無量山傳通院1 (幕末明治期ゆかりの仏閣巡り③) [東京都] | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

幕末の治安維持を目的に組織された 「浪士隊」 は、

傳通院内の 処静院 (今は廃寺) で結成されたとある

文久三年 (1863年) 二月四日のことだ

山岡鉄舟居士らを中心に総勢約二百五十人、

その中には、芹沢鴨、近藤勇、土方歳三、沖田総司らの姿も

一行は文久三年二月八日、京都へ発った

年号が明治と改まる五年前のことであった

そういう歴史も見てきたお寺なんだなぁ.. 


( ̄人 ̄)


幕末明治期ゆかりの仏閣巡り③
幕府篇その参


”関東編”と銘打ってゆかりの地巡りを始めてはみたものの、、

 

 最後の見開きだけは番外で京都にしようかなぁ (°_°)?

 

とか

 

 うーん、そうすると増上寺さんは最後から二番目にする (°_°)??

 

とか


色々考えるのもいとおかし


でも、


そうこうしてる間に、、


拠点が東海地方に移ってしまった、、、


無量山傳通院

この日はまず、

 

傳通院さんに眠っておられる柴田錬三郎さんのお墓参りをさせていただいた

 

理由はのちほど

 

(・人・)

 


柴田錬三郎さんは今年で生誕百年になるんだねぇ




中興開山の廓山上人は、

家康公が帰依した増上寺中興開山の第十二世存応上人 (観智国師) のお弟子さんになるようだ

ここ傳通院さんには、何度もお参りさせていただいた、写経会に参加したこともある
そんなよく知る傳通院さんだけど、関東出たての頃はまったく知らなくて、、

初めて訪れたのは鈴木ヒロミツさん (モップス) のお通夜だった...

札所巡りで訪れた折に、アレッ?なんか見覚えあるかも (°_°)?と思ったら、、

それが傳通院さんで


はたまた、
我が桑名藩ともご縁が深い  ってことも、さらに後になりわかった次第、、

 

桑名松平家初代松平定勝公は家康公の異父弟、つまり、於大の方の子になるからねぇ

定勝公の位牌はここ傳通院さんの本堂内にも

 


ふ~


そしてこの日は、

ある幕末の志士の月の御命日ということで


本尊阿弥陀如来





清河八郎

山岡鉄舟居士らと共に文久三年 (1863年) 浪士組を結成

 

鉄舟居士と親しかった傳通院山内の処静院住職琳瑞和尚は隊結成のために場所

(=処静院大信寮は今は幼稚園になっているあたりだったと教えていただいた) を提供


二月八日、

結成したての隊とともに京に向かった清河だったが主張の違いから早くも隊は分裂

 

江戸に戻った直後の四月十三日 (1863.5.30) 、

京都見廻組隊長佐々木只三郎によって、、麻布一ノ橋で暗殺される、、、
 

 

しかしてその首は、

琳瑞和尚の機転により傳通院山内に秘密裏に葬られることとなり、、、


今でも傳通院境内の墓石に 「 清河正明之墓 」 「 貞女阿蓮之墓 」 の文字を読むことが出来るが、

その墓所は鉄舟居士が私費で建てたものらしい

 

ほ~ ✨
 

そしてその墓石に刻まれている文字も、

 

鉄舟居士によるものだとか... 





つわものどもが夢の跡...


北辰一刀流免許皆伝を受ける前年の安政四年 (1857年)、

 

清河八郎は千葉道場で山岡鉄太郎 (鉄舟) と出会っている、

 

時まさに風雲急を告げる 「安政の大獄」 前年にあたる


尊皇派の清河八郎に対し鉄舟居士がどのような思いで接していたのか (°_°)?

 

とても興味深いところではあるが、、今には伝わっていないようだ


清河八郎

(1830.11.24/天保元年10月10日-1863.5.30/文久3年4月13日)
 

佐々木只三郎

(1833/天保4年-1868.2.5/慶応4年1月12日)

 

山岡鉄舟

(1836.7.23/天保7年6月10-1888.7.19/明治21年)


柴田錬三郎

(1917.3.26/大正6年-1978.6.30/昭和53年)


柴田錬三郎さんの妻の大伯父に幕末の志士がいる

 

だからかな (°_°)?

 

ここ傳通院にお墓があるのは??


その志士の名を 清河八郎 と云った


新しくなった山門のそのすぐ横に立つ、かつては 処静院 にあったという石柱は、

 

幕末を感じさせてくれますね





無量山伝通院
浄土宗
関東十八檀林
昭和新撰江戸三十三観音霊場第十二番札所

幕末明治期ゆかりの仏閣巡り③
東京都文京区小石川


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そしてそしてこの幕末明治期ゆかりのお寺を巡るシリーズは、、

今一度時をさかのぼり、「安政の大獄編」 へと、、

続くのであった、、、◎

 

 

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