☆ ミロク谷石棺 (阿蘇ピンク石、金屋の石仏)
大和国城上郡
奈良県桜井市金屋
(「山の辺の道」沿い)
(P無し、近くの志貴御縣坐神社の参拝と兼ねました)
「金屋の石仏」として知られる仏教施設。
日本最古であり現存する道と言われる「山の辺の道」沿い、起点である「海石榴市(つばいち)」からは、300~400mほど。
その石仏本体も石棺の板石を転用したものとして貴重な史跡ですが、出色は床下に収蔵される
「阿蘇ピンク石」製の家型石棺の蓋石。
「阿蘇ピンク石」とは、「阿蘇山」の噴火により8~9万年前に生成されたもの。5世紀頃より吉備や大和の首長級のものが好んで使用したもの。
継体天皇の御陵と想定される今城塚古墳でも使用されていたことが判明、俄に注目を浴びました。
肥前国で石棺が作製され遙々と畿内まで。
瀬戸内海を通過し「淀川」を遡上したと考えられています。
大和国内で現在までに発見されている7箇所(全国で13箇所)のうちの1つ。
この石棺の出所は不明。5世紀末頃のものとみられています。
床下にはもう一体の石棺蓋が安置。こちらも出所不明。石仏が彫られてしまった板石は覆屋の中に安置。こちらは当地より東部の「三輪山」麓の「ミロク谷」という谷間に置かれていたものを、錠前付きの覆屋に収蔵したとのこと。二体あります。