はじめに(目次)
瞑想法を中心に体系化された世界各地の仏教の修行法について概説するのが本ブログのテーマです。
本来、仏教は瞑想修行の宗教です。
瞑想修行法を知ることで、初めて仏教がどのような思想であるのかが理解できると思います。
それも、個別の瞑想法ではなく、阿羅漢や仏に至るまでの体系立てられたプロセスを理解することが重要です。
日本には精密に体系立てられた瞑想法・修行法がほとんどありません。
そのため、精密な修行体系が存在するということも想像できないと思います。
ですから、インドや東南アジア、チベットの仏教の瞑想体系を知ると、驚愕せずにはいられないでしょう。
ただ、このブログは、一筋に通った体系性を求めているのではありません。
それでは、釈迦の「対機説法」の正反対の方法になってしまいます。
むしろ、たくさんの体系を並べて勉強することで、それに捕らわれず、自由に選択、利用できるように、ということを目指しています。
一般の日本人は、仏教の修行法と言えば、「無念無想」になるとか、「苦行」をするといったことをイメージすると思います。
しかし、これらは、仏教の修行にとっては本質的ではありませんし、むしろ積極的に否定される方が多いのです。
例えば、瞑想法と言っても次のように極めて多様です。
まず、日常生活の最中に行う瞑想もあれば、日常と区別された瞑想の時間をとって行うものがあります。
座って行う瞑想(座禅)もあれば、歩きながらとか、特殊な姿勢や動きの中で行うものもあります。
特定の呼吸法を伴なう瞑想もあれば、ないものもあります。
開眼で行う瞑想もあれば、閉眼で行うものもあります(一般に、部派・密教では閉眼が多く、大乗・ゾクチェンでは開眼が多いようです)。
無言で行う瞑想もあれば、発話しながら行うものもあります。
思考なしの瞑想もあれば、思考しながらの瞑想もあります。
イメージなしの瞑想もあれば、イメージを描きながらのもの(観想)もあります。
対象を固定した瞑想もあれば、固定しないもの、対象を持たないものもあります。
教理に沿って行う瞑想もあれば、そうでないものもあります。
気(プラーナ)をコントロールして身体を止滅させたり、逆に活性化する瞑想もあります。
一切の作為なしの瞑想や、自覚するだけの瞑想もあります。
本ブログでは、原始仏典に書かれた初期の修行体系から、部派仏教や現在の上座部系の諸派、大乗仏教や密教、マハームドラーやゾクチェン、さらに中国仏教や日本の禅の修行体系までを概説します。
主に、各派の修行体系を、代表的な経典や論書を中心にして説明します。
各派の共通性や違いについて、歴史的な変遷については、本質を押さえて、おおざっぱに捉えます。
修行法は思想と密接な関係があるため、修行法の背景になっている教義・思想の本質についても触れます。
* 当ブログは、特定の宗派・流派にこだわらずに、仏教の様々な瞑想法を勉強することを目的にしています。欧米では、上座部系のヴィパッサナー瞑想と、チベット系のゾクチェンなどの瞑想、東アジアの禅を同時に学ぶ人も増えています。日本でもそのような状況が生まれることを期待しています。
* 原始仏典や、上座部の瞑想法こそが釈迦の瞑想法であり他はダメだと言う人がいますが、それを信仰としては否定いたしません。ただ、当サイトはそのような思い込みとは無縁です。釈迦の思想が何であるかについてはあまり興味はなく、釈迦の思想こそが重要だとも思っていません。仏教が多様な思想や瞑想法を生み出してきたことをありがたく思い、自由な立場から、各人にとって意味ある思想や瞑想法を探究することが重要だと思っています。
* 当ブログの内容は、瞑想の実践的なガイドではなく、基礎知識を提供するものです。当ブログの作者は、仏教の専門家でも、瞑想の師でもなく、単に、幅広く様々なものに興味を持っている人間です。
* 当サイトの記事をもとに瞑想を独習して、どのような結果になっても一切責任は負えません。実習は専門書や専門の師の指導の元に行うことをおすすめいたします。ただ、内容についてのご批判には真摯に対応します。
* 仏教以外の瞑想法に関しては、姉妹サイトの世界の瞑想法を、瞑想法とは似て非なる心のコントロール法である夢見の技術に関しては、姉妹サイトの夢見の技術を、ご参照ください。
==目次==
■概論
・対機説法から体系化へ
・三学と止観
・止(サマタ)
・観(ヴィパッサナー)
・修行階梯と位階
・部派仏教・上座部仏教の修行と思想
・大乗顕教(菩薩乗)の修行と思想
・密教(金剛乗)の修行と思想
・ゾクチェン・マハームドラー(任運乗)の修行と思想
■原始仏教・初期仏教
・最古層経典(「スッタニパータ4・5章」)
・「サティパッターナスッタ(大念処経)」
・「アーナーパーナサティスッタ(安般念経)」
・「沙門果経」
■上座部仏教・部派仏教
・「清浄道論」(上座部):概論
・「清浄道論」(上座部):止(総論)
・「清浄道論」(上座部):止(各論)
・「清浄道論」(上座部):観(総論)
・「清浄道論」(上座部):観(各論1)
・「清浄道論」(上座部):観(各論2)
・パオ流:止1(ミャンマー現代上座部)
・パオ流:止2(ミャンマー現代上座部)
・パオ流:観(ミャンマー現代上座部)
・マハーシ流(ミャンマー現代上座部系)
・ゴエンカ流(インド・現代上座部系)
・「倶舎論」(説一切有部系):総論
・「倶舎論」(説一切有部系):各論
■大乗仏教(菩薩乗)
・「現観荘厳論」(中観派)
・「成唯識論」(唯識派):総論
・「成唯識論」(唯識派):各論
・「入菩薩行論」(中観派)
・「菩薩道次第略論」(チベット・ゲルグ派)
・「八座からなる心の訓練(ロジョン)」(チベット)
■後期密教(金剛乗)
・後期密教の修行階梯(概論)
・四前行(チベット・ゲルグ派)
・生起次第の背景思想
・秘密集会 聖者流 生起次第(父タントラ)
・究竟次第の背景思想
・秘密集会 聖者流 究竟次第(父タントラ)
・チャンダリーの火(母タントラ)
・カーラチャクラ・タントラ 究竟次第(不二タントラ)
・後期密教の貪欲行
■ゾクチェン/マハームドラー(任運乗)
・マハームドラー
・テクチュー(ゾクチェン)
・トゥゲル(ゾクチェン)
■中国仏教/禅宗
・「天台小止観」(中国天台宗)
・「摩訶止観」(中国天台宗)
・達磨の「二入四行論」(中国禅宗)
・白隠の公案禅の階梯:階梯(日本臨済宗)
・白隠の公案禅の階梯:公案(日本臨済宗)
■コラム
・欧米の新仏教
・心理療法と仏教
・只管打座と他のメソッドとの違い
・上座部受容の貧しさと、知識の欠落
・上座部とミックスメソッド:主体の問題
・上座部とミックスメソッド:具体的なメソッド
・現世肯定の仏教へ
・般若心経の和訳と瞑想修行法
*姉妹サイト「神話と秘儀」、「世界の瞑想法」、「夢見の技術」、「神秘主義思想史」、「夢見の技術」、「シャーマンと伝統文化の智恵の道」、「MORFOハブ・サイト」もご参照ください。
本来、仏教は瞑想修行の宗教です。
瞑想修行法を知ることで、初めて仏教がどのような思想であるのかが理解できると思います。
それも、個別の瞑想法ではなく、阿羅漢や仏に至るまでの体系立てられたプロセスを理解することが重要です。
日本には精密に体系立てられた瞑想法・修行法がほとんどありません。
そのため、精密な修行体系が存在するということも想像できないと思います。
ですから、インドや東南アジア、チベットの仏教の瞑想体系を知ると、驚愕せずにはいられないでしょう。
ただ、このブログは、一筋に通った体系性を求めているのではありません。
それでは、釈迦の「対機説法」の正反対の方法になってしまいます。
むしろ、たくさんの体系を並べて勉強することで、それに捕らわれず、自由に選択、利用できるように、ということを目指しています。
一般の日本人は、仏教の修行法と言えば、「無念無想」になるとか、「苦行」をするといったことをイメージすると思います。
しかし、これらは、仏教の修行にとっては本質的ではありませんし、むしろ積極的に否定される方が多いのです。
例えば、瞑想法と言っても次のように極めて多様です。
まず、日常生活の最中に行う瞑想もあれば、日常と区別された瞑想の時間をとって行うものがあります。
座って行う瞑想(座禅)もあれば、歩きながらとか、特殊な姿勢や動きの中で行うものもあります。
特定の呼吸法を伴なう瞑想もあれば、ないものもあります。
開眼で行う瞑想もあれば、閉眼で行うものもあります(一般に、部派・密教では閉眼が多く、大乗・ゾクチェンでは開眼が多いようです)。
無言で行う瞑想もあれば、発話しながら行うものもあります。
思考なしの瞑想もあれば、思考しながらの瞑想もあります。
イメージなしの瞑想もあれば、イメージを描きながらのもの(観想)もあります。
対象を固定した瞑想もあれば、固定しないもの、対象を持たないものもあります。
教理に沿って行う瞑想もあれば、そうでないものもあります。
気(プラーナ)をコントロールして身体を止滅させたり、逆に活性化する瞑想もあります。
一切の作為なしの瞑想や、自覚するだけの瞑想もあります。
本ブログでは、原始仏典に書かれた初期の修行体系から、部派仏教や現在の上座部系の諸派、大乗仏教や密教、マハームドラーやゾクチェン、さらに中国仏教や日本の禅の修行体系までを概説します。
主に、各派の修行体系を、代表的な経典や論書を中心にして説明します。
各派の共通性や違いについて、歴史的な変遷については、本質を押さえて、おおざっぱに捉えます。
修行法は思想と密接な関係があるため、修行法の背景になっている教義・思想の本質についても触れます。
* 当ブログは、特定の宗派・流派にこだわらずに、仏教の様々な瞑想法を勉強することを目的にしています。欧米では、上座部系のヴィパッサナー瞑想と、チベット系のゾクチェンなどの瞑想、東アジアの禅を同時に学ぶ人も増えています。日本でもそのような状況が生まれることを期待しています。
* 原始仏典や、上座部の瞑想法こそが釈迦の瞑想法であり他はダメだと言う人がいますが、それを信仰としては否定いたしません。ただ、当サイトはそのような思い込みとは無縁です。釈迦の思想が何であるかについてはあまり興味はなく、釈迦の思想こそが重要だとも思っていません。仏教が多様な思想や瞑想法を生み出してきたことをありがたく思い、自由な立場から、各人にとって意味ある思想や瞑想法を探究することが重要だと思っています。
* 当ブログの内容は、瞑想の実践的なガイドではなく、基礎知識を提供するものです。当ブログの作者は、仏教の専門家でも、瞑想の師でもなく、単に、幅広く様々なものに興味を持っている人間です。
* 当サイトの記事をもとに瞑想を独習して、どのような結果になっても一切責任は負えません。実習は専門書や専門の師の指導の元に行うことをおすすめいたします。ただ、内容についてのご批判には真摯に対応します。
* 仏教以外の瞑想法に関しては、姉妹サイトの世界の瞑想法を、瞑想法とは似て非なる心のコントロール法である夢見の技術に関しては、姉妹サイトの夢見の技術を、ご参照ください。
==目次==
■概論
・対機説法から体系化へ
・三学と止観
・止(サマタ)
・観(ヴィパッサナー)
・修行階梯と位階
・部派仏教・上座部仏教の修行と思想
・大乗顕教(菩薩乗)の修行と思想
・密教(金剛乗)の修行と思想
・ゾクチェン・マハームドラー(任運乗)の修行と思想
■原始仏教・初期仏教
・最古層経典(「スッタニパータ4・5章」)
・「サティパッターナスッタ(大念処経)」
・「アーナーパーナサティスッタ(安般念経)」
・「沙門果経」
■上座部仏教・部派仏教
・「清浄道論」(上座部):概論
・「清浄道論」(上座部):止(総論)
・「清浄道論」(上座部):止(各論)
・「清浄道論」(上座部):観(総論)
・「清浄道論」(上座部):観(各論1)
・「清浄道論」(上座部):観(各論2)
・パオ流:止1(ミャンマー現代上座部)
・パオ流:止2(ミャンマー現代上座部)
・パオ流:観(ミャンマー現代上座部)
・マハーシ流(ミャンマー現代上座部系)
・ゴエンカ流(インド・現代上座部系)
・「倶舎論」(説一切有部系):総論
・「倶舎論」(説一切有部系):各論
■大乗仏教(菩薩乗)
・「現観荘厳論」(中観派)
・「成唯識論」(唯識派):総論
・「成唯識論」(唯識派):各論
・「入菩薩行論」(中観派)
・「菩薩道次第略論」(チベット・ゲルグ派)
・「八座からなる心の訓練(ロジョン)」(チベット)
■後期密教(金剛乗)
・後期密教の修行階梯(概論)
・四前行(チベット・ゲルグ派)
・生起次第の背景思想
・秘密集会 聖者流 生起次第(父タントラ)
・究竟次第の背景思想
・秘密集会 聖者流 究竟次第(父タントラ)
・チャンダリーの火(母タントラ)
・カーラチャクラ・タントラ 究竟次第(不二タントラ)
・後期密教の貪欲行
■ゾクチェン/マハームドラー(任運乗)
・マハームドラー
・テクチュー(ゾクチェン)
・トゥゲル(ゾクチェン)
■中国仏教/禅宗
・「天台小止観」(中国天台宗)
・「摩訶止観」(中国天台宗)
・達磨の「二入四行論」(中国禅宗)
・白隠の公案禅の階梯:階梯(日本臨済宗)
・白隠の公案禅の階梯:公案(日本臨済宗)
■コラム
・欧米の新仏教
・心理療法と仏教
・只管打座と他のメソッドとの違い
・上座部受容の貧しさと、知識の欠落
・上座部とミックスメソッド:主体の問題
・上座部とミックスメソッド:具体的なメソッド
・現世肯定の仏教へ
・般若心経の和訳と瞑想修行法
*姉妹サイト「神話と秘儀」、「世界の瞑想法」、「夢見の技術」、「神秘主義思想史」、「夢見の技術」、「シャーマンと伝統文化の智恵の道」、「MORFOハブ・サイト」もご参照ください。