第495話
こんにちは
菊水千鳳です
今回は、鶴岡八幡宮の境内の離れにある、源頼朝さんのお墓をお参りしてみました。
その前に、鶴岡八幡宮境内の、立ち入ることが禁止されているこの橋の前で、頼朝さんのユーモアなお言葉をご紹介します。
源頼朝さん
【 ここはな ひと昔まで誰でも入って良かったのだが…
今はもう立ち入ることができんのう
じゃがお主(=俺)も滑ってみたらどうだ?
大人が滑るのがまた良いんじゃ 子供のようにな】
俺
『確かにまるで滑り台ですねー
大人はよしましょう。そもそも立ち入り禁止じゃないですか(笑)ムリです』
頼朝さん
【 滑るのを楽しみにしておる】
俺
『いやいや、だから立ち入ることができませんよ(笑)
見たら分かりますよね?(笑)
柵を越えろとでも?』
このあと、頼朝さんの仰る意味を理解することになるのでした。
鶴岡八幡宮から歩くこと約10分。地図を頼りに歩いていたら、墓の下の長い急な階段の下に着きました。
手前には公園がありました。
ここには滑り台があるではありませんか!
すかさず、
頼朝さん
【 ワシが先ほど申したのはここじゃよ
ほら 恥ずかしがらずに
見ておるから滑ってみよ(笑)】
ユーモア感の溢れる頼朝さん、《平家池》から平家が解放されたせいなのか、とても上機嫌でした。
(結局、帰りに滑らせていただきました(笑))
階段の真下に到着しました。
左横に白旗神社がありました。
御祭神は《源頼朝》さんと書かれていました。
柏手を打つと、頼朝さんの気配が薄く、代わりに、階段を上がったお墓の方角から、頼朝さんの声が聴こえてきました。
頼朝さん
【 上に登って来なさい 】
多分、ここ白旗神社は階段を上がって来れない参拝者が訪れる場所なのかもしれません。
お墓とエネルギーの通りが繋がっていました。
階段を登りきり、正面のお墓の前に立ちました。
頼朝さんは、墓石?石が積み上げられているところに
座禅を組んでいる様子で視えました。
俺もC君も同じく、同じ場所に、頼朝さんが視えていました。お互いのキャッチしたメッセージの内容も同じでした(笑)。
御祭神や仏様は、メッセージを効率よく伝えるために、俺達に同時に、それぞれ別々のメッセージをくれたりすることがあります。片方だけの時もあります。
ここは、今までで一番、頼朝さんの存在? 氣?が濃く感じられました。
俺がキャッチしたメッセージ
↓
頼朝さん
【 昔からあるお墓だが
一望すると また違って見える
今ではそんなに(どこにでもあるような)変わりない景色で
申し訳ないんだが
ここから一望できたことは誠である
((注)住宅が並んでいて、普通の景色でした。)
別に家々が邪魔なわけではないぞ
火をつけて燃やすなよ
(しないしない^^;)
時は変わるものだからな
今も花が絶やさずに供えられて
嬉しい限りである】
この日はお彼岸だったので、たまたま新しく花が供えられていたのか、常時、供えられているのかは知りませんが、頼朝さんが言うには、常時、供えられている感がありました。
C君キャッチ↓
頼朝さん
【 昔はもっと綺麗だった
多くの人が訪れて 花を供えてくれた
今でも花を供えてくれて嬉しい
死して生に固着することはないし
自然と一体になる道理であるから
それもまた一興(いっきょう)である】
武士の生き様みたいな覚悟がいいですね。
同じメッセージですが、表現が少し異なるのも面白いです。
頼朝さん
【 これでまた 寄るところが増えたな(←お墓のこと)
(刀は持っているが、もう)
誰をも傷つけたりしない
(=平家との争いはしない)】
ここでSさんのファインプレー登場♪
お彼岸だったこともあり、お線香を少し持ってきていて、頼朝さんのお墓にお供えしたら
【 いい香りだ 】 と、喜んでくださいました。
手を合わせてお墓を後にして、頼朝さんが見ている絶景を見渡したりして(家々だったけど)、お墓の横にある案内看板の前に立って読もうとしたら、
頼朝さん
【 上にもあるがどうする?】 と。
俺達
『 う え ?! えっ?』
上って?何があるの?と3人で顔を見合わせてから
【どおする?】って聞かれているし、即決で
『はい!行きます!行きます!💦』
頼朝さんが「上」という方向には、崖を削ったような階段があるじゃありませんか!
その先には獣道のようなのもありました!びっくり😨
歩くこと5分くらい。
開けたところに出た!
と思ったら、別のお墓が!!
本当にあった!
誰のお墓なのか知らなかったのですが、3人分のお墓が個別に並んでいました。
岩が洞穴のように切り抜かれ、その中にお祀りされていました。
大歓迎されているのがわかりました。この中に住んでも良いくらいな歓迎ぶりでした。
3人とも同じ感覚でした。
どっしりと構えながらあぐらをかいている3人の気配…
なんだか離れるのが寂しいような、勿体無いような、そんな気分で、帰りは整備された階段の方を下りました。
ここを降りたら調べてみようってことで
先ほどの滑り台のある公園に向かいました。
途中、立て看板があり、並んでいたお墓の主を調べました。
↓
右のお墓は
薩摩藩島津氏の祖
島津忠久(しまづ ただひさ)
中央は頼朝公のブレーンであった
大江廣元(おおえ の ひろもと)
左はその四男で後に中国地方の覇者となる長州毛利氏の祖
毛利季光(もうり すえみつ)
公園に着いたら、もう夕方でした。
そして…このお墓の3人の方々が並んでこちらを向いていました。
歴史に名を残したお墓にいらした偉大な3人
【よく来たな
今日はこれで(滑り台で)遊んで終わりのようだな】
と、目線は温かく温もりある方々でした。
帰り際に鶴岡八幡宮の前を車で通ったら、
頼朝さんと北条政子さまを先頭に、武者が車の速度に合わせてスライド移動しながら手を振ってくれていたのが、一瞬だけ視えました。
何柱かの神々もいらしていました。
車を追うためだったのか?
神様以外の皆様は前屈姿勢でした。
俺達や読者の皆様に
感謝の思いが伝わってきました。
⭐追加1)
帰りに平家池の横を通過するとき
平家
【 花を見に来て欲しい
綺麗に咲く花を 】と…。
今度は蓮の花が咲く頃に
お伺いしたいと思います。
⭐追加2)
読者の方から《平清盛》さんは出てこないのですか?という質問がありましたのでお答えします。
回答)
統合の動きはまだ始まったばかりです。
平家池からのスタートとなりました。
近いうちに平家の棟梁、平清盛さんが現れるのではないでしょうか?
その時が来ましたらまた日記にして投稿します。
やはり、最後は棟梁同士がまとまらなければ…
⭐追加3)
鶴岡八幡宮からお墓に向かうときのことです。雲行きが怪しくなってきましたΣ(゜д゜lll)ガーン
雨が降るなんて聞いてないよー💦 天気予報では晴れマークでした。
すると
頼朝さん
【 参拝者が多くて集中できないようなら、この前(前回)の時みたいに雨を降らせてやろう】だって。
確かにこの日は混んでましたけど。
それ、早く言ってよー
結局はパラパラっと降ったくらいで済みましたε-(´∀`*)ホッ
まったくお茶目な頼朝さんでした。
いきなりの雨雲でした💦
これで、鶴岡八幡宮《源平池》関連を終わります。
また、進展がありましたらご紹介いたします。
鶴岡八幡宮関連の過去日記はこちらからもご参照できます。