時代的には 「平常心是道」 で知られる馬祖道一禅師の時代なんだねぇ
法嗣的には臨済禅師は馬祖道一の曽孫弟子にあたるのかな (・_・)?
馬祖道一 (709年-788年)
平常心是道
百丈懐海 (749年-814年)
一日不作、一日不食
空海 (774/宝亀5年-835.4.22/承和2年3月21日)
黄檗希運 (?-850年)
以心伝心
臨済義玄 (?-867年)
喝、一喝
では、
業行 の一生はなんであったか?
上橋菜穂子さんは、
その講演の中でこの 「天平の甍」 に出てくる 業行 という僧のたどる運命に
にいたくこころを動かされたと語られた
だから、
いつか読んでみたいと思っていたんだなぁ...
ちょうど四年ほど坐禅に親しんできた時期でもあり、
老師とよばれる方の提唱や法話を拝聴する機会を得てきたこともあり、、
今ならそれなりに読み解く下地も出来てきたんじゃないかなと
その時そう思った
この国では雲が流れるように、黄河の水が流れるように、難民が流れている。
まるで自然現象の一つのようじゃないか。
経典の語義の一つ一つに引懸っている日本の坊主たちが、
俺には莫迦に見えて来た。きっと仏陀の教えというものは、
もっと悠々とした大きいものだと思うな。
「持ち帰られるものは?」
思いきって普照が訊ねると、
「この身一つです」
老人は言った。
歩いてみなければ判らない
庭は眺めるものではなく、出てみるものなのだ、、
普照が答えないでいると、戒融は再び言った。
「日本人の血を持っているから日本へ帰らなければならぬのか」
こんども、普照は答えなかった。
「照は泣いているのか」
と、鑒眞は訊いた。
「泣いておりませぬ」
普照は答えた。
天平の甍 / 井上靖
表紙カヴァは鎌倉ゆかりの平山郁夫氏
釈尊から迦葉に伝えられた法は迦葉から阿難へ
拈華微笑
迦葉召阿難、阿難應諾
そんな場面も思い出され、
では、業行 の一生はなんであったのか?
不是一向不生、祇、是随意而生
是れ一向に生ぜざるにあらず、ただ、是れ意に随って生ずるなり
伝心法要 / 黄檗希運
まだ果たせていない
無性に奈良を歩きたくなった
源実朝をしのぶ
平山郁夫 書
ここはどこ?鎌倉のとあるお寺の門前に、、、
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