「倶舎論」(説一切有部系):各論
「倶舎論」の修行階梯の各段階を説明しましょう。
<順解脱分>
「順解脱分」の最初は「戒」に当たる部分です。
具体的には、戒を守った正しい生活態度、そして、教えを聞いて思索する、そして、禁欲(身器清浄=心身遠離・喜足少欲・四聖種)です。
次は「三賢」と呼ばれる止観の瞑想です。
これは「止」である「五停心」、「観」である「別相念住」と「総相念住」です。
「五停心」は、「不浄観」、「持息観(安般念)」、「慈悲観」、「因縁観」、「界差別観」の5つですが、特に「不浄観」と「持息観(安般念)」を重視します。
「観」としては「四念住(四念処)」を行います。
これは2段階に分かれていて、まず「別相念住」では身・受・識・法を個別に、次に順に合して観察します。
具体的には、「身体は不浄である」、「感覚は苦である」、「心は無常である」、「あらゆる存在は無我である」という観察です。
次に「総相念住」では身・受・識・法を総体として、非常・苦・空・非我の四行相から観察します。
<順決択分>
「順決択分」では、「四善根」と呼ばれる「観」を行います。
「四善根」は「煖」→「頂」→「忍」→「世第一法」の4段階で構成されます。
これは四諦を「16行相」から考察するもので、まだ有漏の智慧によるものです。
「16行相」は、「苦」を無常・苦・空・無我の観点から、「集」を因・集・生・縁の観点から、「滅」を滅・浄・妙・離の観点から、「道」を道・如・行・出の観点から観察します。
「煖」と「頂」での四諦の「16行相」の考察は、まず、法念処から始めて四念処を行います。
それぞれで、煩悩が低いレベルのものから高いレベルへ順に行います。
しかし、「忍」では法念処のみで、煩悩の高いレベルでは欲界の苦諦のみを対象にします。
「世第一法」でも法念処のみで、欲界の苦諦のみを対象にします。
<見道>
「見道」では、四諦を無漏の智慧で考察して、後天的な知的煩悩を断つ段階です。
これを「見所断」と言います。
四諦の順に、「見苦所断」、「見集所断」、「見滅所断」、「見道所断」と行います。
この段階は「預流向」から「預流果」に当たります。
さらに、4つの各々の「見所断」は4段階に分かれていて、全体で「16智(16心刹那)」と表現されます。
・「法智忍」:欲界の煩悩を絶つ働き(無間道)
・「法智」 :欲界の煩悩を絶ったことを確証し離れる智(解脱道)
・「類智忍」:上界(色界・無色界)の煩悩を絶つ働き(無間道)
・「類智」 :上界(色界・無色界)の煩悩を絶ったことを確証し離れる智(解脱道)
つまり、まず「見苦所断」では「苦法智忍」、「苦法智」、「苦類智忍」、「苦類智」を行います。
その後、同様に「集」、「滅」、「道」の三諦を順次行います。
見道の智は「世第一法」に続いて15瞬間で行われます。
最後の「道諦」の「類智」を悟る瞬間は、「修道」になります。
<修道>
「修道」は三昧を修めて四諦を考察する(有・無漏あり)ことで、先天的な煩悩を断つ段階です。
これを「修所断」と言います。
9地(欲界地、四色界禅地、四無色界処地)の煩悩を下の地から順に絶っていきます。
さらに一つの地は煩悩のレベルで9品(上上・上中・上下・中上・中中・中下・下上・下中・下下)に分かれていて、上から順に絶っていきます。
9品のそれぞれで、煩悩を絶つ「無間道」と、煩悩を絶ったことを確証し離れる「解脱道」があります。
有漏の観察は「六行観」と言われるものです。
これは、下地は粗大で心を悩ませ出離をさまだげるという「無間道」の鹿・苦・障の行相で、上地は寂静で卓越していて煩悩から遠離しているという「解脱道」での静・妙・離の行相での観察です。
欲界地の上品から中品までが、「一来向」から「一来果」です。
下品が「不還向」から「不還果」です。
四色界禅地からが「阿羅漢向」です。
最後の、非想非非想処地の第9品を「金剛喩定」と言います。
<無学道>
「無学道」は涅槃に到達した「阿羅漢果」です。
「苦」を知り、「集」を断じ、「滅」を証し、「道」を修したと知る智である「尽智」と、さらに知ることはなく、さらに修することはないと知る智である「無生智」の2つの智から成ります。
<順解脱分>
「順解脱分」の最初は「戒」に当たる部分です。
具体的には、戒を守った正しい生活態度、そして、教えを聞いて思索する、そして、禁欲(身器清浄=心身遠離・喜足少欲・四聖種)です。
次は「三賢」と呼ばれる止観の瞑想です。
これは「止」である「五停心」、「観」である「別相念住」と「総相念住」です。
「五停心」は、「不浄観」、「持息観(安般念)」、「慈悲観」、「因縁観」、「界差別観」の5つですが、特に「不浄観」と「持息観(安般念)」を重視します。
「観」としては「四念住(四念処)」を行います。
これは2段階に分かれていて、まず「別相念住」では身・受・識・法を個別に、次に順に合して観察します。
具体的には、「身体は不浄である」、「感覚は苦である」、「心は無常である」、「あらゆる存在は無我である」という観察です。
次に「総相念住」では身・受・識・法を総体として、非常・苦・空・非我の四行相から観察します。
<順決択分>
「順決択分」では、「四善根」と呼ばれる「観」を行います。
「四善根」は「煖」→「頂」→「忍」→「世第一法」の4段階で構成されます。
これは四諦を「16行相」から考察するもので、まだ有漏の智慧によるものです。
「16行相」は、「苦」を無常・苦・空・無我の観点から、「集」を因・集・生・縁の観点から、「滅」を滅・浄・妙・離の観点から、「道」を道・如・行・出の観点から観察します。
「煖」と「頂」での四諦の「16行相」の考察は、まず、法念処から始めて四念処を行います。
それぞれで、煩悩が低いレベルのものから高いレベルへ順に行います。
しかし、「忍」では法念処のみで、煩悩の高いレベルでは欲界の苦諦のみを対象にします。
「世第一法」でも法念処のみで、欲界の苦諦のみを対象にします。
<見道>
「見道」では、四諦を無漏の智慧で考察して、後天的な知的煩悩を断つ段階です。
これを「見所断」と言います。
四諦の順に、「見苦所断」、「見集所断」、「見滅所断」、「見道所断」と行います。
この段階は「預流向」から「預流果」に当たります。
さらに、4つの各々の「見所断」は4段階に分かれていて、全体で「16智(16心刹那)」と表現されます。
・「法智忍」:欲界の煩悩を絶つ働き(無間道)
・「法智」 :欲界の煩悩を絶ったことを確証し離れる智(解脱道)
・「類智忍」:上界(色界・無色界)の煩悩を絶つ働き(無間道)
・「類智」 :上界(色界・無色界)の煩悩を絶ったことを確証し離れる智(解脱道)
つまり、まず「見苦所断」では「苦法智忍」、「苦法智」、「苦類智忍」、「苦類智」を行います。
その後、同様に「集」、「滅」、「道」の三諦を順次行います。
見道の智は「世第一法」に続いて15瞬間で行われます。
最後の「道諦」の「類智」を悟る瞬間は、「修道」になります。
<修道>
「修道」は三昧を修めて四諦を考察する(有・無漏あり)ことで、先天的な煩悩を断つ段階です。
これを「修所断」と言います。
9地(欲界地、四色界禅地、四無色界処地)の煩悩を下の地から順に絶っていきます。
さらに一つの地は煩悩のレベルで9品(上上・上中・上下・中上・中中・中下・下上・下中・下下)に分かれていて、上から順に絶っていきます。
9品のそれぞれで、煩悩を絶つ「無間道」と、煩悩を絶ったことを確証し離れる「解脱道」があります。
有漏の観察は「六行観」と言われるものです。
これは、下地は粗大で心を悩ませ出離をさまだげるという「無間道」の鹿・苦・障の行相で、上地は寂静で卓越していて煩悩から遠離しているという「解脱道」での静・妙・離の行相での観察です。
欲界地の上品から中品までが、「一来向」から「一来果」です。
下品が「不還向」から「不還果」です。
四色界禅地からが「阿羅漢向」です。
最後の、非想非非想処地の第9品を「金剛喩定」と言います。
<無学道>
「無学道」は涅槃に到達した「阿羅漢果」です。
「苦」を知り、「集」を断じ、「滅」を証し、「道」を修したと知る智である「尽智」と、さらに知ることはなく、さらに修することはないと知る智である「無生智」の2つの智から成ります。