私のブログは、約9年前に…
風邪すらひかない
超健康なサーファー旦那が
悪性脳腫瘍グレード4
神経膠芽腫を
発症した時からを書いています。
現役ママナース(看護師23年目)
グリーフカウンセラー
グリーフケアアドバイザー
心理カウンセラー
自己肯定感アップカウンセラー
薬膳アドバイザー
かずママのプロフィール
本を出版しました
ピッコマで漫画配信中
大切な人を亡くし…、
絶望感に襲われ、
「人生終わった」と感じ、
自死まで考えていた絶望未亡人が…
どうやって生きてきたのか
そして、
生きているのか
を、赤裸々に綴っている…、
『30代絶望未亡人
這い上がり物語』です。
初めから読んでくださる方はこちらから
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私の旦那は…
2年弱の闘病の末…、
天国へと、
旅立ちました
今、
その2年弱の闘病期間を振り返り…、
思うことがあります
旦那は…、
病気がわかった時点で、
「余命14カ月」
と、医師に言われていました。
妻と、
2歳と5歳の子どもがいる
33歳の男性が…
あと1年しか生きられない。
なんて…、
信じがたい。
残酷な話し。
そんなことを言われたら…、
本人も家族も…、
動揺しない人は居ないはず。
気持ちをどう持っていっていいのか…、
奇跡を信じるも…
極度の不安や恐怖が
襲ってくる
幸いなことに
旦那は、
余命宣告をされた時点で、
認知力が低下していた為、
正常な理解、反応、判断が
出来なくなっていたので…
私は1人……、
あたふたしていた
どうしよう…
どうしよう…
どうしよう…
パパが…
死んじゃう
そ…そんなわけない。
でも…、
もしもそうなったら…
どうしよう…。
私の頭の中は、
パニック状態だった。
パニックだったけれど…、
でも、
目の前には、
やらなくてはならないことが
沢山あったから、
そのパニック状態にすら、
私は気づいていなかった。
だからあの時は…、
す〜っと、
私の心を置いてけぼりにしてしまったけれど……、
あの時私は、
私の想いを聞いてもらうべきだったんだ
看護師さんや、
ソーシャルワーカーさんや…
カウンセラーさん。
あれだけ沢山の、
医療従事者の方がいたのに…
妻である、
私の想いを聞いてくれた
医療従事者は…
居なかったなぁ…
急性期は特に…、
みなさん忙しいですもんね。
大きな大学病院。
次から次へと、
患者さんが運ばれて来る中、
ゆっくり1人の患者や家族に耳を傾けるって、
難しいこともわかります。
でも、あの時…
「奥さん、大丈夫ですか?」
「眠れていますか?」
なんて…、
一言でも声をかけてもらえたら…
「いやぁ…、
やっぱり不安で、
眠れなくて…」
な〜んてぼそっと、
吐き出せたのかもしれません。
吐き出せていたら…、
私の心は置いてけぼりにならず、
心も一緒に、
連れて行かれたのかもしれません。
だから…、
私が今、
振り返った時に、
そう思うからこそ、
医療従事者としての、
一言を大切にしながら、
働くようになりました
病と闘っている時、
大切な人を、
支えている時の、
看護師さんからの一言って、
とっても大きいんですよねぇ
その、
欲しかった一言が、
私はもらえなかったから…、
だからこそ、
自分は、
その一言をかけられるような
看護師でありたい
そう強く思っているのです
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