「清浄道論」(上座部):止(各論) | 仏教の瞑想法と修行体系

「清浄道論」(上座部):止(各論)

「清浄道論」の「止」いくつかの瞑想法について説明します。


<遍処>

十遍を対象とする「遍満」の修行は、例えば「地遍」の場合、以下のように行います。
基本的に第五禅で行いますが、「虚空」を対象にした場合は「四無色」の「空無辺処」となります。

・土を円形に盛ってそれを対象として見て、名前を念じ、イメージ(取相)を心の中で見れるようにする(これができるようになれば、どこでも瞑想できる)
・「取相」を「似相」(イメージを越えた本質)に純化する
・「近分定」で五蓋をなくす、五根のバランスを取る、七覚支(念より後の六つ)を修する
・「安止定」に至る
・「初禅」から「五禅」に至る


<身至念(観身・念身)>

十随念の一つの「身至念」は、「四念処」の「身念処」と同じです。
「清浄道論」では、その十四観身の中で他の項目と重ならない「厭逆作為」が説かれます。
「厭逆作為」では、身体の32の部分を観察し、嫌悪を感じるようにします。


<安般念(出入息念)>

「清浄道論」で語られる「安般念」は、主に「無礙解道」を継承しています。
基本は先に書いた「アーナーパーナサティスッタ(安般念経)」とほぼ同様の16種の観察(観身、観受、観心、観法)を行います。

最初の4つの念身の観察においては、4禅の深まりを説きます。その深まりと共に、息が微細な断片となり、身体の形成作用も4大の微細なものになると説きます。
また、第3の観察においては、入息の最初、中間、最後を観察するように説きます。

また、下記の8種の手順を説きます。
・息を数える(数息念):5~10のいずれかまでを、素早く繰り返す
・息を自覚する
・息の触れたところ(鼻端or上唇)に息がぶつかることを意識する:ぶつかる相、出息、入息の3つは異なる対象を観察することになる
・安止定を行う
・観を行って智恵を得る
・煩悩が消滅に向かっていることを理解する(聖者の道)
・煩悩が浄化されたことを理解する(聖者の果)
・最後の2つの観察

第2の4つの念受の観察においては、4禅の各段階に入定に即して、喜・楽・形成作用・形成作用の安息を観察すると説きます。

第3の4つの念心の観察においても、4禅の各段階に入定に即して、自覚、喜、一境性、解放を観察すると説きます。

第4の4つの念法の観察においては、五蘊の無常、形成作用の滅人と涅槃、止滅、放棄と涅槃への跳入を観察すると説きます。

以上のように、「安般念」には「観」の側面もあります。
「安般念」の呼吸への気づきによって、「四念処」がなされ、「七覚支」がなされ、明知と解脱がなされるとされます。

息を数える、最初・途中・最後を観察する、息の触れたところを意識する、などなどは部派時代になって行われるようになったことでしょう。


<四梵住(四無量)>

四梵住は「慈(思いやり)」「悲(いたわり)」「喜(喜びのわかちあい)」「捨(心を動かされない)」の4つの感情的態度を養って、怒りをなくすように作為する瞑想です。
「慈」「悲」「喜」は第三(四)禅までで行い、「捨」は第四(五)禅で行います。

「慈梵住(慈心観)」は他人に対して「慈しみ」を感じるように作為する瞑想です。
まず、最初に、自分を対象にして行います。その後は多くの人を対象に広げていきますが、初心者は、好きでない人、親愛する人、無関係の人、怨恨のある人、異性、死人を避けます。最初に自分を対象にするのは、自分が安楽を望むようにすべての生物も安楽を望むのだと理解するためです。
次に、自分、好きな人、普通の人、嫌いな人の4種の人々に平等に「慈しみ」を送れるようにします。
そして、対象を広げて、「慈しみ」をすべての方向に、すべての世界に「慈」を満たします。

「悲梵住(悲心観)」は他人に対して「同情」を感じるように作為する瞑想です。
最初は不幸な人を対象にして行います。その後、愛する人、無関心な人、怨恨のある人を対象に広げていきます。異性、死人は避けます。
「慈梵住」同様に、4種の人々に平等に「同情」を送れるようにし、対象を広げて、すべての方向に、すべての世界に「同情」を満たします。

「喜梵住(喜心観)」は他人に対して一緒に喜ぶように作為する瞑想です。
最初は最愛の人を対象にして、次第に好きな人、無関心な人、怨恨のある人を対象に広げていきます。異性、死人は避けます。
同様に、4種の人々に平等に「喜び」を送れるようにし、対象を広げて、すべての方向に、すべての世界に「喜び」を満たします。

「捨梵住(捨心観)」は他人に対して無関心でいるように作為する瞑想です。これまでの3つの梵住が感情的反応に近いという弊害を理解して、「捨梵住」を初めて第四(五)禅で行います。
最初は好きでも嫌いでもない人を対象にして、次第に愛する人を対象に広げていきます。
同様に、4種の人々に平等に「無関心」を送れるようにし、対象を広げて、すべての方向に、すべての世界に「無関心」を満たします。


<四無色>

「空無辺処」は、「地遍」などの「虚空」以外の9遍を対象に第四禅に至り、その対象・形を超越したいと思い、それを撤去した「虚空」の空間のみに集中します。

「識無辺処」は、「空無辺処」の状態で、それを静寂ではなく危険だから「虚空」を越えたいと思い、それを撤去した識別作用に集中します。

「無所有処」は、「識無辺処」の状態で、それが静寂ではなく危険だから越えたいと思い、それを撤去した状態に一体化します。

「非想相非非想処」は、「無所有処」の状態で、それを静寂ではなく危険だから越えたいと思い、識別作用の撤去を撤去した状態に集中します。


<四界差別(四界分別)観>

四界差別観は、身体が四大に過ぎないことを知る瞑想法です。
四大というのは象徴的な存在です。「地」は硬さの性質を持つ存在、「水」はつながりのある性質の存在、「火」は熱を持つ性質の存在、「風」は推進する性質の存在です。
四界差別観は近分定で行います。

賢い人は、身体に四大が存在すると瞑想するだけで良いということです。
しかし、そうでない人は、以下の瞑想が必要です。

・具体的に略して:身体の4種部分(20の部分、12の部分、4つの部分、6つの部分)がそれぞれが四界であると観ずる
・具体的に詳細に:身体の32の各部を別々に四界に分別して観ずる
・抽象的に略して:身体の4種部分のそれぞれに四界があると観ずる
・抽象的に詳細に:四界のそれぞれの中にも他の三界があると観ずる

さらにそれぞれに、十三行相(言葉・集合・細片・特相・現起・多と一・分解と分解なき・部分を共にするしない・内外・包摂・縁・集中・縁の区分)の観点から四界を作意する。