2011-12-20 22:56:57

「摩訶止観」(中国天台宗)

テーマ:中国仏教・禅宗
「摩訶止観」では、天台智顗の完成された思想を反映した「止観」の方法が説かれます。
「天台小止観」と比較したその特徴は、まず、三諦偈の「空(従仮入空観)」、「仮(従空入仮観)」、「中(中道第一義観)」の三つ止観の方法を、順番にではなく、一挙に行う「円頓止観」を説く点です。

「天台小止観」においては、三観は、「空」(有の立場を否定して無概念の状態に至る)→「仮」(言葉による表現を認めて空への偏りをなくす)→「中」(空と仮の立場を総合してどちらかへの偏りをなくす)というように、段階的に進むもので、「漸次止観」と呼ばれます。
しかし、「摩訶止観」の「円頓止観」では、最初から真実の姿を、つまりこの3つを一挙に総合して捉えます。

「天台小止観」の「中」は、すでに「空」と「仮」を総合したものです。
しかし、そこから翻って「空」を見ると、そこには「仮」も「中」も含まれていて、「仮」を見ると、「空」も「中」もそこに含まれる、という観点が「円頓止観」です。

この「円頓止観」は、中国仏教に特徴的な、超時間的・超合理的な、総合の論理です。
これは、「法華経」の「円教」という、すべてを総合して捉える発想に基づいて、三観を捉えたものです。

また、「摩訶止観」の特徴には、「止」に関して「四種三昧」を、「観」に関しては「十境十乗観法」や「一念三千」を説くことがあります。

「十境十乗観法」は、観察の対象を「十境」に分類し、観察の方法を「十乗」に分類し、その組み合わせ全体で100種類の観察を行う観法です。
「一念三千」は、一つの心の中に、「十法界」、「三界」、「十如是」を組み合わせた3000の性質を見るという観法です。

「摩訶止観」では、こういった「十境」、「十乗」、「三千世界」などは、「円頓」、つまり無時間的な総合という観点から説かれています。
ですから、階梯として体系化されていません。
しかし、現実的には階梯的な側面もないというわけではありません。

「十境十乗観法」と「一念三千」の世界観は、哲学・教学として、非常に複雑で完成度の高いものです。
しかし、そのため、現実の実践においては、部分的にしか実践できないものになっているのではないかと思います。

以下、「摩訶止観」の章立てに沿って、概説します。


<大意>

最初の「大意」の章で、「六即」と「四種三昧」などが語られます。

「六即」は、法華円教を行ずる菩薩の修行過程を、次の六つの位に分けたものです。

・「理即」 :まだ正法を聞いいていない段階
・「名字即」:仏法を聞いた段階
・「観行即」:修行を始めて心に仏性を見ていく段階
・「相似即」:二惑を断じて、悟りに相似した六根を清浄にした段階
・「分真即」:四十二品ある無明惑のうち、最後の元品の無明だけしか残していない段階
・「究竟即」:円教境地を達成した究竟の段階

「四種三昧」は次の4種の、半ば階梯的な「止」の瞑想法です。

・「常行三昧」
歩きながらの瞑想法で、「般舟三昧経」に基づいて行います。
具体的には、「南無阿弥陀仏」を唱え、阿弥陀仏を観想し、阿弥陀仏の仏像の回りを90日間回り続けます。

・「常坐三昧」
座禅をしての瞑想による三昧です。 

・「半行半坐三昧」
上の2つを順に行います。

・「非行非坐三昧」
特定の時間、形での瞑想ではなく、日常の中で常に瞑想を行います。


<釈名>

次に「釈名」の章では、「止観」に関して定義的・分類的な説明がなされます。
まず、「止観」には3つの意味・側面があります。

「止」には、心を誤った働きを止める「止息」、智慧によって真理に留まる「停止」、無明ではない「止」としての「不止に対する止」の3種があります。

実は、これらの「止」は漢訳では同じ言葉に翻訳されていますが、最初の意味の「止」の原語は「シャマタ」で、次の意味の「止」は「スターナ」です。

「観」には、智慧によって煩悩を滅する「貫穿」、智慧が真理に到達して一致する「観達」、無明ではない「観」としての「不観に対する観」の3種があります。

これらの3つの意味・側面での「止観」は、二項対立に基づくもので、「相待止観」と呼ばれます。
それに対して、円教的な立場による、二項対立を越えた言葉で表現不可能は「止観」は、「絶対止観」と呼ばれます。


<体相>

次に「体相」の章では、「三止三観」が説かれますが、その内容は「天台小止観」とほぼ同じです。

「空」に対応する「体真止」と「従仮入空観」。
「仮」に対応する「方便随縁止」と「従空入仮観」。
「中」に対応する「息二辺分別止」と「中道第一義観」。


<方便>

次に、実際の瞑想修行です。

「止観」の前の準備としての「方便」は、「二十五方便」であり、基本的に、「天台小止観」と同じです。


<十境>

「止観」の正行である「正修止観」は、大きくは、まず、観察の対象で「十境」に分類されます。
ここでの「対象」の意味は、「止観」をさえぎる10種の対象界とされます。
具体的には、「陰入界境」、「煩悩境」、「疾患境」、「業相境」、「魔事境」、「禅定境」、「諸見境」、「増上慢境」、「二乗境」、「菩提境」の10つです。

いくつかは「天台小止観」でも説かれていますが、それらを含めて、「摩訶止観」では対象の種類として体系化されました。
「陰入界境」以外は、何らかの問題があった場合に生じてくるものです。
それらは、順次生じることもあれば、そうでないこともあります。

「陰入界境」が最初に観察すべき、代表的な対象です。
それは、すべての人の眼前に存在するからです。
「天台小止観」で「正修の行」として説かれた対象がこれに当たります。
具体的には、「五陰(五蘊)」、「六境」、「六根」、「六識」で、つまり、一般的な名色であり、凡夫にあっては、清浄ではないものです。

智顗は心がすべてを作り出すという唯識的な発想を持っているので、中でも、まず、「識」を対象として観察すべきであるとします。

その観察方法に「十乗」による観法と、「歴縁対境」による観法があり、ます、「十乗」観法を行います。
「歴縁対境」は、「天台小止観」でも説かれたように、日常生活の中で観察する方法です。


<十乗>

「十境」の一つ一つで、「十乗」という10種類の観察方法で「止観」を行います。

「不可思議境の観察」、「慈悲の心を発する」、「巧みに止観に安んじる」、「法を遍く破る」、「通と塞とを知る」、「道品を修行する」、「対治して門を開くことを助ける」、「順序だった位を知る」、「忍耐できるようにする」、「法に対する愛着をなくす」の10種類です。
これも半ば階梯的と言えなくはないでしょう。

中でも、最初の「不可思議境の観察」が重要とされます。
これは、対象の世界が概念的な理解を越えているということの観察です。
その観察法の一つが、「一念三千」の観察です。


<一念三千>

「三千」は「十法界」と「三界」と「十如是」の組み合わせです。

「十法界」は、「六道」、「二乗(声聞・独覚)」、「菩薩」、「仏」の十の世界であり、いずれも心が生み出すものです。
その心のあり方は、「六道」は「有」、「二乗」は「空」、「菩薩」は「仮」、「仏」は「中」に対応します。

そして、それぞれの世界には、他の法界も含めて「十法界」が潜在的に存在すると観察します。
これを「十界互具」と言います。

また、それぞれの世界には、名色の構成要素としての「五陰(五蘊)世界」と、生き物としての「衆生世界」と、容れ物としての「国土世界」の3つの世界があります。

「十如是」は、以上の世界のそれぞれが持っている十の性質・側面です。
アビダルマ的に表現すれば、「十行相」でしょう。
具体的には、「相」、「性」、「体」、「力」、「作」、「因」、「縁」、「果」、「報」、「本末究竟等」です。
「本末究竟等」は、「相」から「報」まですべてが「空」という点では同じであるという性質です。

以上を組み合わせて10×10×3×10=3000となります。
こうして、すべての心の中に、この「三千世界」があると観察します。

そして、一瞬の一つの心と一切法である三千世界は、どちらかが先にあるというものでもなく、一つの心が「三千世界」を生むのでもなく、一つの心が三千世界を含むのでもありません。
そのあり方が、精妙で、「不可思議」、つまり、概念的認識を越えていると観察します。

「不可思議境の観察」のもう一つの観察法は、「四句推検」です。
これは、心の対象を4種命題(A、非A、両是、両否)の否定の分析を通して空(つまり、不可思議)であると考察する、ナーガルジュナに由来する方法です。


「摩訶止観」は、第七章の「正修止観」の、第七境までしか書かれていません。
それ以降は名目(目次)だけで、「大意」の章などでの概説でしか内容が分かりません。
これは未完ゆえではなく、高い位については具体的に記さない、と意図されもののようです。
 
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