東叡山寛永寺1 (幕末明治期ゆかりの神社巡り①) [東京都] | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

 道心ある人を名づけて国宝となす

 山家学生式 (さんげがくしょうしき) より


このあとに、

 故に古人言く
 径寸十枚これ国宝に非ず
 照千一隅これ則ち国宝なり


とつづく


山田恵諦大僧正の「一遇を照らす」は最澄のこの言葉からだねぇ


さてさて


いわゆる”幕末”は嘉永六年(1853年)にはじまるようだ、

M.彼理率いる黒船来航による

以後明治維新に向け大きく歴史は動くのだけど、

何故か教科書ではサラ〜リ(?)と流されてしまっているような、、

 

(・ω・)?ワイ??


表には出てこない歴史、あるいは、気付いていないだけの歴史、、

幕末明治期に活躍されたそんな歴史上の人物ゆかりの神社仏閣や、

墓所、菩提寺、または、終焉の地に石碑等々、、に思いを馳せ、


その埋もれた歴史を神職さんや和尚さんにうかがうのもまた、

 

 

散策の醍醐味 ✨


だから、、

そんなことから思い立った幕末明治期ゆかりの地を巡るシリーズは、

その仏閣編は、、ここから、、、

 


幕末明治期ゆかりの仏閣巡り①​
幕府篇その壱



東叡山寛永寺

 

門標

豊道春海先生の書





御本尊の御縁日になる八日に始めようと思っていた

 



御本尊は家康公の生まれとも縁の深い薬師瑠璃光如来 (秘仏)
江戸城の鬼門(東北)に天海大僧正により建立


葵の間

慶応四年(明治元年/1868年)二月、

徳川十五代将軍慶喜公は大慈院(元綱吉公別邸)内の四畳半の一室にて

恭順謹慎の意を表していた、、、

将軍慇懃仰せて曰く 「吾れ今汝を引く、他あるにあらず、

汝をして駿府なる官軍の総督府に遣し、慶喜の恭順謹慎の実を貫徹せしめ、

天下の大平を祈るにあり、汝克く吾意を達せしめよ」

誰かいないかと慶喜公に問われた泥舟は義弟鉄舟を推挙、

鉄舟居士は慶喜公のこの言葉を聞き 「余の責任は死よりも重し」 と感じたという


歴史を振り返れば、


江戸城無血開城の流れはこの時を起点に形になっていったのかもしれないんだよねぇ、、
この後、鉄舟居士は西郷南洲翁率いる新政府軍の中に敢然とのり込むこととなる、、、


根本中堂、今昔

 

根本中堂裏手に今に再建されている恭順の間隣接の厨子には、

徳川家の御位牌があるとうかがった (非公開)

 

根本中堂手前では元禄十一年戊寅(1698年)と刻まれているから、

建立時の手水舎 (°_°)?かな




元禄十一年の八月、寛永寺の根本中堂、文殊楼、仁王門が落成し、

九月三日(10月6日)には落慶法要が執り行われたとある
九月六日(10月9日)には、東山天皇御宸筆の勅額「瑠璃殿」が京都より到着、

それが今ある根本中堂に掲げられている額になるようだ


「瑠璃殿」





時の寛永寺六世(輪王寺宮御門跡第四世/天台座主第196世(同199世))は、

東山天皇の第三皇子、公寛法親王

五代徳川綱吉公の治世、

芭蕉が没して四年、

吉良邸浪士討ち入りには四年早い、

 

そんな時代


手水舎も勅額も、共に三百年以上も前のものなんだねぇ、、

 

何を見、何を聞いてきたのか、、、

 


当時の根本中堂は今は噴水のあたりであったらしい



が、慶応四年(1868年)の上野戦争の際に焼失、、


静岳徳川公

根本中堂に向かって右手にその碑、 「戊辰東軍受難者の碑」 がある、

以前より誰が書かれたのか気になっていて、、

 

この日裏面にまわって気が付いた、そこには 「静岳徳川公」 と記されていた

 


「戊辰東軍受難者の碑」



徳川宗家十六代当主家達公の書になる碑文だ、、やはりそうだったんだなぁ、、

この碑が寛永寺にある、しかも、十六代当主家達公の書で、、

(・人・)


有道心人名為國寳

幕末明治期ゆかりの仏閣巡りの御朱印帳は寛永寺さんで決まりなのだが、、

さて、表書きはどうしようか? と、、考えていて、、



このあとに、

 故古人言
 径寸十枚非是國寳
 照千一隅此則國寳


とつづく


東叡山寛永寺
幕末明治期ゆかりの仏閣巡り①
東京都台東区


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*幕末明治期人物相関*

大村益次郎(1824-1869)
岩倉具視(1825-1883)
レット・バトラー(1825?-????)
森陳明(1826-1869)
佐藤彦五郎(俊正)(1827-1902)
山内容堂(1827-1872)
西郷隆盛(1828-1877) ✨
松平春嶽(1828-1890)
井上源三郎(1829-1868)
武市瑞山(1829-1865)
西郷頼母(保科近悳)(1830-1903)
吉田松陰(1830-1859)
大久保利通(1830-1878)
清河八郎(1830-1863)
孝明天皇(1831-1867)
山南敬助(1833-1865)
渡辺南隠(1834-1904)、全生庵二世住職
近藤勇(1834-1868)
河上彦斎(1834-1872)
伊東甲子太郎(1835-1867)
福澤諭吉(1835-1901)
高橋泥舟(1835-1903) ✨
有栖川宮熾仁親王(1835-1895)
土方歳三(1835-1869)
坂本龍馬(1836-1867)
井上馨(1836-1915)
天璋院/篤姫(1836-1883)
五代友厚(1836-1885)
松平容保(1836-1893)
山岡鉄舟(1836-1888) ✨
榎本武揚(1836-1908)
三條実美(1837-1891)
板垣退助(1837-1919)
池田慶徳(1837-1877)
徳川慶喜(1837-1913) ✨
岡田以蔵(1838-1865)
初代三遊亭圓朝(1838-1900)
山縣有朋(1838-1922)
日下部鳴鶴(1838-1922)
永倉新八(1839-1915)
高杉晋作(1839-1867)
澁澤栄一(1840-1931)
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