「現観荘厳論」(中観派:弥勒)
般若経典を体系的に教理化した論書が、弥勒により書かれたとされる「現観荘厳論」です。
実際には、唯識学も取り入れながら、7~8Cに著されたようです。
その「現観荘厳論」と般若経典を元に、大乗仏教の教理や修行道論を体系化した学問を、チベットでは「般若学」とか「波羅蜜学」と呼びます。
般若経典を重視するインド、チベットの中観派では、中観教学とともに「現観荘厳論」や「般若学」は必須のもので、中観派の修行体系は「現観荘厳論」を基にしていると言えます。
*中観派の教義に関しては姉妹サイトの「中観派と般若学」をご参照ください。
「現観荘厳論」の修行体系は、「戒・定・慧」の「三学」と、北伝仏教の修行体系の基本である「五道」、そして、大乗仏教の基本である「菩薩の十地」をベースにしています。
ですから、「資糧道」「加行道」「見道」「修道」「無学道」という5段階で構成されます。
「現観荘厳論」は大乗仏教なので、当然、部派仏教を小乗仏教だとして批判します。
しかし、「現観荘厳論」の修行体系は、説一切有部の修行体系を基にして、それを大乗化したものです。
また、説一切有部の修行を否定するのではなく、まずそれを修めてから、大乗の修行を修めるべきとしています。
「資糧道」の段階で、初歩の「慧」まで進みます。
「加行道」では、止観一体の三昧で「空」を理解します。
ここまでが凡夫の段階(信解行地)で、次からが聖者の段階(菩薩十地)です。
「見道」では、菩薩の初地に入り、後天的な煩悩を断じます。
「修道」では、十地まで進み、先天的な煩悩と所知障を断じます。
「無学道」では、等引智と後得智が一体となり、仏地に到達します。
「見道」と「修道」の修行の対象は四諦です。
しかし、大乗仏教である「現観荘厳論」の特徴は、実体否定の「空思想」と、利他的な「菩薩道」です。
各段階を具体的に見ていきましょう。
<資糧道>
「資糧道」は、「順解脱分」とも呼ばれ、「帰依」、「発菩提心」(利他的な菩薩の道を歩む決心)、「五相」で構成されます。
「五相」は、「信心」、「精進」、「憶念」(正念正智に当たるもの)、「三昧」(止)、「般若」(観)で構成されます。
<加行道>
「加行道」は「順択決分」とも呼ばれ、止観一体の三昧で主客の「空」を理解しますが、煩悩のない無漏の認識にまでは至りません。
「加行道」の瞑想法は、小乗の「倶舎論」と同様に、四諦十六行相を瞑想する「四善根」です。
しかし、「空」思想がベースであるため、四諦や法を認識すると共に、それらを実体視せずこだわらないことが必要とされます。
この点は部派仏教との重要な差異です。
「四善根」の4段階は次のように理解されます。
・煖(なん):対象の空を観察(法念住から)
・頂 :対象の空の認識を確かにする(法念住から)
・忍 :主体の空を観察(法念住だけ)
・世第一法:主体の空の認識を中程度に確かにする(法念住だけ)
つまり、対象の空である「法無我」と、主体の空である「人無我」の認識が重視されます。
<見道>
「見道」は、菩薩の初地に入り、勝義の(真の)菩提心が生じます。
「等引智」と「後得智」という2つの智慧を修習しながら、後天的な煩悩を断じていきます。
後天的な煩悩は、「遍計の煩悩」とか「見惑」と呼ばれます。
「等引智」は、無漏の無分別智で空なる真如を見ます。
「等引智」で認識する空性を「虚空がごとき空性」と呼びます。
これは無概念の直観的な純粋な空です。
「等引智」は小乗の「倶舎論」同様、2段階から成ります。
煩悩を断じる「無間道」、そして、断じた煩悩が二度と現れないように遠ざける「解脱道」です。
「後得智」は、空性を理解した後の概念智です。
つまり、言葉でもって空なる真実を語ることができる智慧です。
中観派の言う「仮」であり「中」です。
「後得智」が認識する空性を「幻がごとき空性」と呼びます。
概念的な認識が存在するが、それを実体でないと理解しているという認識の状態です。
この「後得智」は、他人に説法する際に必要な智なので、利他的な智です。
菩薩道を重視する大乗仏教にとっては、重要な智なのです。
無概念の「等引智」と概念的な「後得智」を繰り返すことで、徐々に煩悩を減らしていきます。
その中で、「後得智」のレベルもアップしていきます。
「見道」の観察の対象も四諦ですが、16段階で考えられていて、「四諦十六心刹那」とか「八忍八智」と呼ばれます。
4(四諦)×2(欲界・上界)×2(無間道・解脱道)で、16段階です。
つまり、大きくは、四諦を順に観察して煩悩を断じる4段階が、「見苦所断」→「見集所断」→「見滅所断」→「見道所断」です。
これも小乗の「倶舎論」と同様です。
それぞれでの、2界×2道の4智は次のように呼ばれます。
・法智忍(欲界・無間道)
・法智 (欲界・解脱道)
・類智忍(上界・無間道)
・類智 (上界・解脱道)
まず、欲界を観察し、次に上界(色界・無色界)を観察します。
さらにそれぞれの界で、無概念の「等引智」によって二道で観察します。
煩悩を断じる「無間道」、そして、断じた煩悩が二度と現れないように遠ざける「解脱道」です。
欲界の「無間道」で獲得する智を「法智忍」、「解脱道」で獲得する智を「法智」と呼びます。
上界の「無間道」で獲得する智を「類智忍」、「解脱道」で獲得する智を「類智」と呼びます。
この点でも小乗の「倶舎論」と同様ですが、欲界でも上界でも、その後に概念的・利他的な「後得智」を獲得する点が特徴です。
<修道>
「修道」は、十波羅蜜を行じながら、先天的な煩悩と、「所知障」を断じていきます。
先天的な煩悩のことは、「倶生の煩悩」とか、「修惑」と呼びます。
「所知障」は、煩悩ではないけれど、他人への完全な理解を妨げるもので、これが残っていると他者の救済ができません。
「所知障」は利他を重視する大乗仏教が付け加えた重要な概念です。
「修道」には2つの種類の方法があります。
「後得智」による有漏の修道と、「等引智」による無漏の修道です。
前者には信解、回向、随喜などがあり、後者には、成就(空性の完全理解)、清浄(すべての煩悩・所知障を断じる)があります。
菩薩道の十地と、それぞれで行う修行の波羅蜜多は下記の通りです。
・初地:法を説く(施波羅蜜多)
・第二地:戒律(戒波羅蜜多)
・第三地:忍耐(忍波羅蜜多)
・第四地:努力(精進波羅蜜多)
・第五地:止の瞑想(定波羅蜜多)
・第六地:観の瞑想(般若波羅蜜多)
・第七地:他人を菩薩行に導く(方便波羅蜜多)
・第八地:巧みに説法を行う(力波羅蜜多)
・第九地:一切法への執着をなくす(願波羅蜜多)
・第十地:仏国土を建立、如実智・如量智を得る(智波羅蜜多)
初~第八地で9段階の修惑を断ち、阿羅漢になります。
第八~第十地で所知障を断ちます。
<無学道>
「無学道」は学ぶものがない仏の段階です。
この段階では、「等引智」と「後得智」が一体になると言います。
実際には、唯識学も取り入れながら、7~8Cに著されたようです。
その「現観荘厳論」と般若経典を元に、大乗仏教の教理や修行道論を体系化した学問を、チベットでは「般若学」とか「波羅蜜学」と呼びます。
般若経典を重視するインド、チベットの中観派では、中観教学とともに「現観荘厳論」や「般若学」は必須のもので、中観派の修行体系は「現観荘厳論」を基にしていると言えます。
*中観派の教義に関しては姉妹サイトの「中観派と般若学」をご参照ください。
「現観荘厳論」の修行体系は、「戒・定・慧」の「三学」と、北伝仏教の修行体系の基本である「五道」、そして、大乗仏教の基本である「菩薩の十地」をベースにしています。
ですから、「資糧道」「加行道」「見道」「修道」「無学道」という5段階で構成されます。
「現観荘厳論」は大乗仏教なので、当然、部派仏教を小乗仏教だとして批判します。
しかし、「現観荘厳論」の修行体系は、説一切有部の修行体系を基にして、それを大乗化したものです。
また、説一切有部の修行を否定するのではなく、まずそれを修めてから、大乗の修行を修めるべきとしています。
「資糧道」の段階で、初歩の「慧」まで進みます。
「加行道」では、止観一体の三昧で「空」を理解します。
ここまでが凡夫の段階(信解行地)で、次からが聖者の段階(菩薩十地)です。
「見道」では、菩薩の初地に入り、後天的な煩悩を断じます。
「修道」では、十地まで進み、先天的な煩悩と所知障を断じます。
「無学道」では、等引智と後得智が一体となり、仏地に到達します。
「見道」と「修道」の修行の対象は四諦です。
しかし、大乗仏教である「現観荘厳論」の特徴は、実体否定の「空思想」と、利他的な「菩薩道」です。
各段階を具体的に見ていきましょう。
<資糧道>
「資糧道」は、「順解脱分」とも呼ばれ、「帰依」、「発菩提心」(利他的な菩薩の道を歩む決心)、「五相」で構成されます。
「五相」は、「信心」、「精進」、「憶念」(正念正智に当たるもの)、「三昧」(止)、「般若」(観)で構成されます。
<加行道>
「加行道」は「順択決分」とも呼ばれ、止観一体の三昧で主客の「空」を理解しますが、煩悩のない無漏の認識にまでは至りません。
「加行道」の瞑想法は、小乗の「倶舎論」と同様に、四諦十六行相を瞑想する「四善根」です。
しかし、「空」思想がベースであるため、四諦や法を認識すると共に、それらを実体視せずこだわらないことが必要とされます。
この点は部派仏教との重要な差異です。
「四善根」の4段階は次のように理解されます。
・煖(なん):対象の空を観察(法念住から)
・頂 :対象の空の認識を確かにする(法念住から)
・忍 :主体の空を観察(法念住だけ)
・世第一法:主体の空の認識を中程度に確かにする(法念住だけ)
つまり、対象の空である「法無我」と、主体の空である「人無我」の認識が重視されます。
<見道>
「見道」は、菩薩の初地に入り、勝義の(真の)菩提心が生じます。
「等引智」と「後得智」という2つの智慧を修習しながら、後天的な煩悩を断じていきます。
後天的な煩悩は、「遍計の煩悩」とか「見惑」と呼ばれます。
「等引智」は、無漏の無分別智で空なる真如を見ます。
「等引智」で認識する空性を「虚空がごとき空性」と呼びます。
これは無概念の直観的な純粋な空です。
「等引智」は小乗の「倶舎論」同様、2段階から成ります。
煩悩を断じる「無間道」、そして、断じた煩悩が二度と現れないように遠ざける「解脱道」です。
「後得智」は、空性を理解した後の概念智です。
つまり、言葉でもって空なる真実を語ることができる智慧です。
中観派の言う「仮」であり「中」です。
「後得智」が認識する空性を「幻がごとき空性」と呼びます。
概念的な認識が存在するが、それを実体でないと理解しているという認識の状態です。
この「後得智」は、他人に説法する際に必要な智なので、利他的な智です。
菩薩道を重視する大乗仏教にとっては、重要な智なのです。
無概念の「等引智」と概念的な「後得智」を繰り返すことで、徐々に煩悩を減らしていきます。
その中で、「後得智」のレベルもアップしていきます。
「見道」の観察の対象も四諦ですが、16段階で考えられていて、「四諦十六心刹那」とか「八忍八智」と呼ばれます。
4(四諦)×2(欲界・上界)×2(無間道・解脱道)で、16段階です。
つまり、大きくは、四諦を順に観察して煩悩を断じる4段階が、「見苦所断」→「見集所断」→「見滅所断」→「見道所断」です。
これも小乗の「倶舎論」と同様です。
それぞれでの、2界×2道の4智は次のように呼ばれます。
・法智忍(欲界・無間道)
・法智 (欲界・解脱道)
・類智忍(上界・無間道)
・類智 (上界・解脱道)
まず、欲界を観察し、次に上界(色界・無色界)を観察します。
さらにそれぞれの界で、無概念の「等引智」によって二道で観察します。
煩悩を断じる「無間道」、そして、断じた煩悩が二度と現れないように遠ざける「解脱道」です。
欲界の「無間道」で獲得する智を「法智忍」、「解脱道」で獲得する智を「法智」と呼びます。
上界の「無間道」で獲得する智を「類智忍」、「解脱道」で獲得する智を「類智」と呼びます。
この点でも小乗の「倶舎論」と同様ですが、欲界でも上界でも、その後に概念的・利他的な「後得智」を獲得する点が特徴です。
<修道>
「修道」は、十波羅蜜を行じながら、先天的な煩悩と、「所知障」を断じていきます。
先天的な煩悩のことは、「倶生の煩悩」とか、「修惑」と呼びます。
「所知障」は、煩悩ではないけれど、他人への完全な理解を妨げるもので、これが残っていると他者の救済ができません。
「所知障」は利他を重視する大乗仏教が付け加えた重要な概念です。
「修道」には2つの種類の方法があります。
「後得智」による有漏の修道と、「等引智」による無漏の修道です。
前者には信解、回向、随喜などがあり、後者には、成就(空性の完全理解)、清浄(すべての煩悩・所知障を断じる)があります。
菩薩道の十地と、それぞれで行う修行の波羅蜜多は下記の通りです。
・初地:法を説く(施波羅蜜多)
・第二地:戒律(戒波羅蜜多)
・第三地:忍耐(忍波羅蜜多)
・第四地:努力(精進波羅蜜多)
・第五地:止の瞑想(定波羅蜜多)
・第六地:観の瞑想(般若波羅蜜多)
・第七地:他人を菩薩行に導く(方便波羅蜜多)
・第八地:巧みに説法を行う(力波羅蜜多)
・第九地:一切法への執着をなくす(願波羅蜜多)
・第十地:仏国土を建立、如実智・如量智を得る(智波羅蜜多)
初~第八地で9段階の修惑を断ち、阿羅漢になります。
第八~第十地で所知障を断ちます。
<無学道>
「無学道」は学ぶものがない仏の段階です。
この段階では、「等引智」と「後得智」が一体になると言います。
(五道) | (十地) | (煩悩) |
修道 | 第九・十地 | 所知障 |
第八地 | 修惑 | |
第二~七地 | ||
初地 | ||
見道 | 初地 | 見惑 |