金木犀の花(心の眼を開いて) | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

 このブログに御訪問頂き、誠にありがとうございます。

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 さて、去る10月5日(日)の「ボランティア・高尾山登山」のブログ去る1月21日(水)の「ボランティア・高尾山登山・その2」のブログ で、「(前略)18年間、月二回、日曜日に、・・・ボランティアを、このトップの方々(かたがた)二人に委託されて、おこなって参りました。(後略)」と お伝え申し上げましたボランティアにおきまして、毎年、東京都八王子市にあります大正天皇陵「多摩陵たまのみささぎ」、そして、昭和天皇陵「武藏野陵(むさしののみささぎ)」に参拝致しました。勿論もちろん、貞明皇后陵「多摩東陵たまのひがしのみささぎ」、そして、香淳皇后陵「武藏野東陵むさしののひがしのみささぎ」にも参拝致しました。前述のトップのかたに、「多摩東陵たまのひがしのみささぎ」の正式な読みかたかれましたので、ルビ(英語: ruby:語源は、宝石のルビーとのことです。御承知のように、振り仮名のことです。)として記させて頂きましたように回答致しました。この参道にはこけ()えています。そのこけの写真を、下に掲載させて頂きます。



武藏野陵・参拝
こけ


武藏野陵・参拝

こけ



 こけちなませて頂きますと、大学を卒業致しました春に、関西に卒業旅行を致しました。一般には苔寺こけでらの通称で知られる西芳寺に行き、「般若心経(はんにゃしんぎょう)」の写経を致しました。御承知のように、ここのこけは誠に素晴らしかったです。なお、西芳寺の拝観に当たりましては、事前に申込みが必要です。

 また、大阪で「国際花と緑の博覧会」が開催されていましたので、参りました。ちなみに、大阪の博覧会とえば、昭和45年(1970年)の夏休みに、母親、そして、姉夫婦(当時は結婚前)と共に「日本万国博覧会」に行きました。機会がありまして、宜敷よろしければ、この「日本万国博覧会」のことを記させて頂きます。前述の「国際花と緑の博覧会」の開催が平成2年(1990年)ですから、大阪の博覧会は、丁度ちょうど20年ぶりに開催されたということになりますね。

 および、大阪の難波から南海電鉄で高野山に行きました。そして、一人ひとりで、某・宿坊に二泊致しました。それ以前に、この某・宿坊には親と宿泊したことがありましたが、このときは自由旅行でしたので、予約を入れておりませんでした。それで、一泊目は部屋が一杯とのことでふさがっていまして、従業員が使用すると思われる四畳半位の部屋に泊まることになりました。但し、泊まれましたことは誠に有り難く思いました。二泊目は、少し広い部屋になりました。宿坊では、早朝に「お勤め」があり、宿泊者が参加します。御承知のように、「お勤め」とは、お寺で行われる法要のことです。

 話を戻しますが、数年前の秋、「武藏野陵(むさしののみささぎ)」で撮影致しました金木犀きんもくせいの写真を添付させて頂きます。



武藏野陵・参拝
金木犀きんもくせい



 去る3月23日(月)の「沈丁花ジンチョウゲ」のブログ の下段に、

「(前略)金木犀きんもくせい沈丁花ジンチョウゲと同様に雌雄異株でありますが、日本では雄株しか入っていないので結実しません。しべが2本と不完全なしべ(痕跡的な柱頭)を持つとのことです。一方、沈丁花ジンチョウゲは、雌株に赤く丸い果実(有毒)をつけます。但し、前述のように、日本の沈丁花ジンチョウゲは雄株が多く、果実は出来ないとのことです。

 よって、金木犀きんもくせいも、沈丁花ジンチョウゲと同様に、し木で増やすとのことです。国内でし木繁殖した結果、日本の金木犀きんもくせいは雄株ばかりになったのだとも考えられるとのことです。(後略)」と記させて頂きまして、自宅の庭で撮影った、金木犀きんもくせいの写真を掲載させて頂きました。なお、し木にちなませて頂きますと、 去る8月11日(火)の「ぎ木のたとえ」のブログ を記させて頂きました。

 それから、先日、同じく自宅の庭で撮影った、金木犀きんもくせいの花の写真を下に添付致します。

 


武藏野陵・参拝
金木犀きんもくせいの花



武藏野陵・参拝
金木犀きんもくせいの花



武藏野陵・参拝
金木犀きんもくせいの花



 ならびに、去る10月12日(日)の「薔薇ばらの花」のブログ 、そして、去る7月5日(日)の「薔薇ばらの花・2」のブログ に自宅の庭で撮影した薔薇ばらの花の写真を添付させて頂きましたが、過日、自宅の庭に一輪のくれない薔薇ばらの花が咲きましたので、その花の写真を、撮影る角度を少し変えて2枚、下に掲載させて頂きます。ちなみに、去る4月28日(火)の「花水木(ハナミズキ)」のブログ の上段に、

「(前略)サン=テグジュペリ(フランスの作家、そして、操縦士)の童話『星の王子さま』の薔薇ばらをテーマ(ドイツ語: Thema)(この場合は話題、または、主題のこと)にした一節からモチーフ(フランス語: motif)(この場合は動機のこと)を得て作詩・作曲したと言われるフォーク・ソング(英語:folk song)『薔薇ばらが咲いた』の歌詞が思い出されました。(後略)」と記させて頂きました。ちなみに、「星の王子様」を言及なされた読者のぉかたへの返信(メッセージ)でも伝えましたが、「星の王子様」の本を読ませて頂いたこともありましたし、去る9月2日(水)の「アナウンサー」のブログ の冒頭に記させて頂きました親戚のアナウンサーの卒論のテーマが、「星の王子様」でありました。


武藏野陵・参拝
くれない薔薇ばらの花



武藏野陵・参拝
くれない薔薇ばらの花



 さらに、去る7月29日(水)の「柚子(ゆず)の実」のブログ の冒頭に、
「(前略)去る5月10日(日)の『オガタマノキ(招霊木・黄心樹)』のブログ の冒頭に、

『(前略)自宅の庭の柚子(ゆず)の木に花が咲きましたので、去る5月7日【木】・早朝と昨日・早朝に撮影りました写真を、下に掲載させて頂きます。去る5月7日【木】・早朝のときはつぼみが多く、ようやく開花という状態で御座ございましたが、昨日・早朝では、更に咲きました。姉によりますと、実が出来るかもとのことですが、如何いかがでしょうか。ちなみに、去る3月14日(土)の【食塩を控えて、尚且なおか美味おいしく食べる工夫(食事療法)】のブログ の中段に、

【(前略)4.前述のように、柑橘類かんきつるい柚子(ゆず)酢橘すだち香母酢かぼす、だいだい、そして、レモンなど)や食酢の酸味を利用する。ちなみに、柑橘類かんきつるい、とりわけ柚子(ゆず)のことは、去る11月23日(日)の〖アロマ・テラピー〗のブログ に記させて頂きました。(後略)】と記させて頂きました。(後略)』(中略)誠に有り難いことに、その柚子(ゆず)の実が少しずつ()って来ました。昨日・早朝に撮影りました写真を、下に掲載させて頂きます。但し、これらの柚子(ゆず)の実が黄色く色づくのは、まだ先のことですね。御承知のように、冬至には、黄色く色づいた柚子(ゆず)の実を用いて柚子(ゆず)湯にしますね。(後略)」と記させて頂きました。これらの柚子(ゆず)の実が少しずつ大きくなりました。昨日・早朝に撮影りました写真を、下に添付させて頂きます。


武藏野陵・参拝
柚子(ゆず)の実



武藏野陵・参拝
柚子(ゆず)の実



武藏野陵・参拝
柚子(ゆず)の実



武藏野陵・参拝
柚子(ゆず)の実



武藏野陵・参拝
柚子(ゆず)の実



 この世界は、心の眼を開いてこれを見るとき常に新しい世界なのであります。常に新しい世界が私たちの前に開かれつつあるのに、もし私たちがこの世界に新鮮味を見出すことが出来ないで倦怠(けんたい)の気におそわれるとしたならば、それはこの世界が新しくないのではなく、自分の心の眼がひらかないからに過ぎないのであります。


 古代ギリシアの哲学者であるプラトン(プラトーン)の「洞窟どうくつ比喩ひゆ」が御座ございます。また、アイルランド出身の詩人であるオスカー・ワイルドによりますと、「ロンドン(英語:London)の霧は、詩人がこれを認めて詩にえいずることによって存在に入った。」とのことであり、この霧が心の存在に入ったのであります。および、去る4月12日(日)の「ピサ(イタリア)」のブログ の中段やや上に言及させて頂きましたように、イマヌエル・カント(ドイツ語:Immanuel Kant)(ドイツの哲学者、そして、思想家)の「コペルニクス的転回」が御座ございます。ならびに、去る7月17日(金)の「プチ・トマト」のブログ の上段に、

「(前略)学部2回生のときに、解剖学の教授から、『心ここにあらざれば、見れども見えず。』とのむねの話しを伺いました(後略)」と記させて頂きました。


 心の眼をひらいての世界を見ると、そこには限りなき形の変化があります。そこには限りなき色彩の変化があります。そこには限りなき音の変化があります。そこには限りなきにおいの変化があります。そこには限りなきアイデア(英語:idea)の変化があります。そして、そこには限りなき個性の変化があります。それらが、みな私たちに向かって、「われを見よ。此処ここに全然新しいものがある。新しい個性がある。新しいアイデアがある。そして、新しい表現がある。われを見よ!」と呼びかけているのであります。

 私たちは今、心の眼をひらいて、この新しい世界を見ましょう。それは誠に新しい宇宙であり、新しいアイデアであり、新しい個性であり、新しい創造であり、そして、新しい発展であります。見るもの、聴くもの、そして、触れるもの、ことごとく新鮮に溌剌はつらつとして生気せいきに満ち(あふ)れているのであります。さらに、新鮮に生気せいきに満ち(あふ)れているのは私たちの周囲にある存在だけではなく、私たち自身も常に新しく生気せいきに満ち(あふ)れているのであります。


 本日も、最後(まで)ぉ読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)