今回京都で訪問先に選んだ修学旅行コースのうち、

最後の最後に訪れた三十三間堂のみが大混雑でした。

到着したら9台のバスが並んでいて、帰りも入れ替わるように違うバスが9台。

いちどきには入れず、少しずつ間隔をあけて、分刻みで修学旅行をスケジュールしている印象です。

 

ただ、とにかく三十三間堂は長~い。

修学旅行生がバス1台分入ってきても、それで占拠されるわけではなし。

 

 

 

一時的に混雑が集中すると、その場所を避けてあちこちパネルを見たりしていました。

おかげで、運慶作の仏様がこの中に混じっていることなど、発見も多々あり。

 

入り口のパネルには、

三十三間堂は1164年に平清盛が寄進、しかし85年後に消失。。。といった歴史が記されています。

その際、1001体の観音像中124体のみは救出に成功したとのこと。

 

なるほど、仏様の脇に、創建時仏といった札がついているものがあり、

それが救出された平安時代のオリジナル仏なのか、と納得。

札はごく一部にしかついていないので、124体分を同定することは不可能ですが、

10体程度は、創建時のものとわかりました。

 

1266年には後嵯峨上皇の尽力で本堂が再建され、

失われた877体は、残された平安期の仏に似せて

人海戦術で制作されたそう。

 

とはいえ面白いことに、似せて作ったとはいえ、

時代の癖が出るのか、平安期の仏さまは顔が大きめでずんぐりしたものが多いのに対し、

鎌倉期の作は(一部の仏さまにつちえは、制作者名が書かれた札が脇に置かれているので)

やや細身のものが多い気がしました。

 

さらに、千手観音の持ち物も、例えば鉾の先端の形が横長のものやそうでないものなど

形も微妙にそれぞれ違っていました。

 

 

パネルによると877体のうち、運慶の子、湛慶の仏が9体混じっているとのこと。

一生懸命探してみたところ、9体のうち6-7体は見つけることができました。

すべて最前列で、左端に3体ぐらい、あとは中央部分に。

 

さらにびっくりしたことに、父・運慶作の仏も見つけました。

とはいえ「伝・運慶」になっていて、制作者については推定の域は出ないようですが。

 

こちらの伝・運慶作の仏様、密度の濃いお顔というか、筋肉質といおうか

ほかの仏さまとはお顔が全然違うのです。

ニュートラルというより、複雑な表情。

ほかの仏さまがチマブーエ的表情だとすると、これだけはどこかジョット的。

つまり血肉が通っているように感じます。

 

 

全1001体は、近年すべて国宝指定を受けることができたそうですが、

記述によると、うち5体が以前は東京国立博物館、奈良博、京都博に置かれていて、

そこで修復を受け、おかげで国宝指定が叶った(と書かれているように読めました。)

そこまではっきりとは書かれていないのですが、ニュアンスとしてそのように受け取りました。

 

そして今、すべて博物館からは返却され、1001体すべての国宝の観音像が一堂に会したと。

そんな栄えある機会に行くことができてよかった。

 

 

 

 

目下堂内には1か月の期間限定で、数メートル程度の見物台が設置。

階段を上がって高い目線から千手観音を見ることができます。

目線が変わると、存在感の薄かった後方の仏様もぐぐっとせり出してくるようで、

景色が変わります。

 

 

そのほか堂内だけではなく、庭にも見所がいくつか。

 

こちらは南大門。

ざっと立て札の内容をかいつまんで書くと:

 

”豊臣秀吉が1595年建立した大仏殿方広寺(現・国立博物館一帯)の南門として築いたものと伝わる。それに続く築地塀は高さ5.3m長さ92mの堂々たる建造物。瓦に太閤桐の文様を用い、太閤塀と通称される。桃山気運に溢れた遺構。”
 

 

 

太閤桐が見えます。

 


後白河上皇院政庁「法住寺殿」址碑もありました。

こちらも立て札の内容をざっくり書くと:


”二条天皇に譲位して上皇となった後白河院が約30年院政を行った政庁。
上皇になると御所とは別に専用の院御所を造営するのが通例で、後白河院の場合東山の麓から西は鴨川河岸まで、南北は八条坊門小路・六条大路に及ぶ広大な地域に及んだ。
構内は政治的施設の北殿と、住居及び三十三間堂をはじめとする宗教的堂塔が集中した南殿に別れる。しかし1183年11月、院の御所は対立するようになった木曽義仲の夜襲に遭い消失。そんななか、三十三間堂だけは800年の昔と変わらぬ姿でこの場所に伝承され、時代を偲ぶ稀有な物証といえる。”

 


 

 

堂内には通し矢の説明も多々あり(矢により激しくささくれだった木材の展示なども)、庭にもこんな立て札が。

 

 

 

ここで通し矢。これは壮観だろうなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

三十三間堂、修学旅行の時に見た気になっていたけれど、

実は全然見てはいなかった。

勧めてくれた友人に感謝。

 

 

 

 

 

京都'22/秋⓪ 行くなら今のうちと言われ、京都に来ました

京都'22/秋① 比叡山中腹エリア
京都'22/秋② 三十三間堂で伝・運慶作の観音像を探せ!
京都'22/秋③ ドラマロケ地水路閣と龍馬の結婚式場跡
京都'22/秋④ 京都画壇・竹内栖鳳旧宅でランチ
京都'22/秋⑤ 高台寺 夜間特別拝観のイルミネーション
京都'22/秋⑥ 秀吉妻が眠る霊屋と光悦の又甥が建てた茶室 高台寺
京都'22/秋⑦ 銀行の旧・金庫室でランチ(前田珈琲 文博店)
京都'22/秋⑧ 大改修終了 清水寺
京都'22/秋⑨ 住友のロゴを使った作庭 京都泉屋博古館
京都'22/秋⑩ 建築拝見 前川國男/槇文彦/武田五一
京都'22/秋⑪ 建築家片山東熊の京博/表慶館/新宿御苑御休所/迎賓館赤坂離宮
京都'22/秋⑫ 昼過ぎの伏見稲荷大社・千本鳥居はガラガラで
京都'22/秋⑬ 旅行手配後の全国旅行支援適用と今回の宿
京都'22/秋⑭ ランチは六盛の手おけ弁当にまっしぐら
京都'22/秋⑮ 哲学の道 谷崎潤一郎の義理娘のカフェを引き継ぐ店など
京都'22/秋⑯ 瑠璃光院 序章
京都'22/秋⑰ 瑠璃光院の蒸し風呂
京都'22/秋⑱ 南禅寺/小川治兵衛作庭の店で夕食/石碑の謎
京都'22/秋⑲ 風神雷神図所蔵者・建仁寺と日本家屋のスタバ
京都'22/秋⑳ 鉄っちゃんのようにトロッコ列車待ち!
京都'22/秋㉑ ウォーホールがスケッチを描いた場所
京都'22/秋㉒ 大階段グラフィカルイルミネーション
京都'22/秋㉓ 三条通り歴史的建造物美観地区

京都'22/秋㉔ 辰野金吾設計 旧日本銀行京都支店見物
京都'22/秋㉕ 日本最古の現役エレベーター
京都'22/秋㉖ 銀閣寺の銀沙灘、そして湧き立つ疑問は未解決