月待行事とは、
十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜、
「講中」 と称する仲間の集まりとある
吾が舞えば あ (私) がまへば
麗し女 酔いにけり くはしめ (美女) ゑひにけり
飲食を共にしたあと、観音経を唱え、安心立名、、
勤行や飲食を共にする古い風習であったらしい
吾が舞えば 照る月 響むなり
あ (私) がまえば てるつき とよむなり (共に響きあう)
一般には 二十三夜 の 月の出 を拝する行事を中心とした、
本来は宗教的要素を含まない、
月の出を待って供物を供え無事息災を祈るといった
素朴な信仰儀礼だったようだ
結婚に 神降りて 夜は明け 鵺鳥鳴く
よばひに (契りの儀式に) かみあまくだりて よはあけ ぬえとり (夜の鳥) なく
その後、仏教と習合する形で七夜待と称する信仰が生まれ、
観音経 などを唱えては 月 を拝むようになったという...
これは、
十七日 から 二十三日 の 七日間 に 六観音 と 勢至菩薩 を配して祀るもので、
十七日 の本尊は 千手観世音菩薩、十八日 の本尊は 聖観世音菩薩 とされる
あるいは、
十七日 が聖観世音菩薩で、 十八日 が千手観世音菩薩となる
遠神恵賜
とおかみ えみため (いにしえの神が恵みを与えてくださった)
四本龍寺観音堂
天平神護二年 (766年)、
日光開山を目指す勝道上人が深沙大王の御加護により大谷川を渡り、
四本龍寺を創建
この時、深沙大王は二匹の蛇を放ち、それが絡み合って橋となり、
鱗には山菅が生えて渡りやすくなったという
それが今に伝わる 神橋 だ
神橋の北に建つは
深沙王祠
毘沙門天
卯月朔日、御山に詣拜す。
往昔、この御山を二荒山と書きしを、空海大師開基の時、日光と改めたまふ。
あらたふと 青葉若葉の 日の光
おくのほそ道 / 芭蕉
卯月朔日(4/1)は、陽暦では五月十九日か二十日ごろかな (°_°)?
実際のところ、どちらにしても”ニッコウ”と発音出来るけど、
空海が 日光 を訪れたという八百二十年に、
二荒 を 日光 へと改称させたかは定かではないらしい
そもそも日光は、...
勝道上人による 四本龍寺 の創建に始まり
(四本龍寺は四神守護の霊地で元元は 紫雲立寺 と言い日光発祥の地)、
それが今の輪王寺の基となったようだ
現在の四本龍寺観音堂は 下野三十三観音霊場三番札所 となっている
御朱印は 輪王寺護摩堂 にて
その 護摩堂 では、深沙大王 の化身である 毘沙門天 の御朱印も通年でいただける
ちなみに、、
徳川家康公の御命日は旧暦で云うところの 四月十七日 (新暦では六月一日) 、
四本龍寺観音堂の御本尊は 千手観音様 で、その御縁日は 十七日 だから、、
なんとも収まりがよい ✨
(=゚ω゚)ノ〜
だから、、、
十七日に
四本龍寺観音堂
紫雲立寺から四本龍寺へ名前を変えたは後も変遷をたどり、
四本龍寺→満願寺→光明院→現在の輪王寺へ
宗旨も、真言宗から天台宗へと改宗
栃木県日光市
Ghost In The Shell
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