等彌神社
(とみじんじゃ)


大和国城上郡
奈良県桜井市桜井1109
(P有)

■延喜式神名帳
等彌神社の比定社

■旧社格
県社

■祭神
[上津尾社] 大日霊貴命
[下津尾社] 春日大神 八幡大神
※当社公式見解
[上津尾社] 天照皇大神
[下津尾社] (右殿 八幡社)磐余明神 品陀和気命 (左殿 春日社) 高皇産霊神 天児屋根命


「等彌(とみ)」は「鳥見(とみ)」であるとも言われ、饒速日神を祀る社であったとされる神社。
◎考えられる説としては饒速日神の六世孫である伊香色乎命(イカガシコオノミコト)の後裔である登美連(トミノムラジ)が祖神を祀ったものとするもの。また神倭磐余彦命(カムヤマトイワレヒコノミコト、神武天皇)が「鳥見山」山頂に霊畤(まつりのにわ)を設けたとする当社公式創祀に関連するものも考えられます。長髄彦神との軍に勝利を納めたため(当地での激しい攻防があったとも言われています)、長髄彦神の叔父にあたる饒速日神の神霊を当地に鎮めたというもの。
確証できる資料は無いものの、概ね上記のいずれかであろうと思われます。
◎往古は「鳥見山」にあったとされます。頂上近くの「霊畤」には紀に「多くの敵は平らげて天下は何事も無い。そこで天神を祀って大孝を申し上げたい」と皇祖天神(高皇産霊神)を祀ったとあります。
◎霊畤に関しては候補地がいくつかあり、宇陀市にも「鳥見山」があります。そこにも多くの神社や痕跡があり、意見が別れるところ。
◎下津尾社に関しては中世から近世に勧請してきたものでしょうか。また江戸時代には「能登宮」と称されていたようです。
◎なお「鳥見山」の山中から謎の神像が出土しています。八咫烏像とされてはいるものの、まったくそうは見えない代物。宇宙人などの愚説も一部に流布するほどの奇妙な姿をしたものです。縄文時代の出土品もあり、上古からの聖地であったといえます。
◎一の鳥居をくぐり、社務所を過ぎた辺りから神氣が籠る空間へと大きく変わります。特に上津尾社から「鳥見山霊畤」はいわゆる神が宿る聖地。もっと見直されてもいい社であると思います。

◎*神の庭*(境内写真集)
◎鳥見山霊畤の詳細記事
◎鳥見山霊畤の登拝記事
平成三十一年2/18(その1その2)・令和三年 9/21

◎献灯祭ライトアップ
◎春期大祭

◎神の森アート







下津尾社(トップの写真は上津尾社)

猿田彦大神を祀る石座。

上津尾社をアップで。

「鳥見山霊畤」への登拝口。

こちらが「鳥見山霊畤」

境内から発見された謎の偶神像(レプリカ)。