「清浄道論」(上座部):観(各論1) | 仏教の瞑想法と修行体系

「清浄道論」(上座部):観(各論1)

<見清浄>

最初の「見清浄」の内容は、実体(法)である「名」と「色」とその因果関係(相互依存関係)を認識することで、「私(我)」は実在しないと理解することです。
「(名色)分別智」と表現されることもあります。
「見清浄」は「名色」の各個別相を認識する「知遍知」の段階です。


具体的な方法は、上座部の法の分類体系を基に、順に、法を区別することです。
簡略的な方法から詳細に行う方法まで多数の方法が述べられます。

簡略的な方法では、「色」は崩れ去る形態性を本質とする、「名」は(外界の物質的な)対象に向かうことを本質とすると観察します。

詳細な方法の一つとしては、「色」は先に紹介した「四界差別観」によって42行相から(身体の42の部位ごとに)、その形態性を認識します。
そして、「名」は世間心の81心と7心所を識別して、その対象指向性を認識します。

別の方法としては、「十八界」(感覚器官である眼・耳・鼻・舌・身・意の六根、感覚対象である色・声・香・味・触・法の六境、感覚の認識である眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識)で「名色」を認識します。
あるいは、「十二処」(六根・六境)で「名色」を認識します。
あるいは、「五蘊」(色・受・想・行・識)で「名色」を認識します。

また別の方法では、「色」は「四大」、名は「意処」と「法処」(意識とその対象である法)によって認識します。

または、「名」を「触」、「受」、「識」の3行相から生まれると認識します。


<度疑清浄>

「度疑清浄」は「名色」の因と縁を観察して、三世に関する16種の疑惑を除くための段階です。
つまり、どういう原因によって輪廻しているのかを識別するもので、「集諦」の認識に相当します。
行為が報いを生み、報いが行為を生み、行為の作り手は存在せず、報いの受けても存在しない、ということを認識します。
「法住智」、「如実智」、「正見」などの表現されることもあります。
「見清浄」は「名色」の各個別相を認識する「知遍知」の段階です。

16の疑惑というのは次の通りです。

過去に関しての「我は存在したのか」、「我は存在しなかったのか」、「我は何者だったのか」、「どのようにして我は存在したのか」、「我は何者として生まれ、あったのか」。

未来に関しての「我は存在するだろうか」、「我は存在しないだろうか」、「我は何者なのか」、「どのようにして我は存在するのだろうか」、「我は何者として生まれ、あるのだろうか」。

現在に関しての「我は存在するのか」、「我は存在しないのか」、「我は何者なのか」、「どのようにして我は存在するのか」、「我は何者として生まれ、あるのか」、「我はどこから来たのか」、「我はどこに行くのか」。

具体的な方法の一つは、再生の因である「無明」、「愛」、「取」、「業」と、縁である「食」を観察します。

別の方法としては、「名」の2種縁(「六門六境」、「意」)、「色」の4種縁(「行為」、「心」、「季節」、「食」)を観察します。

また、別の方法では、「十二縁起」の順(AがあればBが生まれ…)と逆(BがなくなればAもなくなり…)を瞑想して、「業」と「異熟」とによって(つまり因果関係を)観察します。


<道非道智見清浄>

「道非道智見清浄」は「五蘊」の三相(苦・無常・無我)を瞑想して、「道諦」(道と道でないもの)を認識します。
北伝や大乗仏教の加行道段階に当たると思います。
「道非道智見清浄」は、「名色」の共通相(苦・無常・無我)を認識する「度遍知」の段階です。

具体的には、「聚思惟」、「生滅随観智」という2つの瞑想法を行い、「十観随染」という観の修習の際の誤解をもたらす障害を除きます。


・聚思惟

「聚思惟(観察智)」は、一つ一つの法をではなく、カテゴリとして認識するという意味です。

「五蘊」の三相(苦・無常・無我)を、「過去」、「現在」、「未来」、「内」、「外」、「粗大」、「微細」、「下劣」、「精妙」、「遠」、「近」の11性質から認識します。
三相については、それぞれが、消滅するがゆえに無常であり、恐怖すべきものであるがゆえに苦であり、本質がないがゆえに無我であると認識します。

また別の方法としては、「五蘊」の三相を40行相(「無常」、「苦」、「病」、「腫物」、「矢」…「雑染法」など)から認識します。
40行相のうち、「無常」に関するものが10相、「苦」に関するものが25相、「無我」に関するものが5相です。

また別の方法では、9行相から諸行の無常を認識します。
または、「色」の4つの契機(「行為」、「心」、「食」、「季節」)による生起を認識します。
または、「名」の81心の生起を認識します。
または、「名色」の三相を、7方面(「生死」、「成長と老衰」、「食」、「季節」、「行為」、「心」、「色」)から認識します。

ちなみに、「清浄道論」では、次に、「十八大観」と呼ばれる18種類の「観(ヴィパッサナー)」の瞑想法を列記します。
「無常随観」、「苦随観」、「無我随観」、「厭離随観」、「離貪随観」、「滅随観」、「捨遣随観」、「尽滅随観」、「衰滅随観」、「変易随観」、「無相随観」、「無願随観」、「空随観」、「増上慧法随観」、「如実知見」、「過患随観」、「省察随観」、「還滅随観」です。
これらは、「清浄道論」の体系のこの段階に属するものとして述べられているのではありません。
「清浄道論」の体系で言えば、前段階の「度疑清浄」から後の段階の「行道智見清浄」に属するものもあると説明されます。


・生滅随観智

「生滅随観智」では、諸法の生滅を観察します。

まず、簡略的に、「五蘊」それぞれの生と滅を認識します。

次に、「五蘊」の生滅を50行相で認識します。
五蘊ごとに、5相(「無明」、「渇愛」、「行為」、「食」、「正起」)の「生・滅」を観察するので、5×5×2=50行相となります。

次に、「五蘊」を「縁」、「瞬間」、「四諦」、「縁起」の観点から認識します。

「生滅随観智」は次の「行道智見清浄」の段階でも引き続き行います。
それは、この段階では、心の汚れが残っていて、まだ完全な形でできていないからです。


・十観随染

以上の瞑想を行う中で「十観随染」という、観の修習の際の誤解をもたらす障害が現れることがあるので、それを除くことを学びます。
十の随染は、「光輝」、「知恵」、「喜悦」、「安息」、「安楽」、「新年」、「励起」、「現起」「放捨」、「欲念」です。
つまり、修行中に現れる現象に対して、それに慢心したり、執着しないようにすることを学びます。
これは「非道」に当たるでしょう。


世間智・有漏

知遍知
見清浄
分別智
度疑清浄
法住智・如実智
度遍知
道非道智見清浄
聚思惟
生滅随観智
行道智見清浄
生滅随観智
度遍知・断遍知
壊滅随観智
怖畏智
過患随観智
厭離随観智
脱欲智
省察髄観智
行捨智
随順智
 
断遍知
 
種姓智
出世間智・無漏
智見清浄
預流道智
一来道智
不還道智
阿羅漢道智