靖國神社1 (幕末明治期ゆかりの神社巡り②) [東京都] | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

 Let's swim to the moon, uh huh.
 Let's climb through the tide.
 Penetrate the evening that the city sleeps to hide.


 掬水月在手

 


そもそもが、

 

 

戊辰戦争での新政府軍側戦没者慰霊のために

 

長州藩大村益次郎が東京に慰霊の社 「招魂社」 の創建をと奔走し、

 

明治天皇の勅許を受けて建てられたのが 「東京招魂社」 で、

 

この社が 「靖國神社」 の起源となるらしい、

 

時に、明治二年(1869年)六月廿九日(新暦八月六日)のことだ

 

 

幕末明治期ゆかりの神社巡り②​

新政府篇その弐

 


靖國神社


遠景





近景





 Let's swim out tonight,
 Love, it's our turn to try.
 Parked beside the ocean on our moonlight drive.


 弄花香満衣


大鳥居前の 「靖國神社」 の石標も長州方の書家 (山縣有朋の元秘書) によるものだし、

 

長州を中心とした新政府軍側の色がよく出ているなぁと


 ってか、百五十年経った今もさして変わってはないようなんだけど、、(・ω・)?


なので、、

新政府軍に関係する、吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作らも合祀されているのだとか


吉田晩稼書になる社標

山県有朋の秘書を経て書家に





でも、そうかぁ...


反新政府軍側 (幕府軍側の新撰組や彰義隊など) は祀られてないんだねぇ、、

 

なるほど、なるほど、、
 

だから維新一の立役者といってもいい西郷南洲翁は合祀されなかったんだ... 


だからこそ、


谷中全生庵創建の意味はここらあたりにもあるんだね、きっと (°_°)?


またそう思うと、、

 

 

徳川慶喜公の曾孫にあたる方が宮司をされているということは

 

 神道のお家柄ということもあるのだろうけど

 

とても意義深いことだな、と


この年は、

松陰先生の月の御命日と 「みらいとてらす」 のイヴェントが重なりました



 

吉田松陰(1830.9.20/文政13年8月4日-1859.11.21/安政6年10月27日)

 

 




 Moonlight Drive / The Doors



 水を掬すれば月手に在り、花を弄すれば香衣に満つ



 

靖國神社
幕末明治期ゆかりの神社巡り②
東京都千代田区

 

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