浅草門跡東本願寺 (幕末明治期ゆかりの仏閣巡り⑩) [東京都] | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

「大義を彰かにする」




上野公園内彰義隊墓所前に立つ碑文
篆額は、徳川宗家十六代当主家達公


幕末明治期ゆかりの仏閣巡り⑩

彰義隊編その壱



浅草門跡東本願寺

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憲政碑
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裏面に回ると、、
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殉国之碑
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慶応四年 (1868年) 二月二十三日、ここに 彰義隊 を結成
大政奉還の後、慶喜公擁護のため結成された 彰義隊 最初の拠点がここ 浅草門跡東本願寺 になる


その後の動きはこうだ

無血開城目前の四月三日、
上野東照宮別当寺であった藤堂高虎菩提所寛永寺寒松院へ拠点を移す

翌四日、
大総督府と徳川宗家との間で条件の最終合意、西郷南洲は兵を率いて江戸城へ入城、慶喜公の死一等を減じ水戸での謹慎を許可

九日、
静寛院宮 (和宮親子内親王) が城内の清水邸へ、

十日、
天璋院 (篤姫) が同じく城内の一橋邸へ退去

そして翌十一日、
慶喜公は謹慎していた寛永寺大慈院から水戸へ出発、この日をもって江戸城は無血開城とあいなった


西郷隆盛(1828.1.23/文政10年12月7日-1877.9.24)
天璋院/篤姫(1836.2.5/天保6年12月19日-1883.11.20/明治16年)
徳川慶喜(1837.10.28/天保8年9月29-1913.11.22)
和宮親子内親王(1846.7.3/弘化3年閏5月10日-1877.9.2)


我が鳥取藩池田家宗家第八代池田治道公の子に、弥姫 (周子) 、幸 (または姚、浄諦院) がいらっしゃる

弥姫は島津斉興の正室に、幸は鍋島斉直の正室に

島津斉興 (なりおき) は島津氏第二十七代当主にして薩摩藩第十代藩主、
その子島津斉彬 (なりあきら) は、薩摩藩第十一代藩主にして島津氏第二十八代当主


つまり、


島津斉彬公は池田治道公のお孫さんなんだなぁ、、
薩摩と我が鳥取にはそんなつながりもあるということだ、天璋院篤姫は後に島津斉彬の養女に


また、、


先見性にすぐれた名君として知られる佐賀藩第十代藩主鍋島直正も、
池田治道公のお孫さんなんだよねぇ、直正の母は治道公の子、幸だから


島津斉彬(1809.4.28/文化6年3月14日-1858.8.24/安政5年7月16日)
鍋島直正(1815.1.16/文化11年12月7日-1871.3.8/明治4年1月18日)


七連発スペンサー銃やアームストロング砲など佐賀藩の高性能火器は、
上野での彰義隊との戦いや、その後の会津若松城攻めでも威力を発揮したという、、

なんだか複雑な心境だなぁ、うーん、、、、


御朱印
いろいろな墨書をいただけるようだけど (?) 、この日は 光雲無碍


そして、真宗では人生お初にいただいた御朱印はこちら、南無阿弥陀佛



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浅草門跡東本願寺
浄土真宗東本願寺派本山
東京都台東区浅草

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■人物相関■
男谷信友(精一郎)(1798-1864)
島津斉彬(1809-1858)✨
島田虎之助(1814-1852)
鍋島直正(1815-1871)✨
勝海舟(1823-1899)
大村益次郎(1824-1869)
岩倉具視(1825-1883)
レット・バトラー(1825?-????)
佐藤彦五郎(俊正)(1827-1902)
山内容堂(1827-1872)
西郷隆盛(1828-1877)✨
松平春嶽(1828-1890)
井上源三郎(1829-1868)
武市瑞山(1829-1865)
西郷頼母(保科近悳)(1830-1903)
吉田松陰(1830-1859)
大久保利通(1830-1878)
清河八郎(1830-1863)
松本良順(1832-1907)
山南敬助(1833-1865)
渡辺南隠(1834-1904)
橋本左内(1834-1859)
近藤勇(1834-1868)
河上彦斎(1834-1872)
高橋泥舟(1835-1903)
有栖川宮熾仁親王(1835-1895)
土方歳三(1835-1869)
坂本龍馬(1836-1867)
井上馨(1836-1915)
天璋院/篤姫(1836-1883)✨
松平容保(1836-1893)
山岡鉄舟(1836-1888)
榎本武揚(1836-1908)
三條実美(1837-1891)
板垣退助(1837-1919)
大倉喜八郎(1837-1928)
徳川慶喜(1837-1913)✨
山縣有朋(1838-1922)
日下部鳴鶴(1838-1922)
安田善次郎(1838-1921)
永倉新八(1839-1915)
高杉晋作(1839-1867)
澁澤栄一(1840-1931)
久坂玄瑞(1840-1864)
伊藤博文(1841-1909)
杉文/楫取美和子(1843-1921)
斎藤一(1844-1915)
陸奥宗光(1844-1897)
沖田総司(1844?-1868)
スカーレット・オハラ(1845-????)
新島八重(1845-1932)
山川浩(1845-1898)
和宮親子内親王(1846-1877)✨
松平定敬(1847-1908)
北白川宮能久(公現)親王(1847-1895)


光雲無碍

 光雲 とは、「光」は如来の光明、「雲」とは雲のように潤いを与えるものということ、光明の恵み
 無碍 とは、碍 (さわ) りなし、障碍 (しょうがい) がない、妨げが無いということ

般若心経にある 心無罣礙 のような意味なのかな (°_°)?


彰義隊編その弐へ、つづく、、


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