只管打座 と他のメソッドとの違い | 仏教の瞑想法と修行体系

只管打座 と他のメソッドとの違い

アーナンダが阿羅漢の悟りに至った時の話は有名です。

第一結集には阿羅漢500人が参加予定でしたが、アーナンダは、まだ阿羅漢に達していなかったので、結集の前日も夜を徹して歩行による「身随観」のヴィパッサナー瞑想を行っていました。
しかし、朝方になっても悟りに達せず、横になろうとしたその瞬間に、悟りに達しました。
つまり、ヴィパッサナー瞑想を行う「行住坐臥」の4つの基本姿勢のいずれでもない時に悟ったのです。

この話について、上座部のマハーシ・サヤドーは、悟りはいつ起こるか分からないので、常にヴィパッサナーに励むべきだ、と言います。

しかし、禅やゾクチェンに親しんだ人なら、正反対の解釈をするのではないでしょうか。

例えば、ゾクチェンの師のソギャル・リンポチェは、「休みをとって手法から離れたまさにその瞬間、真に瞑想が起こることがある」と言います。

つまり、アーナンダは、悟りを求めて身随観の観察に励む瞑想をやめたからこそ、その瞬間、つまり、作為的な努力を捨てて「無作為」になった瞬間の心の在り方に気づいて悟った、という解釈もできます。


「清浄道論」で体系化された上座部の瞑想法におけるヴィパッサナーは、智慧を得て執着をなくし阿羅漢になることを目的にして、体系的に構築されたメソッドに従って、対象に集中し観察する瞑想法です。

ヴィパッサナーに限らずですが、当ブログのテーマは、このような体系立ったメソッドを持った瞑想法の紹介です。

しかし、曹洞宗の坐禅である「只管打座」は、体系やメソッドを持たないことを特徴とする瞑想です。
そのため、当ブログの本論では、曹洞宗の坐禅を扱いませんでした。

このコラムでは、「只管打座」について、他のメソッドと比較しながら、紹介してみます。
「只管打座」は、上座部系のヴィパッサナー瞑想や、ゾクチェンの瞑想法と似ているところがありますが、違いもあって、そこに本質があるはずです。



= 只管打坐の思想 ==

曹洞宗の坐禅の特徴は、「只管打坐」(「唯務打坐」、「祗管参禅」)だと言われます。

道元禅師も、「作仏(さぶつ)を図ること莫れ」(普勧坐禅儀)、「自調之行を作すこと莫れ」(永平広録)と書いています。
つまり、仏を目指すといった目的を持たず、作為をせずに、ただ無心に座るのが「只管打座」です。

また、「無所得無所悟」(正法眼蔵随聞記)とも表現します。
坐禅を行ったからといって、何も得るところがない、ということですが、自分を変えるという目的意識を持たない行為であるということを表現しているのでしょう。

公案という課題を持って行う臨済宗の公案禅とは異なるわけです。
白隠の公案禅の階梯:階梯(臨済宗)
無字の公案の瞑想(臨済宗)

「只管打座」はどういう思想に基づくのでしょうか?

「普勧坐禅儀」には、
「全体迥かに塵埃を出ず、孰か払拭の手段を信ぜん」
とあります。
人はもともと仏性を持っているので、煩悩があっても悟りはそれを超えているので、煩悩をなくす必要がないということです。

しかし、
「毫釐も差有れば天地懸に隔たり、違順纔かに起れば、紛然として心を失す」
とも言います。
つまり、分別的な意識が生じると、仏性から離れてしまうと。

汚れを払う必要がないということは、「頓悟」的な思想なので、煩悩を滅して仏性の可能性を育てよとする「仏性内在論」とは異なります。
また、坐禅という一種の「修行」が必要とするので、天台本覚思想のような「仏性顕在論」とも異なります。

如来蔵思想は「仏性内在論」か「仏性顕在論」のどちらかであって、道元禅師の主張は成り立たないと言う学者がいます。
さらに、後者を細分すれば、「顕現的相即」か「顕在的相即」のいずれかであると、学者は言います。

ですが、人の意識は多層的で、仏性と煩悩を同時に持っていると考えるのが金剛乗(後期密教)や任運乗(ゾクチェンや禅宗の一部)です。
どうも学者はこれが理解できないようで、上記の分類には当てはまめることができません。

道元禅師は、本来的に仏であることを明らかにするために、坐禅が必要だと言います。
これを、「本来の面目が現前」(普勧坐禅儀)とも表現します。

「永平広録」には、
「諸宗の坐禅は、悟りを持つを則となす。
…吾が仏祖の坐禅は然らず、これすなわち仏行なり」
とあります。

「只管打坐」は、凡夫が仏を目指して行う「習禅」ではなく、仏として座っている「仏行」なのです。
これは、「本証妙修」とか「修証一等」、つまり、「仏の悟り(証)」と「修行(修)」が同時であるとも表現されます。

道元禅師は、「悟る」ことを目的として坐禅することを否定しただけではありません。
禅の「見性」を否定したのですが、これは真理を認識として「悟る」ということを否定したということです。
「行仏」は、行為として、心身の存在として、「悟った」状態を現すということです。

ですから、坐禅は、「三学」や「六波羅蜜」のような、体系化された修行道に当てはめることができず、階梯のワンステップとしての「禅(定)」ではなく、「仏法の全道」(弁道話)であると表現されます。

ただ、このような、道元禅師が主張した「只管打坐」の坐禅は、昭和になってから、澤木興道禅師が復活させたものです。
それ以前は、曹洞宗の僧侶も、ステップを追う臨済宗の公案禅を行っていたようです。


== 只管打座の仕方 ==

具体的にはどのように行うのでしょう。

例えば、マハーシ流のヴィパッサナー瞑想では、呼吸など、特定の対象に集中し、それを観察します。
他のものに気が取られたり、雑念が浮かぶと、それを自覚することで、そこで止め、消滅させます。
その、他のものや雑念を、しっかり観察の対象とする場合もあれば、単に、振り払う場合もあります。

しかし、道元禅師は、「正法眼蔵随聞記」で、
「心の念慮知見を一向に捨て、只管打座すれば、道は親しみ得るなり」
「身心を挙して色を見取し、身心を挙して声を聴取するに、親しく会取すれども、鏡に影をやどすがごとくにあらず、水と月のとのごとくにあらず。一方を証するときは、一方は暗し」
と言います。

つまり、対象を観察するヴィパッサナーを否定しています。

「只管打坐」では、特定の対象に集中せず、あえて言えば、すべてに平等に気を向けて、観察する主客の分離をなくします。
概念的な分別以前に、意識をフォーカスして対象に向けることもせず、主客を分離させません。

誤解のないように書いておきますが、ヴィパッサナーは、「私」という観念のない状態で行います。

「只管打坐」が、対象を取らず主客分離しない点ではゾクチェンの瞑想法(シネー)も同じですが、ゾクチェンの特徴は、現れのない空なる意識の気づきの保持を重視する点です。

ただ、何かに気を取られたり、雑念が浮かぶと、それを自覚して、そのまま捨てる(消滅させる)という点は、只管打座も、ヴィパッサナーやゾクチェンと、ほぼ同じです。

これを、澤木禅師は、
「悟りを求めず、迷いを払わず、八万四千の雑念が起滅しても、起滅するに打ち任せて嫌わず追わず、鏡に影の映ると思い、一切を取り合わぬことが肝要である」
と言います。

ただし、ヴィパッサナーとは微妙な違いがあります。

道元禅師も、「普勧坐禅儀」の古いヴァージョン(天福本)では、
「念起こらば即ち覚すべし。これを覚すれば即ち失す。久久に縁を忘れ、自ら一片に成る」
という、「坐禅儀」の法雲円通禅師の言葉を引用していました。

しかし、その後の普及本では、これを書き換えて、
「不思量底を思量せよ。不思量底如何が思量せん。非思量」
と薬山惟儼の言葉を引用しています。

また、「正法眼蔵」の「坐禅箴」巻では、宏智正覚の言葉、「事に触れずして知る知る、その知、自ら微なり。縁に対せずして照らす、その照、自らを妙なり」を引用してこれを解説しています。
つまり、外界に由来しない無分別的で非対象的な思考ということでしょう。

ゾクチェンは作為性を否定する点は同じですが、雑念に対しては、現れのない空なる意識を常に意識しつつ、そこが、雑念が生まれ滅する根源であることを理解することが重要です。
これを、雑念を空性に溶け込ませる、自己解脱させる、と表現します。


作為性なしに対象を取らない状態になるのは難しいことですが、そのためのに「只管打座」が重視するのは、単純に、姿勢です。

坐る姿勢は、どの流派でもあまり違いはありませんが、「只管打座」では、「正身端坐」と言って、正しい姿勢に徹底的にこだわります。
内山興正禅師も「正しい坐相をねらい、その姿勢にすべてをまかせきっていく」と言います。

なぜなら、姿勢と心は一体(身心一如)であり、正しい姿勢なら、必然的に正しい心の状態であると考えるからです。

具体的な姿勢に関しては、下記のページなどをご参照ください。
坐禅の作法(曹洞宗 曹洞禅ネット)
坐禅の仕方(安泰寺)

一般に、禅では、「調身」から「調息」に、そして「調心」に進むと言われますが、実際には、「調身」だけに気をつけていれば、「調心」は達成されていくのです。
だから、「調身」に関する指示が多く、「調心」に関しては言葉が少ないのです。

道元禅師は「永平広録」で、「調息」について、「数息」をせず、長短を意識せずに、長からず、短からず、自然に任せるとしています。
つまり、作為的に調息を行わないのです。

ただ、瑩山禅師の「坐禅用心記」には、心が沈み込んでいる時には意識を眉間や髪の生え際に、落ち着きがない時には鼻先や臍下丹田に、普通の状態の時は、左の手の平に置くように言います。

ちなみに、上座部の座り方の違いは、基本的に閉眼という点などです。
ゾクチェンの座り方の違いは、口を開いて呼吸する点などです。


== 批判 ==

このように、上座部系のヴィパッサナー瞑想と「只管打座」には正反対の特徴があるので、互いに批判をすることがあります。

「只管打座」の側からのヴィパッサナー瞑想に対する代表的な批判は、常に作為して対象を観察するので、主体としての我が抜けきらない、というものです。

一方、上座部の側からの批判は、仏性を認める如来蔵的な思想は仏説ではない(無我に反する)し、対象を観察する智慧によって煩悩を滅さない限り、悟りはありえない、というものでしょう。

「只管打座」に対しては、臨済宗の立場からの、ただ、ぼんやり座っているだけになりがち、という古くからの批判もあります。


== 日常生活の中の生活禅 ==

道元禅師は「豈坐臥に拘らんや」(普勧坐禅儀)というように、坐禅だけが修行ではなく、生活の一切を修行とし、仏行とするように言います。

日常生活においても修業を続けることは、禅宗では「生活禅」と呼ばれることもありますし、臨済宗なら「せぬ時の坐禅」とか「動中の工夫」と表現されます。

私は、「只管打座」のあり方と、「生活禅」のあり方には微妙に違いがあるのではないかと思います。

澤木禅師は、
「坐禅は自分が徹底透明になることである。
天地とブッ続きの自分を見つめることである。
天地宇宙の全景を一目に見ることである」
と言います。

先にも書いたように、「只管打座」では、対象を取らず、主客の分離をさせません。
フォーカスもなく(全景を一目に見る)、境界もない(天地とブッ続き)体験をします。
道元禅師の言葉では、「万法すすみて自己を修証する」(現成公案)という状態です。

ですから、「只管打座」は、「ただ座る」ことだとされますが、実際には「ただ存在する」と表現する方が適当ではないでしょうか?
座るヴィパッサナーのように、「座っていること」を観察の対象にしたり、「座る」という行為自体にフォーカスしてなりきるのではありません。

一方、「生活禅」に関して、澤木禅師は、
「禅は一方究尽の修行である。
…一切時、一切処に於いて全自己を投入してその物になり切る修行である。
生活の持ち場持ち場に全身全霊を打ち込むことである」
「眠るときは眠りだけ、夢まで持ちこむな」
と言います。

つまり、その時に行っている行為にフォーカスしてそれになりきることが求められます。

道元禅師は「作法是宗旨」(正法眼蔵-洗浄)と言い、曹洞宗は「威儀即仏法」と言って、日常の作法を厳密に規定しています。
これは、「正身端坐」が只管打座のメソッドであるように、日常の行為に「なりきる」ためのメソッドなのでしょう。

その時の行為になりきるには、その行為やその行為に関わる感覚に、意識をフォーカスする必要があります。

この点では、日常で行うヴィパッサナー(サティ)と似ています。
しかし、ヴィパッサナーでは、対象を認識することが重要であるのに対して、「一味禅」では、一体化することに重点があります。

ゾクチェンの場合は、雑念に対する対処と同じで、認識や、なりきることよりも、行為を空性に溶け入らせ、自己解脱させることに焦点があります。


== 晩年の思想と「十二巻本」 ==

以下、余談となります。

晩年の道元禅師は、大きく思想的に転向し、「只管打座」も否定したのではないか、という説があります。
「只管打座」だけではなく、坐禅も、「禅宗」も否定したと。

晩年に道元禅師は、従来より知られている「七十五巻本」の「正法眼蔵」とは別に、新しく「十二巻本」の「正法眼蔵」を著しました。

従来から、道元禅師は、「曹洞宗」や「禅宗」という名称をはっきりと否定しています。
「禅師」という言葉もです。
しかし、「十二巻本」では、それだけではなく、「禅宗」の思想や「只管打座」を説かず、否定しているのではないか、ということです。

道元禅師は、「七十五巻本」のすべてを書き直しながら百巻にしようとして、十二巻を書き直したところで、亡くなった、と言われています。
しかし、「七十五巻本」は書き直される予定のものではなく、完成したものとして死の前年に編集されたとか、「十二巻本」は十二巻で完結しているという説もあります。

また、「十二巻本」で思想的な転向をしたとする説と、転向はしておらず、方便上の違い、編集意図が異なるだけとする説があります。


道元禅師は、中国で印可を得ていますので、「十二巻本」以前は、悟った仏(聖者)の立場から著していたように思われますが、「十二巻本」では、凡夫の立場から著しています。

「七十五巻本」では、中国の禅師の言葉を中心に引用しながら、難解な表現で著されていますが、「十二巻本」はインドの経典類を中心に引用し、分かりやすい言葉で表現しています。

「十二巻本」では、人は本来悟っているという如来蔵的な思想は影を潜め、因果の教説を重視し、中国の禅宗の祖師がこれを理解していないと言います。

そして、坐禅については説かず、「出家(発菩提心)」と「菩薩行」を重視します。

道元禅師は、従来から、「出家の日に菩提は完成する」という思想を持っていましたが、「十二巻本」では「出家の日は出家の日、成道の日は成道の日」とも書き、その違いを重視します。

つまり、「十二巻本」では、仏教と菩薩道の基本こそが説かれるのです。

凡夫は凡夫であり、悪行は悪い結果を、善行は良い結果をもたらすのであり、出家して、三阿僧祇劫の菩薩の道を歩み、自分よりも先に他人を悟りに導くように努めよ、ということです。

このように、「十二巻本」とそれ以前の書を比較すると、思想的な転向があった、もしくは、書を記すに当たっての重大な意図の変化があったように読めます。

「十二巻本」の背景には、門下に悪行を認めないような弟子がいたので追い出した、という事件があったので、改めて誤解のないように因果を説く必要があったとか、幕府に支援を求めて出掛けた鎌倉の旅行が失敗して、改めて菩薩道を強調する必要があった、などの事情が、あったようです。

しかし、道元禅師の永平寺での説法を記録した「永平広録」では、「十二巻本」の時期に、依然として「只管打座」を説き続けていてます。
ですから、決して、「只管打座」を否定するような転向があったとは言えません。

とは言え、因果を否定するような邪見をもっては、仏祖の坐禅の修行はできないと説いています。
また、坐禅中に衆生を忘れず、慈念を持って、功徳を一切に廻向するように説きます。

これは「只管打座」と矛盾するのでは、と批判することもできますが、それは揚げ足を取っているようなものではないかという気がします。