(大和国城上郡 「ミロク谷石棺」)





◆ 「阿蘇ピンク石」 
~海を渡った棺~ (2)





前回の第1回目の記事では、
ありがたくもまずまずの反響を頂きました。


「阿蘇ピンク石」というのが、古代史を探る上においてとても貴重な因子の一つ。

ちょっと古代史に興味を…
といった方向けにささやかな発信を目的としている当ブログにおいては

一定の目的を果たせたかなと思っています。


ところが…

こういったケースは2回目以降は、関心が薄れてほとんど読まれなくなるのが常でして。


それを覚悟で今後は綴っていきます。


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(2015年の「阿蘇山」噴火) *画像はWikiより




■ 「阿蘇ピンク石」とは?

ピンク色に発色した石。
石棺に利用される加工しやすい「凝灰岩」の一つ。

ここで地質学的なことを記すつもりは毛頭ありませんが、「阿蘇溶結凝灰岩」(阿蘇石)の一種類であるということを上げておきます。

後々大事なこととなるので。

9万年前の「阿蘇山」噴火によりできたもので、「阿蘇溶結凝灰岩」(阿蘇石)は九州一帯から一部は山口県にまで分布します。

そのうち「阿蘇ピンク石」は、熊本県宇土市(うとし)網津町の馬門(まかど)地区で産出されるもの。全体の1%ほどのようです。

「阿蘇溶解凝灰岩」はほとんどが灰色。そのうち宇土市産出のものは、希にピンク色やベージュ、茶色などに発色するものがあります。

ピンク色に発色したものが「阿蘇ピンク石」なのです。



■ 従来は「二上山ピンク石」と称されていた

そもそも「二上山」(奈良県と大阪府の境の山)や兵庫県「たつの市」で、良質な凝灰岩が豊富に存在します。

畿内の多くの石棺がこのどちらかが使用されています。ピンク色の石棺が発見されたところで、どちらかで産出されたものと推定するのが自然な考え。

従って「阿蘇ピンク石」と判定される従前は、「二上山ピンク石」と呼ばれ、「二上山」産と考えられていました。


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*赤の波線囲みは「宇土市」
*その中の赤三角は「馬門石石切場跡」
*地図中央の赤三角は「阿蘇山」



■ 「阿蘇ピンク石」の採掘地

採掘地は上述の通り熊本県宇土市(うとし)網津町の「馬門(まかど)」地区。

地名から「馬門石」と呼ばれることもありますが、これはベージュや茶色に発色したものも含むので注意が必要。また「赤石」とも呼ばれます。こちらは「阿蘇ピンク石」のみ。



■ 「阿蘇ピンク石」の石棺の訂正

ここで第1回目の記事の訂正をしておかねばなりません。

Wikiで掲出されている資料を元に、「阿蘇ピンク石」が使われたことが判明している石棺の一覧を挙げていますが、

他の多くの資料を閲覧するなかで、どうやらいくつかの間違いがあることが分かりました。以下に訂正しておきます。


◎[山城国綴喜郡] 八幡茶臼山古墳(4世紀後半)…消失
◎[河内国志紀郡] 唐櫃山古墳(5世紀中頃)
◎[河内国志紀郡] 長持山古墳(5世紀第4四半期)…消失
◎[河内国古市郡] 峯ヶ塚古墳(築造時期不明)

◎[大和国山邊郡] 別所鑵子塚古墳(築造時期不明)
◎[大和国十市郡] 兜塚古墳(5世紀第4四半期)

◎[大和国城上郡] (ミロク谷石棺)(5世紀第4四半期)…詳細不明
◎[大和国城上郡] (慶雲寺石棺)…詳細不明
◎[備前国巴久郡] 築山古墳(5世紀第4四半期)
◎[大和国添上郡] 野神古墳(5世紀第4四半期)
◎[大和国山邊郡] 東乗鞍古墳(6世紀第1四半期)

◎[近江国野州郡] 円山古墳(6世紀第2四半期)
◎[近江国野州郡] 甲山古墳(6世紀第2四半期)
◎[摂津国島上郡] 今城塚古墳(6世紀前半)
◎[大和国高市郡] 植山古墳(6世紀第3四半期)

◎[摂津国東成郡] 四天王寺礼拝石…石棺の流用、時期不明


訂正箇所は4箇所。

以下を「削除」しました。
◎[備中国津高郡] 造山古墳(5世紀第4四半期)

以下を「追加」しました。
◎[山城国綴喜郡] 八幡茶臼山古墳(4世紀後半)…消失
◎[河内国志紀郡] 唐櫃山古墳(5世紀中頃)
◎[摂津国東成郡] 四天王寺礼拝石…石棺の流用、時期不明


造山古墳は「阿蘇ピンク石」ではなく、「阿蘇溶結凝灰岩」でした。そして現在15例が判明しているようです。

光本順氏(岡山大学 社会文化科学研究科 准教授)著の「造山古墳前方部所在石棺研究の現状と課題」において、

━━1990年に発表された高木恭二・渡辺一徳「石棺研究への一提言」は間壁忠彦・間壁葭子論文(1974)が「二上山ピンク石」と認定していた石材を「阿蘇ピンク石」(阿蘇溶結凝灰岩の中でピンク色のもの)とすべきであることを自然科学的分析および肉眼観察から実証した点でも著名である。その中で、「阿蘇ピンク石製石棺」10例と「関連石棺(阿蘇溶結凝灰岩)」3例が提示され、本石棺は後者の関連石棺に位置づけられた━━

と記しています。当ブログではこちらを採択し、「阿蘇ピンク石」製の石棺一覧から外した次第。

Wikiでは板橋旺爾氏の「大王家の柩-継体と推古をつなぐ謎」(2007年)を引用元としています。

板橋旺爾氏は、
━━福岡市教育委員会文化課埋蔵文化財調査員などを経て現在、読売新聞西部本社編集委員、熊本大学大学院社会文化研究科非常勤講師━━
(発刊当時のデータ)

「阿蘇ピンク石」研究を始めとした考古学の第一人者のお一人。発刊後に訂正箇所の事実が判明したのでしょうか。

Wikiをすべて鵜呑みにしてはいけないと、従前より承知していたつもりではいたのですが。深くお詫び申し上げます。


なお「阿蘇ピンク石」が石棺に使用されたのは以上の一覧ですが、宇土市のヤンボシ塚古墳など、玄室には使用されています。



今回はここまで。

次回は2004年に行われた
「大王のひつぎ実験航海」について。


(大和国添上郡 野神古墳)




*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。