東京十社を日にこだわって巡って以来(?)、
散策のテーマ毎にいつお参りするかを決めてから行動することが多くなり
この日も
青山霊園内にある墓所でお線香をあげさせていただいてから乃木神社へ、
「幕末明治期ゆかりの神社巡り」 は御命日から始めようと決めていた
カレンダーを見るとちょうど週末だった
少し前だけど、歴史ヒストリア 「”天皇のそばにいた男”鈴木貫太郎」 の回で
初めて知った終戦時の陸軍大臣阿南惟幾、尊敬されてたんだなぁ乃木大将を
近年の映画 「日本のいちばん長い日」 では、役所広司さんが演じておられた
また、亡くなる前に、
山本玄峰老師にお世話になったことのお礼の言葉を残されていたという話も最近になり、、
幕末明治期ゆかりの神社巡り①
新政府篇その壱
乃木神社
乃木希典(1849.12.25/嘉永2年11月11日-1912.9.13)、長州藩士
自刃の刀に血染めのシャツ、、、
ご命日のこの日、乃木神社にはその日の衣服が展示されていた、
まさかその実物をこの目で見ることが出来るとは、、
辞世
うつし世を 神さりましし 大君の みあとしたひて 我はゆくなり
境内社である正松神社では、御祭神として、お二方がお祀りされていて、
玉木文之進(玉木文之進正韞命)
吉田松陰(吉田松陰矩方命)
そのお二方から、一字づつをいただいているんだねぇ
乃木大将は吉田松陰の弟弟子にあたるようだ
また、
宝物館では師であったその玉木文之進 (乃木家とは親戚筋) と、
吉田松陰 (文之進の甥) の真筆になる漢詩の掛け軸を鑑賞
松蔭の書には確かに、「二十一回猛士」 とある
うーん、これには感激で ガン見、東京でその真筆を拝見出来るんだぁと、、、 (=゚ω゚)ノ✨
一方、、
少し不思議に思ったのは、殉死の朝に撮られたという写真、その額には、
「純誠剛毅」 澁澤栄一敬書
「忠勇義烈」 東郷平八郎
とあった、東郷平八郎元帥はわかるけど、、何故澁澤栄一(*1)氏なのか?
澁澤栄一氏は一橋家 (旧幕府) 筋の方だし、長州藩士の乃木大将とはイメージが、、
まったく合わない ???
どういうことかと、うかがってみたところ、、
澁澤氏は、乃木大将をとても尊敬されていたそうで
ほ~ そうだったのか、、確かに、
「敬書」
とある、なるほどなるほどなぁ、、こういうところは 散策冥利 につきる ✨
*1:谷中霊園内にある徳川慶喜公墓所の近くに、澁澤榮一氏の墓所もあり、
長らく非公開となっていたが、近年になり整備されたようで、
今では自由にお参りが出来る
澁澤榮一氏の墓所
今の知識で夏目漱石の 「こころ」 を読み返すと、
また違った感慨を持つんだろうなぁ、、
乃木大将の殉死がある種の象徴として描かれているけれど、
こころ / 夏目漱石
「先生」 の妻の名前を静といい、乃木大将のご夫人を静子という
当時は、そんなことも気付かずに読んでたね、、、
表書き
乃木大将の辞世を選ぶことにした、
幕末明治期ゆかりの神社巡りにはふさわしいかなと
ちなみに、
*エピローグ*
この日、境内には多くの絵燈籠が奉納されていた
献燈者の中には蛭子能収さんのお名前も (おー?)
阿部龍太郎、伊東四朗、井上順、榎木孝明、蛭子能収、北大路欣也、黒沢年雄、
斉藤由貴、竹下景子、毒蝮三太夫、長嶋一茂、西村雅彦、林家三平、由紀さおり、
渡辺裕之、、、 五十音順、敬称略
日本相撲協会
白鵬、日馬富士、鶴竜、稀勢の里、琴奨菊、第27,29,30,35,36代木村庄之助
相撲協会ともご縁が深いようで、
授与所前の鳥居はその相撲協会が昭和三十五年に奉献されたもののよう
乃木神社
幕末明治期ゆかりの神社巡り①
東京都港区
*幕末明治期人物相関*
永倉新八(1839-1915)
高杉晋作(1839-1867)
澁澤栄一(1840-1931)✨
久坂玄瑞(1840-1864)
伊藤博文(1841-1909)
大山巌(1842-1916)
杉文/楫取美和子(1843-1921)
斎藤一(1844-1915)
陸奥宗光(1844-1897)
沖田総司(1844?-1868)
S.オハラ(1845-????)
新島八重(1845-1932)
山川浩(1845-1898)
和宮親子内親王(1846-1877)
松平定敬(1847-1908)
森有礼(1847-1889)
東郷平八郎(1848-1934)✨
西園寺公望(1849-1940)
乃木希典(1849-1912)✨
小泉八雲(1850-1904)
橋本峩山(1853-1900)
S.ホームズ(1854-????)
高橋是清(1854-1936)
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