来年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のロゴです




これを見た時
市川崑監督の金田一シリーズのオープニングを思い出しました
ロゴを見ただけでも期待が高まりますね〜

さてこの日は駅から佐助方面へ

鎌倉らしい洞門は夏でもひんやり
若い子達のキャッキャする声が響きます
目的地はもうすぐそこ
鎌倉歴史文化交流館
鎌倉歴史文化交流館の企画展を観に来ました

過去にも登場した鎌倉歴史文化交流館は
歴史好きには食指を動かされる企画展示が多いのです

去年の秋にも来たよ
発掘調査速報展 2021
※展示は9.8で終了しています
鎌倉を歩いていると
発掘現場に出くわすことも多々あります
その度に気にはなっているので
発掘された古物をこうして展示してくれるのは嬉しいかぎり
そんなありがたい展示を早速観ていきます
展示スペースに入ってすぐ
畠山重忠公の国宝・赤糸威大鎧(模造)
鎌倉武士の鑑ともいわれた畠山重忠公
「鎌倉殿の13人」では中川大志さんが演じます

本物は武蔵御嶽神社に奉納されていますよ

元々個人の邸宅だった建物は
まるで額縁のように庭が眺められるように設計されています
上流階級の者しか使えなかった高級品・青磁
おもに中国や朝鮮から輸入されていました
横浜金沢区・六浦には「六浦湊」と呼ばれる港が作られ
中国との貿易が活発に行われていました
お皿から見える鎌倉時代の食文化
反対に漆器は当時国内で盛んに作られ
庶民の間でも使われました
同時に外国への輸出品としても活躍した漆器
豆皿ほどの大きさの漆器が目立ちます
実は「一汁三菜」という和食の基本は
鎌倉時代に成立したのはご存知でしたか?
禅宗が武士の間で広まり
同時に肉食をしない精進料理が発達
野菜を和えたりするなど
料理法も増えていきます
身分を重んじる武家社会では
大皿から料理を取り分けて食べるのを嫌い
個人それぞれの膳で食事をする「本膳料理」が主流でした
そのためこういった小さめサイズの漆器が多いのですね
ちなみに「味噌」「醤(ひしお)」「たまり」といった調味料は
鎌倉時代に普及しました
1日2食だった鎌倉時代
1日3食が庶民の間にまで広がるのは江戸時代になってからで
鎌倉時代は1日2食を基本としていました
ただし合戦時には食べられる時に食べるというスタイル
鎌倉時代の「宴会」もだいたい午後2時から始まり、日没には終わるというもの

照明用としての菜種油が普及する江戸時代までは
日没には就寝するという生活様式だったようです

日没には寝ていたということは
夕方には晩ごはんを済ませていたということですね
それなら1日2食でもいけるかも

でも朝が早いでしょうねえ

現代人の生活に当てはめようとすると無理があります

鎌倉時代のシフト表
これは「結番交名(けちばんきょうみょう)」と呼ばれる木札
御家人・安達氏の屋敷跡とされる場所から出土しました
屋敷の警備にあたる人名が書かれているシフト表なのです

字がかすれていてわかりづらいのですが
「一番・二番・三番」と番号の後に3名ずつ警備当番の名前が記されています
解説板の文を拝借すると
たとえば二番の下には
か春やの太郎殿
しんさくの三郎殿
支へいやうふさゑもん入道殿
と3名のお名前があります
面白いのは木札に
「三郎」という名前の人が3名もいること
割とポピュラーな名前だったのでしょうかね

日付もきちんとあり
「文永2年5月」とあります
文永2年は西暦の1265年
北条時宗公が執権職に就く3年前です
モンゴル帝国から服属するよう警告がくる少し前ですね
こんな時代でした

ちなみにこの木札の裏側には
包丁跡が残っていることから
まな板として再利用されていたことがわかっています
それだけじゃありません
こちらは「折敷」(おしき)と呼ばれる食器を載せる薄い板
文字が書かれているようにメモ書きとして再利用されたようです
今でいうところのチラシの裏的な??
今から700年ほど前の人々に親近感を覚えますね

崇寧通宝
いわゆる北宋銭とよばれ
鎌倉時代に大量に輸入されました
現在1000円〜3000円の値段で売られているようですね

かわらけ
最も多く発掘されるのがこのかわらけだといわれています
出土したのは「武蔵大路周辺遺跡」
写真の赤い線で囲われたエリアです
かわらけは中世に多く出土されている素焼きの食器で
武蔵大路周辺遺跡からは1000枚以上も発見されました
武士はかわらけで酒を飲み
穢れを避けるために一度使っただけで捨てられていたと考えられています
それを裏付けるように
ここで出土したかわらけのほとんどが破損のない物でした
こちらも同じエリアから出土したもの
何に用いられたのかは不明
そしてマークに注目です

朱漆の「
」マーク


古来から「猪の目」(いのめ)と呼ばれる魔除けのマークです
1400年前からあるとされ
寺社の建築や高貴な人物の武具などに好んで用いられてきました
割とあちこちで発見できるので
神社仏閣へ行ってみたら探してみてくださいね

かつて由比ヶ浜にあったリゾートホテル
館内には近代鎌倉のコーナーもあります

こちらは「鎌倉海浜ホテル」というかつて由比ヶ浜にあったリゾートホテルのパンフレット
在りし日の鎌倉海浜ホテル
明治20年にサナトリウムとして開かれた後にホテルとして開業
写真は明治39年にジョサイア・コンドル設計で建築されたもの
関東大震災を生き残りましたが
残念ながら昭和20年の戦後接収時代に
米兵による火の不始末にて全焼してしまいました

ホテルは夏目漱石の「こころ」にも登場しています
私はその二日前に由比ガ浜まで行って、砂の上にしゃがみながら西洋人の海に入る様子を眺めていた。私の尻のおろした所は少し小高い丘の上で、そのすぐ傍(わき)がホテルの裏口になっていたのでー
(夏目漱石『こころ』より)
『現在の鎌倉』(複製)
明治45年に発行された鎌倉のガイドブック
いわゆる名所案内ではなく
当時の鎌倉の発展状況に主眼をおいた珍しいもの
巻末付録には、別荘一覧も載っており
当時の花開いた別荘文化を知ることができる貴重な資料
表紙だけ見ると、小説のようですね

こちら別館
いつ見ても元個人邸宅とは信じがたいです

別館入り口
鎌倉殿の13人
庭が眺められる休憩室のような部屋には
来年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の13人についての展示があります
庭の岩肌にはやぐらのような3つのアーチ
大正期に財閥・岩崎家の別荘があった際に作られました
やぐら…中世の横穴式墓所
庭には本物のやぐらも複数存在しています
館内の方から「見晴台」を進められたので行ってみました

スズメバチがいないといいな〜

さっきまで館内の人と話していた休憩室が見えます
ちょっと木々が鬱蒼としていましたが、眺めは良好

どこかを掘れば何かが出るのが鎌倉
(京都もそうですね
)

今もなお発掘作業が行われており
貴重な遺物が出土されています

こうして発掘された出土品の展示もしているので
機会を見つけて是非鑑賞してみてはどうでしょうか

「鎌倉殿の13人」の予習にピッタリ
鎌倉をもっと近くに感じることができますよ

【番外編】


知る人ぞ知る
横浜の「浜なし」でした


開館時間/10時00分~16時00分(入館は15時30分まで)
休館日/日曜・祝日、年末年始、展示替え期間など
観覧料/一般300円[210円]、小・中学生100円[70円]
[]は団体料金
※鎌倉市内在住の小中学生と65歳以上の市民は無料
9月24日まで展示入替と燻蒸作業のため休館


