噴火中の「阿蘇山」。*フリー画像より






◆ 「阿蘇ピンク石」 ~海を渡った棺~ (16)






ついにここまでたどり着きました。

「阿蘇ピンク石」を産んだ「阿蘇山」。


これまで熊本県の古代名を「肥国」或いは「肥後国」としてきましたが、以降は「火の国」と解禁します。


~*~*~*~*~*~*~*~*~*~
■過去記事
(1) … 序章・「阿蘇ピンク石」石棺例一覧
(2) … 「阿蘇ピンク石」とは・石棺例一覧の訂正
(3) … 「大王のひつぎ航海実験」
(4) … 「阿蘇石」と「舟型石棺」 ~1
(5) … 「阿蘇石」と「舟型石棺」 ~2
(6) … 「阿蘇石」と「磐井の乱」
(7) … 「阿蘇ピンク石」製の石棺例 ~1
(8) … 「阿蘇ピンク石」製の石棺例 ~2
(9) … 「阿蘇ピンク石」製の石棺例 ~3
(10) … 「阿蘇ピンク石」製の石棺例 (追加修正)
(11) … 「阿蘇ピンク石」製の石棺例 ~4
(12) … 「阿蘇ピンク石」製の石棺例 ~5
(13) … 「阿蘇ピンク石」製の石棺例 ~6
(14) … 「阿蘇ピンク石」製の石棺例 ~7
(15) … 「阿蘇ピンク石」製の石棺例 ~8
~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

噴火中の「阿蘇山」。*フリー画像より



■ 阿蘇国(前編)

今もなお噴火活動を続ける「阿蘇山」。だからこその「火の国」。

アイヌ語で「アソ」は「火を吐く山」とする説があったり、世界には「アソ」という音に類似した山名が多いとする説などもあるようです。

古代人がこの「阿蘇山」に神が宿る、或いは神そのものだと捉え、崇めていたのはごく自然なことかと思います。
阿蘇の大神が鎮まる国、「阿蘇国」を見ていくことにします。



◎領域/阿蘇郡(現在の「阿蘇市」を中心とした一帯の地)
◎初代国造/速瓶玉命(ハヤミカタマノミコト)

「先代旧事本紀」の「国造本紀」に、
━━崇神天皇の御世、火国造と同祖 神八井耳命の孫 速瓶玉命を阿蘇国造に定め賜ふ━━
とあります。

神八井耳命は神武天皇の皇子で第2代綏靖天皇の兄。多氏の祖。



■ 阿蘇大神

「阿蘇山」に鎮まる阿蘇大神とは健磐龍命(タケイワタツノミコト)のこと。阿蘇国初代国造 速瓶玉命の父。

◎景行天皇十八年の段に以下のような記述があります。
━━天皇は九州巡幸の一環として「阿蘇国」に到ったが、その国の野原は広く遠く、人居は見えなかった。そこで天皇は「是国に人有りや」と言った。するとその時、阿蘇都彦・阿蘇都媛の二神があり、たちまちに人になって天皇のもとにいたり、「吾二人在り。何ぞ人無らんや」と言った。ゆえにその国をなづけて「阿蘇」といったという━━

ここに登場する阿蘇都彦が健磐龍命のことと思われます。阿蘇都媛を娶り生まれたのが速瓶玉命。

◎健磐龍命の出自については、神八井耳命の子、孫、第5・6・11世孫とするなど資料によりまちまち。真相は分かりません。

もし神八井耳命の子とするなら、神武天皇の孫ということになります。


~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

阿蘇神社 「一の神殿」。*画像はWikiより



■ 肥後国一ノ宮 阿蘇神社
(式内名神大社 健磐龍命神社)

「阿蘇山」の北麓に鎮座する阿蘇神社(未参拝)。多くのご祭神を祀ります。「一宮」~「十二宮」までがあります(阿蘇十二明神)。

*一の神殿(すべて男神) … 一・三・五・九宮
*二の神殿(すべて女神) … 二・四・六・八・十宮
*諸神殿(ともに男神) … 十一・十二宮

*一宮/健磐龍命(阿蘇都彦命)
*二宮/阿蘇都比咩命
*十一宮/速瓶玉神

「一宮」~「十二宮」まですべて近親神が祀られています。

うち「一宮」が「式内名神大社 健磐龍命神社」、「二宮」が「式内社 阿蘇比咩神社」の比定社になっています。また「阿蘇神社」として肥後国一ノ宮になっています。

「阿蘇郡誌」には創祀伝承について、第七代孝霊天皇九年というのを載せています。
ところが別説の景行天皇が阿蘇を訪れた時とするのが妥当でしょうか。もちろんこの時代に社殿等は存在せず、神籬等を立てて祭祀を行ったというものだったとは思いますが。

「阿蘇神社系図」においても、健磐龍命の御子が速瓶玉命となっています。


~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

国造神社 *画像はWikiより



◎国造神社・健軍神社(火国)

国造神社は速瓶玉命を祀る式内社。
阿蘇神社を「本宮」とし、こちらは「北宮」とも呼ばれています。

創建は社伝によると、崇神天皇十八年に健磐龍命を初代阿蘇国造に任命、同年に子の惟人命に居住地に祀らせたとしています。

存命中に、しかも居住地に祀らせたというのは明らかに矛盾。実際は薨去後に祀られたのでしょう。

ところが当社が肥後国では最も古いとされ、つまり阿蘇神社よりも先に創建されたとも言われています。

創祀は阿蘇神社が先、創建は国造神社が先ということなのでしょうか。また景行天皇の時代に阿蘇神社に合祀されたという説も。

前回の記事に登場した「火国」の健軍神社。現在は健磐龍命を祀っています。
社伝によると阿蘇神社の大宮司が、欽明天皇十九年(558年)に同社より当地に勧請して創祀したというもの。

元々は健緒組命を祀っていたところに、健磐龍命が被さったものとみられます。



~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

宮崎神宮 *画像はWikiより(2011年8月撮影とのこと)



■ 神武天皇と健磐龍命

◎宮崎神宮・幣立神宮

「阿蘇郡誌」によると、
━━神武天皇七十六年に孫である健磐龍命に「西国鎮撫」の命を下し、「火の国」に封じた━━
とあります。

その途中に宮崎神宮と幣立神宮を創祀したとしています(ともに未参拝)。

*宮崎神宮
神武東征前の神武天皇の宮跡。神日本磐余彦尊(神武天皇)を祀ります。
式内社とはなっておらず実際の創建は鎌倉時代以降ではないかと思われますが、健磐龍命により創祀されたのではないかと考えます。

*幣立神宮
「高千穂」にも近く天孫降臨伝承が多く残る地。
健磐龍命は「眺めがとても良い場所」として天津神・国津神を祀ったとされます。ご祭神は神漏岐命(カムロギノミコト)・神漏美命(カムロミノミコト)。

付近には「神武天皇御発輦跡」石碑が立ちます。神社側では「神武天皇の御発輦(ごはつれん)の原点」としていますが、具体的な内容は示されていません。


幣立神宮 *画像はWikiより


~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

■ 阿蘇氏

阿蘇神社の大宮司を務めたのが阿蘇氏。初代阿蘇国造である速瓶玉命の子孫。現在も末裔が歴任しています。

◎阿蘇氏と多氏

健磐龍命を「阿蘇国」に赴任させたのは神武天皇。健磐龍命は神八井耳命の子孫ということでした(子または孫、5・6・11世孫)。

多氏は神八井耳命を祖とする氏族。隣の「火国」の初代国造も、「先代旧事本紀 国造本紀」には多氏を祖とする遅男江命(チオヘノミコト)としています。つまり阿蘇国の初代国造 速瓶玉命と同祖であると。

多氏の本貫地は大和国十市郡「飫富郷(おふごう)」。「式内名神大社(二座) 多坐弥志理都比古神社(多神社)」が鎮座します。

子孫に「多朝臣」「意富臣(オフノオミ)」「小子部連(チイサコベノムラジ)」「坂合部連」らがおり、いずれも中央にて活躍した系統。

他に「阿蘇君」「火君」「大分君(大分国造)」など、九州を中心とした系統。さらに科野(しなの)国造など、子孫は全国各地にみられます。

九州の多氏の系統については、上述のように神武天皇の命で中央から任命されて赴任したとされます。

*太田亮氏説
氏族制度の第一人者である太田亮氏は異なる見解。多氏の本貫地とされる大和国十市郡に九州から移住してきたとしています。

*個人的な見解
そもそも多氏の祖は椎根津彦神と考えています。神武東征神話にて活躍する珍彦(ウズヒコ)のこと。倭宿禰とも。

[神武天皇系譜]

天照大神━天忍穂耳尊━瓊瓊杵尊━火折尊(ホオリノミコト)━鸕鷀草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)━磐余彦尊(神武天皇)


[倭宿禰系譜]

天照大神━天忍穂耳尊━天火明命━(彦火火出見命)━建位起命━倭宿禰(椎根津彦命)


瓊瓊杵尊と天火明命のところから系譜が分かれています。

天火明命は瓊瓊杵尊の同母兄。つまり祭祀担当→天火明命、政治担当→瓊瓊杵尊。この時代は政治よりも祭祀の方が遥かに優位であるため、本来なら倭宿禰の系譜の方が優位。

ところが神武天皇が即位し、三人の兄が皆東征時に崩御。神武天皇が祭祀も政治も両方行ったため、記紀編纂時には既に分からなくなっていました。


畿内から丹後、瀬戸内一帯を支配していた「大王」である椎根津彦が神武天皇を従え、饒速日命等の小豪族を討伐したのが神武東征神話の史実であろうと考えています。


以下の過去記事に詳細を記しています。


つまり健磐龍命に赴任を命じた実質的な人物(神)は椎根津彦神ではないかと。ただし既に椎根津彦神は崩御していて、神武天皇が行った可能性は比定できませんが。


(丹後国一ノ宮 籠神社境内の「倭宿禰像」) *現在は撮影禁止




今回はここまでで留め置きます。

「阿蘇国」は1回で収めきることができませんでした。これは想定内。

今回は「阿蘇ピンク石」製の石棺からは遠く離れたような感じとなっていますが、
実は核心へとどんどん近づいています。

壮大なスケールとなり記事作成も大変ですが、これはとてもやり甲斐のあること。これまでの集大成の一つとしてやり切りたいと思います。



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。