播磨国 生石神社の御神体。
石棺の蓋を造るために切り出したが、何らかの理由で断念したと思われる。






◆ 「阿蘇ピンク石」 ~海を渡った棺~ (4)






今回よりいよいよ核心に触れていきます。

なぜ遥々肥の国から、わざわざ1000km超も離れた所から石棺を運ばねばならなかったのか。

それが次第に明らかにされ、古代社会の復元に繋がっています。


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■過去記事
(1) … 序章・「阿蘇ピンク石」石棺例一覧
(2) … 「阿蘇ピンク石」とは・石棺例一覧の訂正
(3) … 「大王のひつぎ航海実験」

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*左の赤三角 … 今城塚古墳
*右の赤三角 … 八幡茶臼山古墳
*黄三角 … 石清水八幡宮
*青三角 … 継体天皇「樟葉宮跡」伝承地




■ 畿内最古の「阿蘇溶結凝灰岩」の利用例

現在発見されているなかでもっとも古い「阿蘇溶結凝灰岩」の利用は…

新たな発見があったりもするのでしょうが、資料によりまちまち。「阿蘇ピンク石」に関する10以上のサイトを比較検証し、抽出したもっとも古いと思われるものを載せておきます。

もっとも古いのは山城国綴喜郡(現在の京都府八幡市)の八幡茶臼山古墳(消失)。

墳丘規模や形状等の詳細は不明。穿たれた石棺片のみが出土するようです。築造時期は4世紀後半とされます。この地域ではもっとも古い古墳ではないかと。

場所は「桂川」「宇治川」「木津川」が一気に合流し、「淀川」となる要衝。石清水八幡宮が鎮座する「男山」の南西裾部の丘陵地。大規模な宅地開発のために消失しているため、古代の地形は不明。

この地は大阪府枚方市との境であり、継体天皇の「樟葉宮跡」伝承地(交野天神社の境内)はわずかに300~400m西方(片埜神社説有り)。

近江国高島郡(「琵琶湖」の北西部)で出生したとされる継体天皇。「琵琶湖」の南端から流れ出した「瀬田川」が、京都府に入ると「宇治川」へと名を変えます。そして「桂川」と「木津川」とが合流したのが「淀川」。

今城塚古墳へは、その「淀川」を7~8kmほど下った辺りに合流する「芥川」を5kmほど遡った辺り。直線距離なら10km程度といったところ。
ちなみに今城塚古墳は6世紀前半頃のものであり、時代は150~200年ほどかけ離れています。

被葬者は石棺を除き遺物がほとんど持ち去られたため分かりません。形状は「舟型石棺」。



■ 「舟型石棺」とは

石棺には「刳抜式(くりぬきしき)石棺」と「組合式石棺」の2種類があります。

*「刳抜式石棺」
身と蓋、それぞれ切り出した石材を刳り抜いて造られたもの。「割竹型石棺→舟型石棺→家型石棺」に区分され、後者ほど新しい様式。

*「組合式石棺」
計6個の板石を組み合わせて造られたもの。こちらの方が簡単。「箱型石棺→長持型石棺→家型石棺」に区分され、後者ほど新しい様式。

*「舟型石棺」
身・蓋の両横断面が竹を半截したように半円形を成すのが「割竹型石棺」。身は舟型、蓋は屋根型を成すのが「舟型石棺」。身と蓋を合わせた断面は楕円形を成しています。「割竹型石棺」の変容形とみられます。下部に一例の写真を上げておきます
なお「家型石棺」は身は箱型、蓋は屋根型を成しています。


(保渡田薬師塚古墳の「舟型石棺」) *画像はWikiより
(保渡田八幡塚古墳の「舟型石棺」) *画像はWikiより



■ Wikiにおける最古の「阿蘇溶結凝灰岩」利用例

ところがWikiには、肥後国天草郡(現在の上天草市)の長砂連(ながされ)古墳群の「石障」とされています。こちらは5世紀前半頃であると。上天草市のサイトでは5世紀後半となっていますが。

「石障」とは、横穴式石室の玄室各壁に立てめぐらされた板状石材のこと。壁画または浮彫、線刻などの装飾を持つ古墳の総称として用いられます。

その「装飾古墳」は4世紀末頃~5世紀初めにかけて、「八代海(不知火海)」沿岸部で造られ始めた横穴式石室に見られるとのこと。
5世紀前半頃には宇土半島を経由して熊本県北部に広がったようです。7世紀になると関東や東北地方まで広がっています。これはヤマト王権の支配域の広がりと重なります。



■ 「阿蘇溶結凝灰岩」は播磨へ

Wikiが示す長砂連古墳群よりもさらに古いとされる「阿蘇溶結凝灰岩」の利用例が、播磨国に存在します。

兵庫県たつの市御津町朝臣(あさとみ)で発見された「中島石棺」。「舟型石棺」の蓋のみが出土、5世紀初頭のものとされます。

「揖保川」河口の丘陵地帯、海岸からはおよそ1kmほど。群集墳となっています。

この辺りなどは畿内を中心に多くの石棺材「竜山石」(凝灰岩)の産地からは、わずか10km、15kmほど。なぜ遠路遥々と肥の国から運び込まれたのか…。相応の理由が必用。



(生石神社境内から見る「竜山石」)




■ 讃岐にも「阿蘇溶結凝灰岩」の石棺

讃岐国にも5世紀前半とみられる「阿蘇溶結凝灰岩」製の石棺が、高松市の長崎鼻古墳・観音寺市の丸山古墳(1号墳)・観音寺市の青塚古墳の3箇所で見られます(いずれも未参拝)。

*高松市の長崎鼻古墳
源平合戦「屋島の戦い」で知られる「屋島」の突端部、「長崎ノ鼻」に築かれた古墳。江戸時代に埋め立てされ陸続きに。
全長45mの前方後円墳で5世紀初頭に築造。舟型石棺。

*観音寺市の丸山古墳(1号墳)
香川県西部、愛媛県との県境に近い観音寺市内の古墳。海岸からはわずか500m余りの丘陵頂に築かれています。
古墳規模は大きく掘削されているため不明。形状は円墳。
石室は第1号・第2号と二つの竪穴式石室が確認されていますが、残存する石棺は一つだけ。舟型石棺で5世紀中頃のもの。

*観音寺市の青塚古墳
同じく観音寺市内、北東端の古墳。海岸からは5km余り内陸部にあります。
推定60mの帆立貝型古墳。後円部のみ現存し前方部は消失しています。築造は5世紀中頃。
舟型石棺の破片のみが出土しています。

讃岐国にも「火山石」「鷲の山石」といった、良質の石材が存在します。何度も言いますが…なぜわざわざ遠路遥々と阿蘇から運び込まれたのか。


(観音寺市の青塚古墳出土の石棺片) *画像はWikiより



■ 「舟型石棺」と「阿蘇石」

「阿蘇ピンク石」は…
「舟型石棺」には使われていない
また「長持型石棺」「家型石棺」に使われている

「阿蘇溶結凝灰岩」は…
「舟型石棺」に使われた
また「長持型石棺」「家型石棺」に使われている

播磨の「竜山石」という存在
讃岐の「火山石」「鷲の山石」という存在


どうやら…
まずは石棺の「型」と「石材」をトータルに見ていかねばならないことが分かります。

「型」の歴史
「石材」の歴史
まずそれぞれを縦割りで捉え、次にそれぞれを交差させる作業を行う。

そしてそこに「人と文化の交流」を重ねていくと、古代のあらゆるものが見えてきそうです。

以降はこの流れとなっていきます。





長くなってきたので今回はここまでに留め置きます。

次回ももう少し「阿蘇溶結凝灰岩」の利用例を見ていくことにします。





*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。