*エピローグ*
日光市街
日光の鬼門 (北東=丑寅の方向) 、外山毘沙門堂標高 880.2m
登ってみたかったんだよなぁ~
幕末明治期ゆかりの神社巡り③
幕府篇その壱
(日光)東照宮
あらたふと 青葉若葉の 日の光
おくのほそ道 / 芭蕉
そう詠んだ芭蕉は、この紅葉は目にしなかったんだね
紅葉の日光

二荒 (ふたら) の由来は、補陀洛 (ふだらく) からのようだから、
勝道上人はこの地を観音浄土の地として開山したのだろう
往昔 (そのかみ) 、この御山を 「二荒山 (ふたらさん)」 と書きしを、
空海大師開基の時、「日光 (にっこう) 」 と改めたまふ。
おくのほそ道 / 芭蕉
その二荒 (ふたら) を二荒 (にっこう) と言い換えたのは空海だ
というのは史実ではないらしいが、「おくのほそ道」 では芭蕉はそう書いている
その芭蕉が日光を訪れたのは青葉若葉の新緑のころ、
陽暦でいえば五月十八日から二十日にかけてのようで、
1689/元禄二年三月の末から四月の初めのよう
松平容保公が宮司として赴任されたのは、明治十三年(1880年)二月二日
翌月の三月十三日には上野東照宮祠官 (*1) を兼務とある
*1:ん?宮司ではないのか?この違いはまたの機会にうかがってみよう ◎
時を同じくして、会津藩家老西郷頼母 (保科近悳) 翁も禰宜に
西南戦争から三年、
鹿鳴館の完成は三年後の明治十六年、、
そんな時代
そして、、
容保公赴任の前年には 「保晃会」 が組織されている
保晃会之碑
この碑を見たかったんだよなぁ、、あまり一般には知られてないようだけど...
篆額は、最後の輪王寺宮にして奥羽越列藩同盟の盟主北白川宮能久 (公現) 親王 (*2)
*2:この7月に新しく(伊勢)神宮大宮司に就かれた小松揮世久氏の曾祖父
碑文は、勝海舟撰並書
歴史だねぇ...
散策冥利につきる...
「保晃会」 とは、
明治維新によって幕府の特別な保護を失った日光の社寺が
荒廃することを恐れた地元有志や旧幕臣自らが、
保護支援するために起ち上げた会のようで、
初代会長には松平容保公 (後に東照宮の宮司に)、
二代目は榎本武揚子爵を迎えたとある
この会は大正五年には解散してしまったけれど、
今に引き継がれ、、
公益財団法人日光社寺文化財保存会
http://www.nikko-bunkazai.or.jp/
と、なっているようだ
そして、
この日は、、
新暦でいうところの家康公の月の御命日にあたる 一日 ということで、、、
日光東照宮
四百年式年大祭

*エピローグ*
レア (?) なところを尋ねてるってのもあるのだろうけど (゚O゚)\(- -;?
駅構内の観光案内所でうかがっても、
毘沙門堂?、聞いたことないなぁ、知らない
と... (°_°)??
でも、
幸いにも、
街道沿いにある観光案内所で、ご丁寧にも道順を教えていただき、
無事に、外山毘沙門堂登拝 ✨
見下ろした紅葉、きれいだったなぁ...
東武日光駅から歩いて一時間あまり、
上りはじめて何人かの方とすれ違い挨拶を交わしたから、
知っている人は知っているんだね
下野七福神 毘沙門天
護摩堂にていただいた (通年でいただける)
合わせてこの日、毘沙門天シリーズの一冊目を終えることができた
つづく
(日光)東照宮
幕末明治期ゆかりの神社巡り③
栃木県日光市
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