみにより 認識や経験を可能にさせる条件・限界などをきらかにすることであり、人間理性の能力を画定かくていすることであるとした とされています。すなわち、吟味ぎんみして きらかにすることですね。このことを 二人ふたりの家政婦に話しましたら、誠に有り難いことに 納得してくれました。ついながら、上記の三冊の著書を 一言ひとことで お伝えしますと、最初の【純粋理性批判】は、基礎であり 理論(純粋)理性についてです。つぎに、二番目の【実践理性批判】は、道徳についてであります。そして、最後の【判断力批判】は、美的判断力と目的判断力の吟味ぎんみという形式で語られていますが 美学についてであります。このことも、家政婦に話しましたら、誠に有り難いことに 納得してくれました。

 

 

本の見返みかえしに 一筆いっぴつ入れて 進呈した 成書

 

 

本の見返みかえしに 一筆いっぴつ入れて 進呈した 成書

 

 

 

 そして、去る 6年前の10月8日(水)の【親の受診に付き添っていること・1】のブログ そして 去る 6年前の11月9日(日)の【親の受診に付き添っていること ・2】のブログのそれぞれ共に中段やや上、さらに、去る 5年前の2月23日(月)の【天皇陛下行幸の君恩によくして】のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークルの先輩(上記の神経科医と同じ苗字)に、上記と同様に 同時に 郵送して 本を進呈しました。

 

 

本の見返みかえしに 一筆いっぴつ入れて 進呈した 成書

 

 

 

 ところで、上記のように 昭和天皇陛下が 即位されたときに行われた 大禮たいれいの儀式にちなんで作られた 和紙である 大禮たいれい紙を 用いた手紙を添えて 香奠こうでん と 成書を手渡しました。(後略)』と記させて頂きました。
 そのうえ、本日 すなわち 6月9日(火)の『うなぎ蒲焼かばやき・646(カレーうどん・父親の食事)』のブログの下段などに、

『(前略)去る2月24日(土)の【三回忌さんかいき・前編】のブログなどに、母親の三回忌さんかいきのことを記させて頂きました。母親の この三回忌さんかいきを迎え、菜食に理解をた 母親に 感謝の気持ちをささげさせて頂きたい と思い 【笑いと菜食療法】を 製本させて頂きました。すると、誠に有り難いことに 家政婦によりますと、今は亡き母親が 喜んでいるとのことでした。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、この三回忌さんかいきのときに、参加してくれた親戚 や 僧侶には、書状を添えて この成書を手渡しました。また、参加することがかなわなかった 18ヶ所以上の親戚には、やはり 書状を添えて この成書を郵送しました。その郵送日が 去る2月27日(木)大安でした。そして、それから 約3ヶ月半が経過して 昨日、ある親戚から 誠に有り難いことに 返事がありました。

 すなわち、

【(前略)○○様の 永年の ご探求の成果を たまわりながら お返事も差し上げず失礼しました。当地に於いても コロナの影響が甚大となり 都会の名古屋から ひなの地 伊勢に ウイルスを運ぶことをおそれ 母の身を守るために しばらく ヘルパーさんに 母のケアを託しておりました。御父上様も お健やかに おすごしの ご様子 うれしいことでございます。

 ご母堂様も 三回忌さんかいきの ご供養をなさいましたとのこと、ありし日の お姿を思い浮かべ あらためて ご生前に お世話になったことなどを回顧し、当地から ご冥福を お祈り申し上げました。

 お贈り頂きました “小乗しょうじょう大乗だいじょう”の御冊子、何度も拝読させていただき、とくに“患者さんの訴えが みずからの身體からだに投影する”、“医療は 神の祈り”“小乗しょうじょう的な菜食が 菜食療法として 大乗だいじょう的なものになること”等の部分、深に迫る お言葉として 心にきざまさせていただきました。

 みずからの身をもって健康への途を示される お姿、ご両親への孝養の ご様子、まさに 菩薩行 そのものと 心から敬意を表します。

 昨今のコロナ禍、人類に対する 天からの叱責と思わざるをません。

 飽食、肉食を慎み、地球環境を大切に、天地万物と和解する大調和の心を 人類が とりもどすまで この神の愛の鞭は 大地を打ち続けるに違いありません。尊い教えの凝縮された冊子 大切にさせていただきます。(送り仮名がなも 含めまして、原文通り)(後略)』以上であります。それで、ぐに 返信すべく、書状の作成を始めました。そして、ようやく 返信が 完成したときに パソコンが 『フリーズ(英語:frieze)』しました。ちなみに、御承知のように、『フリーズ』とは 『凍る』や『固まる』という意味がある言葉です。それで、打ち込んだ データが 回収出来れば いいがと 祈りながら 作業(対処)しましたが、結局 回収出来ませんでした。そこで、最初から 作成し直さなければならなくなりました。したがいまして、この作業が 朝まで かりました。すなわち、徹夜になりました。(後略)」と記させて頂きました。

 また、去る 一昨年おととしの7月12日(日)の「本の進呈・続報7・前編(シンクロニシティ)」のブログの中段やや下に、

「(前略)去る7月2日(木)の『本の進呈・続報6』のブログの下段に、

『(前略)去る6月27日(土)の【本の進呈・続報5】のブログ

 

 

の下段に、

【(前略)去る6月23日(火)の〖父親の内科受診の付き添い・続報9・後編〗のブログ

 

 

の上段に、

〖(前略)去る6月14日(日)の〔家庭用ヒート・ポンプ給湯機の故障・続報5〕のブログ

 

 

の中段やや上に、

〔(前略)去る6月9日(火)の〘本の進呈・続報4〙のブログに、母親の 三回忌さんかいきを迎えるにあたり 上梓じょうしさせて頂きました 成書を進呈したことを記させて頂きました。そして、そのリフォーム担当者にも、本の見返みかえしに 一筆いっぴつ入れて この成書を進呈しました。(後略)〕と記させて頂きました。その内科医にも、本の見返みかえしに 一筆いっぴつ入れて この成書を進呈しました。(後略)〗と記させて頂きました。すると、本日、この内科医の奥方から 葉書が届きました。

 すなわち、

〖(前略)先日は、大切な ご本を賜り 誠に有り難く、感激いたしております。改めて 御礼を申し上げます。早速 拝読させていただきまして、さらに 感動です。様々な分野の ご本を読まれ、研究され、そして “仙人せんにん”と お父上から言われたところでは、おもわず 〔くすっ〕と いたしました。三十年は すごいですね。私共、先生には 及びもつきませんが 〔食〕には、気をつけてまいりたいと考えております。(送り仮名がなも 含めまして、原文通り)(後略)〗以上であります。

 それから、一昨日おととい すなわち 6月25日(木)の〖うなぎ蒲焼かばやき・660(てんぷら・カレーうどん・父親の食事)〗のブログのコメント1で、誠に有り難いことに、

〖(前略)30年以上 菜食を続けていらっしゃるとのこと、すべくわしく書かれていらっしゃり 大変参考になりました。(送り仮名がなも 含めまして、原文通り)(後略)〗と伺いました。それで、このブログ記事のコメント2で、

〖(前略)去る2月12日(水)の〔笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗しょうじょうから 大乗だいじょうへ・前編〕のブログの上段に、

〔(前略)みずからも 約30年間 菜食さいしょくを実践致し、安全性を ためしました。(後略)〕と記させて頂きました。(後略)〗と記させて頂きました。

 さらに、去る2月12日(水)の〖笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗しょうじょうから大乗だいじょうへ・後編〗のブログの中段やや下に、

〖(前略)誠に有り難いことに、ぼう・ボランティアのサークルの年輩スタッフからも、高齢者が 二十年間 きられれば、充分、ということで御座ございました。

 ただし、前述致しましたように、最近では、若い方々かたがたにもみられるようになって来たとのことで御座ございますので、二十年間でも、三十年間でも、きている限りは、それ以上の期間、菜食さいしょくにして 大丈夫ということを証明する必要が御座ございます。これからも、その期間を伸ばしていこうと思います。(後略)〗と記させて頂きました。

 なお、くまでも、菜食療法は R.A.の患者さんのための食事療法であります。

 つぎに、芥川龍之介あくたがわりゅうのすけの作品『杜子春とししゅん』の最後に、〖(仙人せんにんに)なれません。なれませんが、しかし わたしは なれなかったことも、かえって うれしい気がするのです。(送り仮名がなも 含めまして、原文通り)〗と書かれてあります。なお、去る2月12日(水)の〖笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗しょうじょうから 大乗だいじょうへ・前編〗のブログの下段やや上に、

〖(前略)誠に有り難いことに、新教連(新教育者連盟)(文部科学大臣認可財団法人)支部長(当時)や、同居している父親からは、〔仙人せんにん〕と言われます。(後略)〗と記させて頂きました。そして、この箇所に関しまして、上記のように 〖“仙人せんにん”と お父上から言われたところでは、おもわず 〔くすっ〕と いたしました。〗と伺いました。すなわち、上記の〖杜子春とししゅん〗の言葉が、これらのことに関します回答であります。

 ついながら、去る3月24日(火)の〖福祉用具の点検・続報5・後編〗のブログの下段に、

〖(前略)その福祉用具の貸与 と 販売の業者のかたにも、この製本を進呈しました。なお、下の画像のように 本の見返みかえしに 一筆いっぴつ入れました。すると、この福祉用具の貸与 と 販売の業者のかたによりますと、誠に有り難いことに 自費出版は たいへんですね とのことでした。ちなみに、去る1月24日(金)の〔製本・委託〕のブログ の上段に、

〔(前略)誠に有り難いことに、当ブログに 度々たびたび〘いいね〙をくれる出版所のかたます。それで、そのかたに 当ブログの一話分の製本を委託しました。すると、当ブログの原稿データが ありますので、30冊で 28万円程度とのことでした。ちなみに、1冊 約1萬円くらいになりますね。(後略)〕と記させて頂きました。確かに 最初の編集ということもありますが、上記のように 1冊 約1萬円くらいになりますね。(後略)〗と記させて頂きました。さらに 上記のように 自費出版で 追加することにしました。なお、その出版所のかたによりますと、今度は 100部単位にして欲しいとのことでした。(後略)】と記させて頂きました。

 しかして、本日、先方から 年賀状が送られてくるので 返事を投函していた男性から 【退職の挨拶】として 葉書が来ました。すなわち、

【(前略)この度 私は、5月31日をもちまして、退職しました。26年間の長きにわたり、皆様からのご指導とご愛念を賜りましたことを深く感謝申し上げます。これからは、初心にかえって、伝道と愛行に邁進して行きたいと思っておりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。(送り仮名がなも 含めまして、原文通り)(後略)】以上であります。それで、ぐに 返信すべく、書状の作成を始めました。ちなみに、上記と同様に 郵送して 本を進呈しました。なお、この作業が 朝まで かりました。すなわち、今回も、徹夜になりました。

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈した 成書

 

 

 

(後略)』と記させて頂きました。そして、本日 御中元が届きましたので、父親の許可を得て、お返しに その成書を進呈すべく 書状の作成を始めました。(後略)」と記させて頂きました。ちなみに、去る 一昨年おととしの3月12日(木)の「アナウンサー」のブログ

 

 

の上段 そして 去る 4年前の10月30日(火)の「突然の僧侶の来訪」のブログの下段やや上などに、

「(前略)ときに、去る7月31日(火)の『アナウンサー(体温計・父親の食事)』のブログの上段に、

『(前略)去る3月17日(土)の【うなぎ蒲焼かばやき・80(生花・父親の食事)】のブログの中段やや上に、

【(前略)去る 昨年の3月12日(日)の〖アナウンサー・続報(両親の食事)〗のブログの上段に、

〖(前略)去る 一昨年おととしの9月2日(水)の〔アナウンサー〕のブログ の冒頭などに、

〔(前略)去る10月12日(日)の〘ダリアの花〙のブログ の中段に記させて頂きましたように、親戚に、N.H.K.放送センター(J.O.A.K.)の三輪秀香アナウンサーがます。(後略)〕と記させて頂きました。ちなみに、この4月から、このアナウンサーが 三年間の予定で 名古屋放送局(J.O.C.K.)へ異動することが決まりました。なお、N.H.K.放送センター(J.O.A.K.)では、誠に御苦労様でした。

 ときに、去る 昨年の3月14日(月)の〔親への買い物・8〕のブログの下段 そして 去る4月13日(水)の〔ノート・パソコンの購入 ・続報 4(言葉の意味するところの違い)〕のブログの中段やや上などに、

〔(前略)親によりますと、去る9月2日(水)の〘アナウンサー〙のブログ の冒頭に記させて頂きました 親戚のアナウンサーの結婚が決まったと聞いた とのことでした。誠に おめでとう 御座ございます。(後略)〕と記させて頂きました。ちなみに、このアナウンサーは、実家が 三重にあり 長女です。父親によりますと、将来 実家に戻り 家を継ぐために、相手の男性が 養子になることを前提にして 結婚が許されたのだそうです。このことにつきまして、母親によりますと 〔そうなの。〕とのことでありました。なお、異動先が 実家に近い名古屋放送局で よかったのかもしれません。(後略)〗と記させて頂きました。このアナウンサーの祖母から 生花が送られて来ました。それで、お返しをしました。(中略)

 送られて来た 生花(三輪家と書かれてあります)(後略)】と記させて頂きました。この祖母によりますと、【孫(このアナウンサーのこと)は、子供が出来た。】とのことでした。誠に おめでとうございます。(後略)』と記させて頂きました。上記の僧侶によりますと、このアナウンサーの 朝の番組(あさイチ)を見ていた とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。

 そして、前述の 去る 一昨年おととしの7月12日(日)の「本の進呈・続報7・前編(シンクロニシティ)」のブログの下段に、

「(前略)上記の 三輪秀香アナウンサーの芳名の『秀』の漢字を、前述致しましたように 成書を進呈すべく 書状の作成を始めた 宛名あてなかたが、名前に持っているのであります。

 

 (半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、つぎのブログ記事に この続きを記させて頂きます。なお、義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)