普照山正定寺 (幕末明治期ゆかりの仏閣巡り [番外] ) | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

 「汝が主謀と見ゆる。心なくもこの島田に無益な殺生をさせた。
 貴様も部下をむざむざ犬死させてなんと言い訳するつもりか!
 この愚か者!!」



その日は、勝海舟翁の剣術の師、幕末の剣豪 島田虎之助 (直心影流島田派) の墓前へ

墓石側面に刻まれる撰文は (「余、哀歎ほとんど一臂を失うごとし」) 、島田虎之助 の剣術の師であるこちらも剣豪 男谷信友 (勝海舟の又?従兄弟、通称精一郎) によるものらしい




天保九年 (1838年) 島田虎之助 は江戸へ出て 男谷精一郎 の内弟子となり、わずか一年余りで師範代に
後に浅草新堀で道場を開いた時、その道場に通っていたひとりが 勝麟太郎 だ

一方、島田虎之助 の参禅の師になるのが高層として知られる 仙厓義梵 和尚で、こちらはいつか出光美術館に行ってみなければ、、、と、思いつつ、いまだ果たせず


御朱印
されてないとのこと


普照山正定寺
浄土宗
浅草東本願寺 (彰義隊結成の地) 近く
東京都台東区松が谷


冒頭より


 「其れ剣は心なり。心正しからざれば、剣又正しからず。
 すべからく剣を学ばんと欲する者は、まず心より学べ」


 いわゆる 剣禅一如 というところか、「剣心」 の名前の元ネタはここらあたり (・ω・)?


島田虎之助 を乗せた籠を 清河八郎 と間違えて 新撰組 が強襲、先に襲いかかった隊の二名を 島田 は アッ という間に斬り倒した、、
この隊を率いていたのが 土方歳三 で、その時、島田土方 に、 「其れ剣は心なり。・・・」 と一喝したというのは 「大菩薩峠」 (*1) でのワンシーンのよう、いつか読んでみたいなぁ、、
 *1:30年にわたり書き続けられた中里介山による未完の大書 (〜41巻)


■人物相関■
塙保己一(1746-1821)
仙厓義梵(1750-1837)✨
松平不昧(1751-1818)

M.彼理(1794-1858)
男谷信友(精一郎)(1798-1864)✨
松平義建(1800-1862)
玉木文之進(1810-1876)
佐久間象山(1811-1864)

島田虎之助(1814-1852)✨
井伊直弼(1815-1860)
今北洪川(1816-1892)
勝海舟(1823-1899)✨
大村益次郎(1824-1869)
岩倉具視(1825-1883)
レット・バトラー(1825?-????)
森陳明(1826-1869)
佐藤彦五郎(俊正)(1827-1902)
山内容堂(1827-1872)
西郷隆盛(1828-1877)
松平春嶽(1828-1890)
井上源三郎(1829-1868)
武市瑞山(1829-1865)
西郷頼母(保科近悳)(1830-1903)
吉田松陰(1830-1859)
大久保利通(1830-1878)
清河八郎(1830-1863)✨
松本良順(1832-1907)
山南敬助(1833-1865)
渡辺南隠(1834-1904)
近藤勇(1834-1868)
河上彦斎(1834-1872)
高橋泥舟(1835-1903)
有栖川宮熾仁親王(1835-1895)
土方歳三(1835-1869)✨
坂本龍馬(1836-1867)
井上馨(1836-1915)
五代友厚(1836-1885)
松平容保(1836-1893)
山岡鉄舟(1836-1888)
本武揚(1836-1908)
三条実美(1837-1891)
徳川慶喜(1837-1913)
山縣有朋(1838-1922)
日下部鳴鶴(1838-1922)
永倉新八(1839-1915)
高杉晋作(1839-1867)
澁澤栄一(1840-1931)
久坂玄瑞(1840-1864)
伊藤博文(1841-1909)
杉文/楫取美和子(1843-1921)
斎藤一(1844-1915)
陸奥宗光(1844-1897)
沖田総司(1844?-1868)
スカーレット・オハラ(1845-????)
新島八重(1845-1932)
山川浩(1845-1898)
和宮親子内親王(1846-1877)
松平定敬(1847-1908)
北白川宮能久(公現)親王(1847-1895)
明治天皇(1852.11.3/嘉永5年9月22日-1912.7.30/明治45年)


神社編は小休止、また、仏閣編の再開はそのうちに、、
会津編もいろいろ元ネタはあるのだけれど、いまだ手つかず、、、まぁ ユックリとジョジョニ

 

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※2019.6.10現在で、神社編、仏閣編ともに二冊目ヘ、、

 

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