☆ 兜塚古墳 (桜井市浅古)



大和国十市郡
奈良県桜井市浅古
(「浅古1110-2」の民家の西隣)
(アクセス道は民有地と思われるため配慮が必要)(周辺に停め置きできそうですがこちらも配慮が必要、角にローソンのある「浅古」交差点より徒歩5分足らず)


■形状
前方後円墳
■全長
約50m
■築造時期
5世紀末
■埋葬施設
竪穴式石室(竪穴系横口式石室の可能性あり)
刳抜式家形石棺(*阿蘇ピンク石を使用)
■出土品
円筒埴輪片、鉄鏃、馬具
碧玉製管玉・琥珀製棗玉(なつめだま)・銀製空玉・玻璃(=水晶)製小玉
■周辺の状況
大和盆地の南東端、「浅古(あさご)」集落より北西方向に延びる丘陵先端部
■被葬者
(不明)



神武天皇が天神地祇に大孝を述べた有力な伝承地、等彌神社が鎮座し「鳥見霊畤」のある「鳥見山」より南西の丘陵地に築かれた古墳。

注目されるのは「阿蘇ピンク石」で作られた石棺。


「阿蘇ピンク石」とは、「阿蘇山」の噴火により8~9万年前に生成されたもの。5世紀頃より吉備や大和の首長級のものが好んで使用したもの。

継体天皇の御陵と想定される今城塚古墳でも使用されていたことが判明、俄に注目を浴びました。


肥前国で石棺が作製され遙々と畿内まで。
瀬戸内海を通過し「淀川」を遡上したと考えられています。

大和国では現在7箇所で発見されています。
*添上郡 … 野神古墳
*城上郡 … 慶雲寺裏古墳(石仏に利用)・みろく谷古墳(石仏の台座に利用)
*十市郡 … 兜塚古墳
*山邊郡 … 東乗鞍古墳・別所鑵子塚古墳

*高市郡 … 植山古墳

これまでの発掘・研究成果から、葛城氏の没落した代わりに台頭してきた、大伴氏や物部氏などが大いに関わったものとみられています。またその契機の一つとして「磐井の乱」が考えられること、石棺の運搬には紀氏、額田部氏が関わったであろうことも。

桜井市では計3ヶ所(慶雲寺裏古墳・みろく谷古墳・兜塚古墳)。大伴氏や物部氏とは関係の薄い地。おそらくは他の豪族のものであろうと。

「阿蘇ピンク石」を巡り、氏族の動向が手に取るように明かされているようです。知見を深めていずれ記事を起こしたいと思います。


石段のアプローチが設けられています。

どうやらアプローチは私有地のようです。


墳丘はアプローチしやすいように階段状に削られていますが、かなり角が取れて滑りやすくなっています。

ピンク色に発色しています。





*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。